まるでずっとそういうものだったような様式美

産まれた時からそうだったものって、あたかも最初からそういうものだったように錯覚してしまうよね。

例えばバンドで、皮パン履いてたり、化粧してたり、プレイスタイル、パフォーマンスなど。

最近気付いたというか、自覚したのだけど、おじさんは46歳なんだけども、産まれ落ちた1978年以前のことは、もうね、紀元前からあるものと同じような錯覚があるんだよね。
亡くなった人はもちろん、今存命の人でも。

ビートルズもローリング・ストーンズも、キリストとかとあんま変わんない。
ずっといて、絶対的というか。

2つのことが言えると思って。

一つは、所詮人間の、生き物としての歴史認識なんてそんなもんじゃね?ということ。だから、既存の常識みたいなものに囚われるな、というのは全くその通りだよなぁ、ということ。

もう一つは、ずーっとミャクミャクと、人間はそうやって、錯覚して、錯覚してる程度のことを大事にして、下手すると愛したりして、生きてきたんだよなぁということ。
ちょっと、素敵やん、とかは思う。夢中で思い込む、盲目的になる煌きっていいよね。

とにかく、ラベリングされたような、役割については、息苦しかったり違和感あったりしたら錯覚を疑うべきだ。
父親とか先生とか大人とか子供とか男とか課長とか社長とか先輩とか。
常識が間違っていることなんてよくあることだ。

でも一方で、そういう錯覚程度の、役割みたいなものをちゃんと果たそうとしてる人のカッコよさはある。リスペクトしてしまう。

そんな話。