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神様がくれたお休み

3月25日に診断が下り、1週間後の4月1日に入院が決まりました。
「4月以降のクリニック診療をどうするか」という大きな宿題が残っていました。
数日で決定しなければなりません。

抗がん剤と放射線治療のスケジュールをよく吟味して、多少穴あきにはなるけれど
できる限り診療しようと当初は思っていました。

ただやはり抗がん剤治療の副作用がどれほど強く出るかが不安でした。

そんな中、3月29日入院3日前に元上司の山嵜正人(やまさきまさと)先生と
榎本隆之(えのもとたかゆき)先生とお食事をすることになりました。

山嵜先生は、研修医時代に婦人科腫瘍のオペを文字通りゼロから教わった師匠であり、お父さんのような存在です。
山嵜先生のオペはいつもエレガントで、多くの時間と情熱・努力を注いで磨いたその貴重なスキルをいつも惜しみなく私たちに伝授してくださいました。

榎本先生は大学院時代の研究室のボスで、アカデミックなこともたくさん指導していただきました。ピアノという共通の趣味もあります笑。
(榎本先生の方が私より格段にお上手です。)
新潟大学医学部産婦人科教授を10年勤められ、多くの業績を残し、2年前に定年退職で大阪に戻って来られました。

お二人とも、今もなお第一線で婦人科腫瘍のオペに携わっている、私がリスペクトする方です。

10年前私が乳がんの治療をした際にも、大変気にかけてくださり、
親身になって相談にのってくださったお二人には、
今回のこともかなり早い段階で伝えていました。

お食事の席には、榎本先生が大学病院の医局長、上田豊(うえだゆたか)先生も
呼んでくれました。
医局に所属する産婦人科医師の中でクリニックに代診に来れそうな人はいないか
医局長に直接相談するようにとの配慮でした。
上田先生は子宮頸がんワクチンの臨床研究の第一人者です。

3人の大先輩とクリニックのことについて話し合いました。
4月は大学も人事異動があったばかりで今すぐに人(代診)を出すことは難しそうでした。

しばらくして山嵜先生が落ち着いた口調で、けれど強い思いを込めておっしゃいました。

「きんちゃん、半年ほど休んだらどうや。」

ぼくは半年ほど休んだ方がいい気がするな。体が何より大事や。
しっかり休んで元気になってからまた仕事はやればいい。
神様が休みなさいって言ってるんだと思うな。

生まれて初めての「長期療養・休業」

自分では踏み出す勇気がなかったその一歩を、山嵜先生が優しく後押ししてくださって、決心できました。心が救われました。
榎本先生も、上田先生も、まずは私の体のことに集中したらいいと励ましてくれました。

「元気になったら、快気祝いしよう!」

このような経緯があって、3月30日(土)最後の診療を終えて
(ちょうど開業して丸12年で約2万人の患者さんを診た節目の3月でした)
4月から私は長期療養に入ったのでした。

*****
今、その日からちょうど2ヶ月半が経ちました。
あの時、完全休業を決心して本当によかったと思っています。
だましだまし診療をしていたら、私は本当に壊れていたと思います。
実は、抗がん剤の副作用が思いのほか強く出てしまい、
1週間近く立ち上がれなかったのです。診療は不可能でした。
まさに、神様がくれた休みでした。

もちろん患者さんにはたくさんご心配・ご迷惑をかけてしまいました。
十分な説明もできないままお休みに入ってしまい、私自身もつらかったです。
今ようやくこうして経緯をお伝えすることができてホッとしています。

先週、スタッフには8月1日から復帰することを伝えました。
これから順次、患者さんたちにもアナウンスしていくつもりです。
体調を見ながら、まずは午前の診療から再開する予定です!

ここ数週間で、代診の女性医師が何人か手伝ってくれるようになり、
(大学からも人を送ってくれました!)
診療再開に向けて少しずつ体制を整えているところです。

神様は半年の休みをくれましたが、4ヶ月だけ使うことにします^^
あとひと月半リハビリをしっかりして体力もつけて、またクリニックに戻りますね。待っていてください♡

次回は4月から今までの治療体験記をつづろうと思います。

※冒頭の写真は、玉造カトリック大聖堂の小礼拝堂のステンドグラスです。

※補足:
抗がん剤といっても種類はさまざまで、最近は吐き気などの
副作用を抑えるよい薬がたくさん出ています。
婦人科がんの抗がん剤治療ではさほど強い副作用が出ないことがほとんどです。

また、同じ抗がん剤でも副作用の程度は個人差がかなりあります。
抗がん剤と聞くと副作用が怖いイメージが先立ちますが、必ずしもそうではないことを補足させていただきます。



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