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もう一度、サッカーに挑む。

こんにちは。
山本大輔と申します。

今回はnoteデビュー戦ということで、自分の紹介と、Ascendersというスポーツベンチャーに入ったわけ、そしてこの度始める新しいプロジェクトについて話をさせていただければと思います。
元々文章力がなく、また長文を書くのが卒業論文以来なので、取り留めない駄文をお許しください。
過去の背景から書かせていただくので、回りくどいかもしれませんが、僕の中では全てが繋がっています。


■第一章 地元静岡編

サッカー王国静岡に生まれ、物心がついた頃から毎日サッカーをしてました。
昔から決して上手い選手ではありませんでしたが、自分なりには一生懸命練習して、気持ちを見せて戦うタイプの選手だったと思っています。

僕の記憶は一切ありませんが、当時一緒にサッカーをしていた次男の柊輔は、「甘い気持ちでやってるなら辞めちまえ」と僕に厳しく叱責され、サッカーを辞めてしまいました。
その時のきっかけで始めたバスケットで彼はプロバスケットボール選手になりました。
どうやら当時から先見の明があったようです。←

みんなで一緒にサッカーをするのが好きでした。
少年団やクラブチームでもサッカーをしていましたが、それ以外の時間もずっとボールを蹴ってました。
小学校時代は放課後の校庭を占拠してクラス対抗戦を企画したり、昼休みのサッカー禁止令に対して全力で先生に異議を唱えたりしてました。(そんなんだから日本サッカーは強くならないんだよ、と言ってました。)
中学時代にも昼休みのクラス対抗サッカーでスパイクを履いてプレーしてました。球技大会優勝のために、クラスのテニス部と卓球部と陸上部のやつらも呼び出して、休みの日や放課後も公園でサッカーをしてました。(近所迷惑で苦情になり、生徒会長だったのに何度も先生に呼び出されました。日本にはストリートがないからサッカーが強くならない、と言ってました。)

中一の時の誕生日プレゼントで親に頼んだのは、「スカパー!チャンピオンズリーグセット」でした。
愛読書は「ロイキーン~魂のフットボールライフ~」でした。(最近は「I AM ZLATAN」が加わりました。)
地元静岡出身のゴン中山とキング・カズが大好きでした。
フランスW杯と日韓W杯の日本代表のほとんどが静岡関係者だったため、静岡がサッカー王国だと、最強だと思ってました。

中一の時に半月板を怪我して、手術して、医者に本格的なサッカーは中学までに辞めるように言われました。
うるさい黙れと思ってリハビリして復帰して今までサッカー続けられています。
「不可能はない」と思うようになりました。

サッカーが全ての毎日でした。
静岡の人ならわかると思いますが、当時は、伝説のサッカー番組Kickoffに出て、そこで特集されることが全てでした。
僕もチームの力も足りず、高校時代までその夢は叶いませんでした。


■第二章 筑波大学蹴球部編

「もっと高いレベルでサッカーがやりたい。ゆくゆくはサッカーの指導者になるか、サッカー関係の仕事につきたい。頑張って運がよければサッカー選手になれるかな?」
そんな考えで、筑波大学のサッカー部 “蹴球部” にチャレンジしました。
運良く合格、入部することができました。

高い山に挑むことはわかっていたものの、大学1年生の時、筑波のサッカーに衝撃を受けました。
1年生はフレッシュマンコースという毎朝6:15からの走り込み。800mダッシュ6本とか。400m8本とか。めちゃめちゃ走る。最後は夜中12時発で大学から20km走っていって筑波山登山1000m。
監督は現名古屋グランパスの風間八宏さん。
同期には谷口彰悟、赤崎秀平、上村岬、玉城峻吾、神舎宏をはじめとする錚々たる顔ぶれ。一個下には車屋紳太郎がいました。
一般入試組でもU代表経験者とか国体キャプテンとかがいる。これが文武両道か。
TOPチームは後期の関東リーグ、毎試合5点差くらいつけての圧勝。
秀平は新人王と得点王になり、彰悟も全試合出場。二人はそのままユニバも選ばれて世界一。
サテライトチームは圧倒的な強さでIリーグを全国優勝。
ですがサテライトは、チーム内の青白戦ではその一つ下のカテゴリーのB1チームに一回も勝つことができませんでした。

全てのレベルが衝撃でした。

当時自分は5~6軍を行ったり来たりしながら、連帯責任で部停になり、復帰のために自主的に草むしりをしていた記憶しかありません。笑

2年生になり、運よくTOPチームに参加させてもらえるようになりましたが、そこで直接対峙すると外からみている以上の衝撃的なレベルの違いを感じました。
これは自分はサッカー選手には多分なれないなと、明確にではありませんがなんとなく思いました。
(サッカー選手やアスリートになる人は、どんな状況でも自分の力を信じきり、そういうことを考えないような人なんだと思います。仮に負けてるとしても、負けたと思わない。「サッカー選手になれるかな?」ぐらいの覚悟じゃなれない世界だと、自分の身を持って痛感しました。競技アスリートの皆さんを心から尊敬しています。)

その後、選手活動に手を抜いたつもりはありませんが、彼らに負けない価値を出そうと、動き始めました。

このままじゃ終われないと。
サッカーで、負けたくないと。

副務として部全体の統括、インカレプロジェクト、フレッシュマンスタッフとして1年生の教育指導、少年サッカーコーチ、風間さんのサッカースクールのコーチ、JFAの指導者ライセンス講習会セッションのサポートスタッフ・・・

サッカーをする環境を良くしたり、サッカーの(筑波の)価値を高めたり、その価値を伝えたりすることに取り組みました。

筑波の目標 “日本一”に貢献するために全力を出す。
チームに必要な存在になるために、できることをやりたい。
ピッチ内で勝ちたい。そのためには、ピッチ外で勝たないといけない。

これが、今の仕事につながる原体験じゃないかと思います。

1年生の時から大学サッカーを席巻し、ユニバーシアードメンバー4人を揃え、同世代最強と呼ばれたメンバーが揃った僕らの世代は、怪我や組織事情に泣き、一つのタイトルも獲得することはできませんでした。


■第三章 就活~社会人編

将来サッカーの仕事をすることは自分の中で決まっていましたが、
そのために、一度他の仕事をしてみようと思いました。

今後の人生で、サッカー以外のことをするタイミングはここしかないなと。
サッカーの仕事で高い成果を出すには、サッカー以外のことを知らないとダメだな、と。

早いうちから自分のアイデアで勝負できる成果主義の環境、かつサッカー(とその周りのこと)しかしてこなかった社会知識0の自分が、世の中の流れを幅広く知れる会社、ということで人材エージェントの会社を選びました。

そして自分がなんとなく感じていたスポーツ業界の課題にアプローチもできるかな、と。
「日本のスポーツを変えるには、HRからアプローチしないとならない。育成、マネジメント、流動化が鍵。報酬が改善され、スポーツ業界に優秀な人がもっとたくさん入れば、業界をより成長させることができる。」
新卒入社のその会社では、社会人として0から育てていただき、また良い人ばかりでプライベートでも大変お世話になりました。
そこそこの成果も残し、会社の報酬制度もあいまって、年次の割にそこそこのお金ももらっていたかと思います。週末はサッカーもできるし、悪くない社会人生活。

ですが、この3年半の間に、スポーツの世界で勝負する同級生たちは成長し、輝いていました。

赤崎秀平は、クラブW杯でレアル・マドリードと戦いました。
谷口彰悟は、J1を制覇し、キャプテンとしてシャーレを掲げ、ベストイレブンになりました
山本柊輔は、初めて筑波大学一般入試からBリーガーになり、今年は ついにB1リーガーになりました。
原口元気(面識ないけど同世代の星)は、日本代表としてW杯でベルギーからゴールを奪いました。

社会人として、また人材業界の仕事の基礎を身につけた上で、
やっぱり自分の一番好きな領域に、サッカー・スポーツに、魂を込めてチャレンジしたいと思いました。

勝負したいと。
彼らに、負けたくないなと。

そんな時に弊社Ascendersの代表・異端児 橋本と再会しました。
彼との出会いは2〜3年前のスポーツ業界交流会です。
当時たしか僕は社会人1年目、彼は学生でしたが、同級生ということもあり、定期的に連絡を取っていました。
時々会うたびに、色んな新しいことをやってました。

リオオリンピックに研修プログラムを作って行ってきたり、海外のサッカークラブにトレーナーを派遣したり、ACミランの元社長を日本に呼んできて講演会をやったり、行政と組んでスポーツの夢の国を作ると、なにやらすごいなと。なんだこいつは、と。

自分の一番外枠は「サッカー・日本」でしたが、同級生がその枠組みを超えて、世界規模でスポーツ界・経済市場をみている姿勢に、衝撃を受けました。

そんな彼が久々に会った時に言ったのが、「MERCI」というサービスを作るから、一緒にやってほしいと。
スポーツ業界の働き方を変えるには、根幹から新しい仕組みの採用プラットフォームを作らないといけない。
そのサービスが「MERCI」です。

自分の経験も生かしつつ、自分が思うスポーツの課題感を解決できるサービスに、立ち上げから携われる。

そして同じ志を持った仲間がいる。

Ascendersに入るという決断は難しくはありませんでした。

MERCIに関しては、橋本の方が僕よりうまく話せるので、興味を持った皆さんは下記のリンクを読んでみてください。まさに、この通りだと思っています。




■伝えたいこと

今回、お世話になっている竹中レオナさんが立ち上げる「レオナゼミ」の運営に参画させていただくことになりました。


上記で書いた「MERCI」への思いにも通じていますが、スポーツ人材のコミュニティ作り〜育成〜最適配置は、業界に今最も必要なことだと考えます。
運営メンバーとして微力ながらその一端を担えるのは、大変嬉しく思っています。

ゼミ運営には本当にすごいメンバーが揃いました。
リーグ、クラブ、メディア、スポーツベンチャー、、、それぞれの分野の若手エースが集ってます。
毎週朝活をしていても、みんな驚くほどスポーツ産業に詳しい、深い。
そして、様々な他分野から学び、どうやったらスポーツをよくできるか日々考えている。

自分もスポーツビジネスは1年生です。
知識もアイデアも、他のメンバーに比べて、全然足りない。
でも、自分だけの強みもあると思ってます。
その強みを生かして、このゼミに貢献していきたい。

サッカーやスポーツで勝負してきた人、体育会で本気でスポーツに取り組んできた人。
こうした人たちは、一般企業に入っても大手企業に入って活躍できる可能性は高いと思います。
先輩方の活躍からみても明らかです。

でも、それまでの人生の大半の時間をかけてきた好きな競技があるなら、そのスポーツの発展のために、今後の人生の大半を費やすであろう“仕事”をかける価値はあるのではないでしょうか?

「スポーツ業界は稼げない」「日本じゃスポーツで生きていけない」
そんな風に言われ続けたこの産業に、今一寸の光りがさそうとしています。

ある運営メンバーも書いていましたが、日本のスポーツ産業はブルーオーシャンです。

先進国で、GDP対比で、これだけスポーツ産業が小さい国はありません。

自分の一番好きなものが、今まさに変革期で伸びていこうとしていて、しかもその流れ自体を作れるチャンスがある。
流れに乗って作っていくなら、今しかありません。

スポーツに全力で打ち込んできた、あの時の情熱があればできるはずです。
少なくとも僕はそう信じています。

「自分がスポーツに対し、どんな貢献がしたいのか、どんなバリューが発揮できるかわからない。」
そんな意見もひょっとするとあるかもしれません。
でも、スポーツを良くしたいといういう思いが本気なら、課題は自ずと見つかるし、このコミュニティで愚直に目の前の課題に向かい自己研鑽することで、自分の強みやバリューも研ぎ澄まされると思います。

そしてこのゼミでは、みんなの強みを共有し、学び合いながら、全員がレベルアップできる場にしていきたいと思います。

たくさんの「本気」の皆様のご応募、お待ちしていきます。

一回しかない人生、本当にやりたいことで、勝負していきましょう!



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