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崩御
2022.10.1.
奇しくも昨日9月30日にデビュー62周年を迎えていた。
俺は物心ついた時から一番弟子の藤波辰爾のファンなので、その師ではあるが、時には本当に邪魔な存在でもあった。
彼はあれだけの大スターになりながらも、プロレスにコンプレックスを抱えていたため、"格闘技" に拘り続け、新日本プロレスという会社やレスラー達を振り回し、ある意味犠牲にもしてきた。
彼に限らず、坂口征二も長州力も、配下ではなかったがジャンボ鶴田も天龍源一郎もプロレスラーに憧れていた訳ではなく、スカウトされてプロレス界に"就職"したトップレスラー達は
割り切りと後ろめたさを持っていたように思うが、その4人は格闘技(柔道、レスリング、相撲)でトップレベルの実績を持っていたので、割り切ってプロレスに全力投球していたと思う。
格闘技の実績を持たなかった彼だけは引退まで、いや引退後もずっと割り切れず後ろめたさを抱えていたのかもしれない。
事業、政界転出、どちらも成功したとは言えなかったと思う。
が、それ故に最期まで病とも闘えたのかも知れない。
俺は個人的に彼のファンであったことはない(サインをもらったこともあったけど)。
が、そんなことは本当にどうでもいいことだ。
先ほど挙げたレスラーと同世代で唯一スカウトではなく、彼に、プロレスに憧れて格闘技の経験もなく押しかけ入門したのが藤波辰爾だった。
訃報が届いた日も御歳68歳にしてリングに上がり試合をしていた。
コブラツイストは、引退試合のフィニッシュにも用いられた師である彼の得意技だった。
40年超えの藤波ファンだが、こんな表情は見たことがない。
押しかけ入門し彼の付き人になってから52年、彼が引退してから24年経った今の今でも憧れであり目標であり続けたのであろう。
とてつもないことである。
何度も行われた師弟対決、タッグ結成(俺が最初に生観戦した時も2人はタッグを組んでいた)。
引退試合の直前のセミファイナルにて解禁した、師に捧げるジャーマンスープレックスホールドで44歳にしてIWGP王者返り咲き。
彼の傀儡政権と言われた新日本プロレス社長時代。
かなりの苦渋を舐めさせられたはずだが、彼への思慕が変わることはなかった。
その後、共に新日本から退団しても彼の立ち上げた団体に出場したり、自らの団体(ドラディション)に彼をゲストとして呼んでいた。
俺自身、最後に彼を見たのは3年前(2019年4月26日)のドラディションの後楽園ホール大会だった。
震災の頃からテレビを観なくなったこともあり、久しぶりに見た彼の老け具合に驚いた。
完全にお爺さんで声に張りもなくなっていた。
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老いてもなお彼は彼だったが、1年も経たずに難病の告白、妻の死で更に一気に老け込んでしまった。
自身のYouTubeチャンネルにて、老いて病んだ姿を最期まで晒し闘い続けた。
喋ることもままならなくなっている様は見るのも辛かった。
猪木さん、長いことお疲れ様でした。
夢がどれだけ叶ったかは分かりませんが、その代わり本当に沢山の人に夢と希望を与え楽しませてくれました。
もうこの国にあなた以上のプロレスラーは出て来ないでしょう。
「ファンであったことは無い」と言いましたが、俺が10年早く生まれていたら間違いなくあなたのファンになっていたでしょう。
馬場さんの時も思ったけど、猪木の死は紛れもなく"崩御"です。
昭和も平成もまとめて終わらせました。
馬場さんやマイケル・ジャクソンやアイルトン・セナもそうだが、その分野の英雄は死して尚"キャラクター"として存在し続ける。
"アントニオ猪木" はこれからも語り継がれるだけではなく存在し続ける。
16歳で出会い68歳になった今でもあなたは私のヒーローです。生まれ変わってもまた、あなたの側に。あなたの記憶を胸に今日もリングに上がってきます。心からの感謝と愛と哀悼の意を捧げます。
— 藤波辰爾 (@dragondradition) October 1, 2022
本当にご苦労様でした。どうかどうか安らかにお休みください。ありがとうございました。
藤波辰爾 pic.twitter.com/SU1YXk2zzJ
68歳の老人(失礼)にここまで言わせるのは本当にとてつもないこと。
合掌