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『真我』ラマナ・マハルシ(著)より引用-①

あなたは真我です。あなたはすでに「それ」なのです。事実は、あなたが至福に満ちた自分の状態に無知であり、その無知が純粋な至福の上に覆いを被せてしまったのです。私たちが試みるべきことは、この無知を取り除くことだけです。

真我として在ることほどシンプルなことはありません。それは努力も助けも必要としません。人は誤った自己同一化を棄て去って、永遠の、自然な、本来の状態にとどまらねばなりません。

「私は真我を実現していない」という観念を棄て去りなさい。私たちは常に真我なのです。新たな実現というものはありません。ただ真我が明らかにされてるだけです。

究極の真理はとてもシンプルです。それは純真無垢な状態の中に「在る」ことです。これが語られるべきすべてです。

沈黙は絶えず語っています。沈黙は話すことによって妨げられてきた絶え間ない言葉の流れなのです。何の執着もなく、ただ真我の中だけにとどまった純粋な存在状態、それが沈黙です。その沈黙として、永遠に、「あるがまま」に在ること、それが真理です。

あなたはすでに真我として在りながら、どうやって真我に到達するかを知りたがっています。あなたに必要なのは、「私はこの身体だ」という想念と、外界の物事つまり非真我に関するすべての想念を棄て去ることだけです。

「私」という想念と純粋な「私」を区別しなさい。前者は単なる想念であるため、主体と客体を知覚し、眠り、目覚め、食べ、考え、死に、そして生まれ変わります。しかし、純粋は「私」は純粋な存在、永遠の実在であり、無知や想念の幻想から自由です。「私」という想念は自我を、純粋な「私」は真我を意味しているのです。

真の「私」つまり真我は、無限の「私ー私」です。その「私」は完全です。それは永遠なるもの、始まりも終わりもないものであり、もう一方の「私」は生まれ、そして死んでいく、儚い一時的なものです。(中略)「私」という想念の源をたどりなさい。そうすれば、真我のみが残るのです。

静かに在りなさい。そして私は神だと知りなさい。

真我とは「ただ在る」ことであり、「あれやこれとして在る」ことではありません。それはシンプルな存在なのです。在りなさいーそうすれば無知は終焉するでしょう。


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