本屋さんにて

先日息子が教科書を買わなくちゃならんとのことで、本屋に連れて行けというもんだから久々に足を踏み入れたのです。

本屋に着いたら購入の長蛇の列ができていて、並ぶのが大変苦手な俺としては息子に並ばせて、自分は久々に本屋を見学してました。

やはり久しぶりの場所や珍しい行動をすると色々と考えたりするもので、特に整理せずにその時感じた事をメモのように書いてみようと思います。

・本屋が久しぶりって恥ずかしいなぁなんか。知識欲とか好奇心がない人みたい。スマホの手軽でペラい情報でなんとなく満足させられてるからなぁ。ジャンクフードみたい。栄養のない情報。でも腹は膨れて。くだらん。ここにはこんなに、伝えたくてしょうがない人達の表現が沢山並んでいるのに。だが、残念ながら殆どの本は俺は興味ない。君等はストリートミュージシャンか(笑)!てか。ストリートミュージシャンやりたいんだがなぁ、恥ずかしくてなぁ。でも、配信とか動画が残ってたりサブスクとか、ライブとか、ストリートと本質的には変わらんのかな。必然性がわかりにくいのかな。金がないとか?さて。公務員白書という本がある。絶対分かりづらそう。どれどれ。わかりずら!!推敲に推敲を重ねて、法律の本みたいにわかりずら!。でも考えると矛盾というか。余分な言葉を落として、相当正確に情報を詰め込んだその文章が全く仲良くなれなそうな事になってるということ。ちゃんと作ることで人間から離れていく表現。まぁ、色んな人間いるからな。こういうのが好きな人、求めてる人がいるからこうして本になってる。いやいや、こういう白書みたいなのは惰性と義務とルールで発行されるケースもあるかな。本、本以外で、人間が人間に何かを伝えたり、残したりできる形ってあるかな。とても高度で、よくできている。文字で残す、伝えること。人間の脈々とメンメンと受け継がれてきた知識。蓄積。人類の財産とか言われるけど、知らないことばかり。でも、こうして本屋はあり、本をつくる人はいる。少し安心もする。世の中が栄養のない、愛情もない、空っぽだけど表面だけ正義っぽい、愛っぽい、優しいっぽい表現だらけになっちゃうよ。いや、音楽やってて、たくさん音楽の知り合いがいてよかった。血の通った表現をする、迷いながらそこを探求する仲間がたくさんいる。仲間だと思ってるなぁ。頼もしい。歌ってなくても仲間だ。そこに価値を感じているなら仲間。好きなら仲間。

さて、教科書なんかの為にならばすなよ!と思っていたのだけど、楽しかったです。山形市内の沢山の高校生、その親達を眺めたり眺められたり。なんとなく、連帯がそこにあるような気がして。おかしな世の中の僅かな希望。

春から息子は高2 ですって。アホほど教科書が入ったずっしり重い紙袋を苦も無く一人で抱えてました。それを眺められたのもよかったな。