真実はいつもひとつ

これも考え方で、主観はどこまでいっても離れられないので、その意味では真実は人によって変わるんだと思います。
その意味では、個人の中では真実は一つ、と言えるかも知れない。
犯人とかは一人でしょうけど。冤罪になっちゃうから。

さて、そういった意味では「個人的には」という枕詞が既に当たり前とも言える。事実は数字とかデータでしかなく、そこから何かを読み取るときは既に主観である。

このあたりを思うとき、「所詮」と思う。
すごい人はいるし、素晴らしい人もいるけど、「所詮人間なんて」と思う。どちらかというといい意味です。
わかりあえない。
でも、思いやったりする。大切に思ったりする。どうせ死ぬくせに、生き様とか死に様とかいう。死んだあとの評価まで気にしたりする。

折り返しを過ぎた人生を、キレイにコーティングしたり見栄えをよくしようとは思わない。

大切な人を素直に大切にしたい。
誤解の幅がすごく少ないくらいの人間関係は少ない。希少だ。どんどん増えていく感じはまったくしない。俺がダルいと思ってるからです。

でも、たまに出会い頭にパーンと仲良くなったりすることもある、ことを知っている。