生きている実感について

長文で綴りたい、私の人生の大事な話をここで荼毘に付し遺影を飾っておく
私は大事なこともすぐ忘れてしまうから、いつかここを見たとき思い出せるように。

私の人生にはアレが必要不可欠なんだなぁという話で
前から薄々感じてはいたけどやはりと確信し、またその理由に迫れた気がする。そんな昨日だった。

昔も今も私には対人関係において相手に嫌われないかという恐怖心がありたぶんそれがコミュ障の原因なのだけど
条件が揃うと、相手への信頼感が芽生えて心を開くことができる
背負うものがなくシンプルに生きていられた若い頃はそういえば当たり前に意識できていたことだった。

それが私にとっては最も望んでいるコミュニケーションで、そこが私なりの社会性なんだ
大袈裟だけど
私は一人では生きていけない、一人で完結できる幸せはない
誰かと本音で通じ合えるとき最も生きていることを実感するし、それが私の最大の幸せだ
今のところの私の人生では。
これから価値観が変わっていくこともあるかもしれないけど
人の顔色をうかがっていつも怯えている
本当の自分の気持ちになんて目を向けてやらなすぎてどこにあるのか見失って探すゆとりもない
自分を大切にすることなんてわからない、こんなどうでもいい生命はやく終わらせてほしい、
そんな風に生きてきた私が
自分の人生に目を向けられた、自分にとって大事なものを思い出すことができた

だから
醜さの中に、神聖さを見つけた。

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