ONE YEAR AFTER

歳を取るに連れ、時間の観念がおかしくなって行く。

あれから一年・・・ということだが、もう10年くらい前のことのような気もしている。

家族や友人のような身近な付き合いがあった方々とは距離感が違う俺にとっては、ECDはもはやジャイアント馬場やマイケル・ジャクソンやアイルトン・セナのような感じなのだ。

ジャンルのアイコンとも言うべき人は、例えその身が滅びようとアイコンであることは変わらないのである。

もちろんライヴが観られない、新作が出ない、対話ができないのは寂しいことではある。

「石田さんだったらどう思うかな?何を言うかな?何をするかな?」

とは、やはりこれからも考えてしまうのだと思う。

ECDを聖人みたいな扱いをしてる人も散見する。

確かに石田さんは ”徳の高いお坊さん” みたいな雰囲気はあった(笑)。

どんな想いをもってようとそれはもちろんその人の勝手なのだが、ECDは石田さんは思い切り世俗の人だったし、そうあろうとする意識が強かったのではないだろうか?

新しもの好きだったし、コレクターだったし、漫画好きだったし、亡くなる直前までCDやおもちゃを買いまくってたし、エロ小説まで書いていた人だ。

俺はくだらない話をしていた時の石田さんの「にや~」っとした笑みが好きだった。

偉人ではあったが聖人ではなかった。

そんなつまらない人じゃなかったよ・・・ってことは言っておきたい。


下高井戸のTRASMUNDOというレコード店で、ECDのドネーションTシャツ ”ECD IN THE PLACE TO BE” が今でも不定期ながら販売されている。

TRASMUNDOの紹介記事


ECDドネーションTシャツ製作者洋子, 斧のTumblr(更新されず2018年3月の古い情報がサムネイル表示されてます)

これは制作費を除いた全額が石田さんのご遺族に渡る。

石田さんには2人の娘さんがいる。

『まだ夢の中』で「高校まではとにかく何を さしおいても面倒は見る」とラップしていた。

10年後のこともあるので、遺された娘さん達のためにも是非TRASMUNDOを覗きに行って、在庫があれば購入して欲しい。

店主の浜崎さんの心意気で、手数料すら取らず(儲けゼロ!)に販売しているので、問い合わせの電話とかもせずにふらっと訪店し(通販もしていないのでとにかく行くべし)、Tシャツ以外にも店の儲けになる物も併せて買うとベスト・・・とか書きながら、実は俺自身まだTRASMUNDOに行ったことがないという・・・(苦笑)。


去年、勢いでFACEBOOKに投稿した、石田さんに託けた雑な自分語りを少しだけ訂正加筆してこちらにアップしておきます(原文は下記FACEBOOKのリンクで)。

思ったより沢山の方に読まれた上に、ミュージックマガジンの追悼号に引用されちゃったり(誌面では "フィーチャー" が "フューチャー"になってたけど、あれは引用ミスであって俺が間違えたわけではない・苦笑)。

「こんなに知らん人にまで読まれるなら、ちゃんと推敲すれば良かった・・・」と思ったけれど、勢いで書かないと書けなかっただろうしね。

事実関係が間違っているところを直し、どうしても付け足したいことを少しだけ。



2018年2月2日、FACEBOOKへの投稿

TwitterやInstagram、直接の会話で少しずつ出してはいたが、お通夜に参列して石田さんに挨拶して来たので、そろそろ -思いの丈=他人にはどうでも良い自分語り- を取りとめないけど書いておきたい。

説明するまでもないけどECD=石田さんで、表記揺れは敢えて直しません・・・というか、微妙なニュアンスで使い分けてます。

最初にライヴを観たのは2004年4月29日だった。

場所はNHKのスタジオ。

怒髪天とあぶらだこという組み合わせ目当てに往復葉書を送って参加した、NHK-FMのライヴ中継番組『ライブビート』の公開録音。

怒髪天とあぶらだこで発表されたが、後に追加されたのがECD。

名前は聴いたことがあった気もするが、HIP HOPにあまり良いイメージを持ってなかったのでそれまで曲を聴いたりはしてなかった。

あぶらだこの強烈なライヴでかなり精神的に疲弊した直後だったのに掴まれた・・・が、最後の曲がインプロみたいでかなり長く、より疲れた記憶がある(笑)。

そこから気になり始め、ECDBBSをチェックし、抑圧するもの右翼的なものに対して闘っている様に敬意を抱くように。

『言うこと聞くよな奴らじゃないぞ』を聴いて完全にヤラれたのもこの頃だったか。

2007年9月には、大好きなbloodthirsty butchersの企画にタテタカコと共に出演された。

この異色過ぎる3組の共演。

butchersの『アカシア』という曲にECDがラップを乗せた。

何かもう超常現象を観た気分だった。

butchersの吉村さんももうこの世には居ない。

翌2008年。デラシネというバンドのファンになり、メンバーと友達になり、彼らが所属する less than TV というレーベルのイヴェントに通い詰める様になった頃。

デラシネのBa&Voの風間コレヒコから「今度のless than TVの企画、僕がブッキングしてるんで来て下さい」と誘われて観に行った時にもECD+IlliCiT TSUBOIが出演していた。

CDや書籍も買い、ライヴも何度も観る様になった。

この頃、他の友人の企画にもブッキングされていたりで、俺の周り(パンク~ハードコア~ノイズ~オルタナ辺りが好きな連中)でもECDはマストで当たり前なヒーローだった。

My spaceに載せられていた石田さんの『今日の残高』(文字通り銀行残高を公開していた)に衝撃を受け、当時やってたmixiで真似して残高公開したり。

俺の場合、リアルに残高0が頻発していたが(笑)。

更に月日が経ち、311を迎える。

それまで好きだったミュージシャンや周りのパンク~ハードコアを通過して来た友人達はデモに来なかったり無視や揶揄。

CDを聴かなくなったり喧嘩になったり縁が切れたり。

がっかりさせられ「あいつらより、今デモに来てる奴らや俺の方がよっぽどパンクだな」なんて思ったり。

そんな中、唯一がっかりさせられなかったのが、時にはベビーカーを押しながら、時にはオールナイトイヴェントで朝方までDJしていたのにその日の午後に、時にはライヴ出演の直前に・・・デモで歩いていたECDだった。

経産省に対して抗議していた頃、ECDは仕事を抜け、作業着姿で駆けつけて来た。

あの歴史的な「言うこと聞かせる番だ俺たちが」の時だ。

後に抗議の場での歌を憎み、規制する立場になったが、この時のECDの『Straight outta 138』は今でも最高だったと思っている。

いつもひとりで最前線最先端を目指す人だった。

追悼の意を込め、自分が撮ったECDの画像をネット上にアップする人が多いが、「ECDの背中」をフィーチャーした人が割と居た。

「背中で語る」などと言うが、何のことはない、実際にECDは物理的に誰もの一歩前に立っていたのだ。

最前線が彼の “いるべき場所” だったから。

官邸前が盛り上がっていた頃、1人でコーラーを勤めざるを得なかった俺を見かねて交代要員を買って出てくれた。

今思えば、そこが最前線だったというのも大きかったんだろう(笑)。

2011年、新橋駅前SL広場での民主党街宣時、石田さんが口火を切ってプラカードを掲げ「原発反対」コールをした。

2015年、安保法制に関しての新横浜の公聴会から国会へ向かう議員達をシットインで阻止しようとした時、明らかに石田さんがうずうずして居たのを真後ろで見た(笑)。

そして案の定真っ先に飛び出した。

振り返れば・・・ではなく、前を向けばECDが居る。

「ECDを観ること」は文字通り「前を向くこと」だった。

官邸前での話に戻る。

音楽をやってない俺が、ただのファンの俺が、ECDとアイコンタクトでpass da micしてコールリレーをする。

当時は私情を挟まず淡々と進行とコーラーをやっていたつもりだが、何度やってもこれは本当にシビれる瞬間だったのだ。

著名人やSP引き連れた元総理が横に立つより、ECDが横に立ってくれる方がどんなに心強かったことか。

別に崇拝などはしていなかったが「ECDが居るならここは間違いない」と思っていたし、同じ様に思って参加に踏み切る人が沢山居た。

存在自体が指針になっていた。

官邸前その他で50回近くは隣に立ちpass da micしたと思うが、毎回挨拶含め2~3言しか会話していなかった。

あまり気安く話しかけられなかった。

それでも、1度だけ長話をさせて頂いたことがあった。

2014年7月1日の解釈改憲反対官邸前抗議のあと、みんなでTac's Knot(美術作家Akira The Hustlerが火曜日にマスターとして立つ、性別セクシュアリティ問わず入店可能な老舗ゲイバー)に行こうということになった。

「石田さんもいかがですか?」と何の気なしに声を掛けたところ「行きたいです」との回答。

始発の時間まで、Tac's Knotのカウンターの隣の席で、ファンとしての暑苦しい想いをお話しした。

石田さんはもちろん、俺も酒は呑まなかったのに細かい内容は覚えていないが、穏やかに聴いて下さったのは印象に残っている。

これはみんな言っていることだけど、石田さんは本当に徹底的に "個” だった。

この "個" は DJ TASAKAとAkira The Hustlerの言う "One" とも同義であろう。

eastern youth の吉野さんからも同じ気概を感じる。

石田さんは個として他の個に向き合うから、威圧的でも抑圧的でもないのに対峙する者を畏怖すらさせてしまう(しかし全く不快ではない)あの独特の距離感空気感が出せたんだろう。

今時の言葉で言うところの "イキり"など微塵もなく、どんな実績も肩書きも人脈も纏わずに対峙される。

焦点がきっちり合わせられてる気がしてしまうのだ。

俺は単に他人と上手くやれなくて、結果的にひとりになってしまってるだけだから本質的には違うんだろうけど、石田さんみたいにきっちり意識的に個でありたい。

大小あらゆる全体主義的抑圧に抗せるように、他の個を尊重出来るように。

最後に同じ場に居られたのは、去年9月、青山蜂での『DOUBLE SIDER』だった。

DJの最中以外は椅子に座って微動だにせず辛そうだったので、俺なんかに時間を取らせるのは忍びなく、眼前に居たのに挨拶すらしなかった。

今年に入って1月14日の『DOUBLE SIDER』には行くつもりだったが、結局体調が微妙だったこともありパスしてしまった。

内心「余命宣告されてから急に熱心に毎回行くのも卑しい」なんて思いもあったし、願掛けじゃないけど「また来月あるからきっと大丈夫」と思いたかった。

やっぱり、行きたい場所、会いたい人、伝えたい言葉、やりたいことがあるなら、行って会って伝えてやるべきなんだな。

石田さんは本当にギリギリまでそうされていた。

ECDが亡くなられた後、ネット上で「ラッパーとしての功績は評価するが、晩年の偏った思想や反安倍に執着してるのは・・・」というような何も見えていないクソみたいな書き込みを見た。

ECDは亡くなる10日前までDJをしていたし、亡くなる2日前ですら「1曲だけなら」ライヴもすると言っていたんだ。

病床で原稿も書き、ツイッターでも色んな曲をレコメンドしていたし、家族との時間もあっただろう。漫画で爆笑もしていたかもしれない。

プロテストなんて、キャパが広いECDの、石田さんの、ほんの一部に過ぎなかったはずだ。

もっとも、俺らは他の凄い "ほんの一部" も沢山喰らい過ぎた・・・

 

ECDのライヴで、CDで、文章で、一緒に立ったり寝転んだりして声を上げた路上で、深夜のバーで、いくつものそんな歴史的な瞬間に立ち会えたラッキー・・・

そう、俺たちこそがLucky Manでした。

 

 

石田さん、お疲れ様でした。

沢山のこと、本当に有難うございました。

これからもECDのCDを聴いたり映像観たり本やツイート読んだり、語り合ったりするでしょう。

ECD, Together 4ever