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セックスをするならちゃんと愛し合いなさい

 言っておくが、僕は言うほど金を欲しがっていない。正確には昔ほど切羽詰まっていない。カードローンはボチボチあって、たった千円の支払いを10分割の設定にすることもあるが(笑)仮に誰かに一億円もらっても、今の仕事はしばらく続ける。お世話になった社長や上司の力に少しでもなりたい気持ちと、掃除の仕事が嫌いじゃないからだ。

 まあでも、金は自分で稼ぐ。凡夫はあてにしない。凡夫なんて信用できない。ていうか、どうしても僕に金をあげたいという人(勇者)からしか僕は金をもらわない。しかも五千円以上じゃないとダメだ。それ以下の額にはいちいち反応している時間がもったいない。と言いつつ僕自身は千円ずつしか寄付はしていないが、それは僕だから許されることだ。

 金をくれながらその使い道を聞いてくるようなウンコとも一切取り合わない。使い道はまあ、綺麗にいえば画材道具だったりするが、ていうか画材道具なんてほとんど百均で揃えているし、来週買う予定の無印の六十色の色鉛筆にしたってせいぜい二千円だから、基本的には妻の酒や飯代だろう。美容室とか温泉にも行きたがっているから、そういうことに使う。

 妻にはできるだけ贅沢をさせてやりたいと思っている。仕事をさせることももうない。これ以上苦しい思いはさせない。人付き合いも無理強いしない。家事も好きな料理だけを体調の良いときだけやらせる。掃除洗濯ゴミ捨てみたいな雑務はこれまでどおり僕がやる。妻の体調や気分が悪いときはお土産でちょっと高価な総菜を買っていく。休みの日は妻の行きたいところへお出かけする。いや、少しでも散歩をさせないと筋力が落ちるから、外出はむしろやや無理強いする。

 芸術は朝だけ。もしくは仕事が休みの妻が寝ているときだけ。僕が生きている限りは死ぬまで毎日楽園的な状態をキープしてやりたい。ていうか今もうそうしている。だから妻が今死んだとしても僕自身に後悔はない。親にもそうだ。親孝行も十分した。アル中の父を施設にいれて、借金まみれの実家を清算し、母の終の棲家もほぼ決めてある。

 僕自身にほしい物はほぼない。妻がいなければ酒も飲まないし飯も質素で済む。水と珈琲とチョコレートさえあれば、他の食い物はなんだっていい。仕事が休みの日は一日一食も食わないかもしれない。

 だからといって僕はストイックなわけではない。飯や酒や性的欲求なんかより、もっと高次元の欲求が僕を支配しているからだ。いうまでもなくそれは芸術(創作)だ。

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「真理」

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 いろいろな言い方はあるが、芸術とは、人間として「完成」に向かう作業のことだ。だから創っていて少しでも自己が更新されている感覚があればそれで問題はない。誰になにを言われようとそれがすべてだ。自分の心(魂)と一致してさえいれば良い。他人は関係ない。

 一方で、飽きや苦しみから創り出されるものの多くは商業的だが、とはいえそうでないものも存在する。それはしかしもっと高度というか、無意識により近いところまで落ちなければならないので、作り手の満足度や成功率も低い。僕の自由連想小説がそれにあたる。

 僕にほしいものはないと言ったが、僕がほしいのは「空間」だ。大声を出したり暴れまわったりできる空間。そこで朗読をしたい。擬音家として宇宙と交信したい。読むものは自由連想が中心だろうが、今書いてるこんな記事でもいい。

 まあ、いくら空間があっても時間がないとできないことだからまだもっと先になりそうだが、とりあえず目の前にあることをどんどんやって、人間としてより完成に向かうだけだ。そのために掃除の仕事も一生懸命やる。絶対に手を抜かない。それどころか、休憩時間をけずって作業員たち用のトイレ掃除や更衣室の掃除機掛けなどのボランティア作業もやっている。

 ていうか、社長や一部の管理者をのぞいて、今の職場で僕よりマジメに仕事をする人間はいない。ていうか、僕はどんなゴミバイトでも必ず毎日全力で仕事をする。僕は毎日炎に包まれている。仕事も芸術も妻と過ごす時間もすべて同じだ。

 なぜ僕はこんなにも情熱をキープできるのか?

 それはたぶん、僕の両親が心底愛し合った上でセックスをして僕が産まれたからだろうと思っている。これはきれいごとではない。トリストラムシャンディという小説にちゃんと書いてある。

 彼の両親は惰性でセックスをした。要は、お互いの愛が未熟だったせいで、その汗と興奮の濃度が薄く、だから自分はこんな薄っぺらい低劣な人間になってしまったと、その小説の冒頭で主人公はそう嘆いている。一方の僕の両親のセックスは、その汗と興奮の濃度が濃かったに違いない。さらに僕は長男で、妹と弟は僕より劣る。実際見た目もそうだが、健康面でも彼らは慢性的に耳が悪かったり鼻が悪かったりするが、僕は健康そのもの。背も一番高い。僕をつくったときのセックスこそが、両親の愛がマックスだったということだ。だから僕は健康かつ常にこれほど情熱家でいられるのだろう。そういう意味で今さら両親に感謝することもなくはない。

 ちなみに、僕は妻をそういうふうには愛していない。僕の妻への愛はたとえるなら「人類愛」に分類される。かといってそれが真の男女の愛に劣るとは思いたくないが、自分たち夫婦にもし子供ができたとしても、そういう理由でその子供は僕より劣るだろう。まあ要は、セックスをするならちゃんと愛し合いなさいということだ。そう、「何をいってるんだコイツは!」とぜひとも読み流してくれ。おしまい。

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