悟るためのメモ
大抵の者は自分を許すようにと言われても、んなことは当然していると思っていることじゃろう。誰も自分を裁いたり、罰したりしていないと思い込んでいるからなのじゃ。
しかし、わしが観察したところでは、多くの者が日常的に自分を裁いたり、批判したり、罰したりしているのじゃ。そしてそのことに気づかないのじゃ。
しかもそれが当然であり、正しいこととさえ思っていたりするのじゃ。
自分を罰したりすることでこの世の中で生きるのが苦しくなり、悟りの道も閉ざされてしまうこともあるのじゃ。
そのような心の働きがあるのも、親などから植え付けられた条件付けによるものなのじゃ。
たとえば親が保守的で、常識外の行動をいさめるようなしつけをしたならば、子供は大人になっても常識を外れた行動をしないようになるじゃろう。
そしてそれを正しいこととして、疑いもしないのじゃ。
世間で生きていくにはそれでよいが、悟りの道を行く時には障害になったりするのじゃ。
常識的に考えて世の中に悟りなんてあるはずはないとか、自分がそれを得られるはずはないとか思ってしまうのじゃ。
それは親に条件付けされた価値観によって判断する故に、疑うこともできないのじゃ。
そのような原因がまだわからない内には、自分を許すという誓いも必要なのじゃ。
それを何度も繰り返せば、自らに正しい知識と悟りを許すこともできるのじゃ。
日常でも自分を罰したりしている者は珍しくないのじゃ。
世間は甘くないとか、働くのは楽ではないと聞かされてきた者が、苦しい職業に就いたり、いわゆるブラック企業で働くこともあるじゃろう。
過労死するまで働いてしまうのも、自分をそのような条件付けから罰していることもあるじゃろう。
自分が楽しんでやれる楽な仕事に就くこともできる、ということが信じられないのじゃ。
仕事は苦しくつらいものという価値観から逃れられないからなのじゃ。
あるいはまた自分が住む家を掃除しないで汚いところに住んだり、好きな服を着ることができないというような制限もあるじゃろう。
親から度々叱られたりすると、自分にはきれいな家で暮らしたり、好きな服を着る資格もないと思い込んだりするからなのじゃ。
親も子供が憎くて叱ることはめったにないが、子供の頭で解釈するとそのような条件付けが大人になるまで植えつけられてしまうのじゃ。
自分を常識で縛り付けるとか、我慢して生活しているというような罰や制限を自らに課していないか、自分と環境を観察してみるのじゃ。
それができれば時には人によっては驚くような気づきがあったりするじゃろう。、
それを観察して自らを許すようにすれば、よい環境で自分を進歩させることもできるのじゃ。
自らを許し、よい環境で進んでいけば悟りも訪れるのじゃ。
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