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ド・ギョンスという人間の共感性


人生には、一生忘れられないような嬉しい出来事がいくつかあると思う


試合で優勝する

志望校に合格する

親友の夢が叶う

愛する人と結ばれる

我が子が生まれる


───推しがソロアルバムを出す






推しが、ソロアルバムを出す





2019年7月1日


忘れもしない、その日
人生で最も愛する推しが入隊した日
575日間の、兵役に立った日

その日から、公の場で彼の活躍を見守ることができない日々が始まった。


通常、兵役は"芸能人の墓場"とも呼ばれていて、芸能人として然るべき仕事がこなせない兵役に立つということは、少なからず彼らにとって喜ばしい出来事ではなかった。
アイドルにとって最も綺麗で華々しい20代に空白期を迎えるのであれば、尚更だ。

だからこそ、大抵の芸能人は2年弱の間待っていてくれるファンに対して盛大な贈り物を残す。
曲、ファンミーティング、写真、グッズ、動画、様々なコンテンツを準備し、それを通して『待っててね』というメッセージを送るのが(有り難いことに)"普通"だ。

──否、"普通"だと思っていた。この日まで。


こちらをお読みの方々はご存知の通り、私の推しことEXOのD.O.(以下ギョンス)は、一世一代のこの日、私達ファンにたった一曲のみを残し、長い長い兵役生活に旅立った。


ぶっちゃけビビった。

何故か。

MVが、推しの姿が一切映らないアニメーションMVだったからである。


え?

本気?


本気だった。

なんでアルバムじゃないのとか、もう一曲くらいくれてもとか、少しくらい活動してくれてもとか、そんなことは最早思わなかった。

思う余地すらないくらい、清々しいほど静かな入隊だった。

当時のオタクは皆口を揃えて「むしろ用意してくれてたんだ、ありがとう」と深く感謝していたことを記憶している。MVに映るサボテンに推しを見出す我々は、周りから見ればそれはそれは惨めだっただろうと思う。


ここで、先立って兵役に服した長兄シウミンの入隊ファンミーティングで彼が残した有名な言葉を、今一度見返してみる。

淡白か。

知ってた。


そう、知ってた。

確かデビューしてすぐのベッキョンのセンパ(ファンと一緒にする誕生日パーティー)でのコメントも、感動的なコメントを残す我らがリーダースホさんの後に
「朝からずっと祝ってます。ベッキョナおめでと。」
だけだったとかいう彼。


"彼らしい"

そう表現するのがぴったりで、

あまりにもぴったりで、

あまりにも、寂しかった。


よりにもよってタイトルが【괜찮아도 괜찮아】(大丈夫でも大丈夫)

彼が作詞にも関与したというこの曲の歌詞が、傷ついた心を包み込むようなこの歌詞が、余計に心にキた。

オタク全然大丈夫じゃないけど、大丈夫?

もう既に毎日恋しいけど、大丈夫?

そっちは大丈夫かもしれないけど、こっちは違うの知ってる?

恨み言のように独り言つ日々。

でも、それも彼らしいから仕方ない

だからこそ、愛おしいのだと。



そんな曲を残して、彼が立ったこの日から丸2年が経った。



────2021年7月1日 本日





EXO  D.O.
ソロアルバム"공감"リリースを発表







絶叫した。

多分全世界がしたと思う(体感)


공감は直訳すると「共感」という意味で、私は2年ぶりに、推しのブレない"彼らしさ"を痛感した。

というのも、彼はトップアイドルを長くしているにも関わらず、"人の心の一番近いところに立ってくれている"と感じることがあまりにも多い。

普通、人間は置かれる環境が変われば、心持ちも変化するものだ。
それは悪いことではなく、特に芸能界のような特殊な場所に身を置くのであれば、当たり前のことだと思う。

だが、彼はデビューしてからずっと変わらず、一貫して自分を表現するときに使う言葉がある。

"ただの人間 ド・ギョンス"


謙虚なアイドルのモーションとして使っているのではなく、彼は恐らく本気でそう思っている。

一例として、番組の冒頭で自己紹介をする有名なシーンを切り取ってみた。


インタビューを受けるとき彼はいつも、自分をより普通の人間らしく見せようとする。

前にTwitterでも共有した、こちらもまさにその表れだ。



思えば、何に対しても彼は"そう"だった。

撮影中スタッフの方にまで気を配って腰を低く振る舞うのも、
メンバーが困っていると一番に側に寄って世話を焼くのも、
お腹が空く時間になったらいつもマネージャーにご飯を作ってあげるのも、
近くの人にただ優しく在りたいと、そう歩幅を合わせて歩もうとする彼の心を垣間見るようで。

トップアイドルと人気俳優の二足の草鞋を履いて歩み、富や名声を勝ち得た彼。
にも関わらず、いつだって私達と同じ一人の人間としてそこに居たのだ。


掘り下げて言うなら、一般的にいわれる共感性は、相手の感情を自分の感情として写し取ることを指すが、私の感じる【ギョンス特有の共感性】は少し違う

共感は英語で"Empathy"

このEmpathyという単語は、en(~の中に)という意味と、pathos(強い感情)という意味の二つが掛け合わさってできたもの。

感情の中に入る

まさにこれがギョンスらしい共感なのだと私は感じている。

誰かの感情を写し取ることが一際得意なチャニョルやカイといったメンバーがいるEXOのファンには分かりやすいかもしれない。

ギョンスは彼らとはまた違う、相手の心の中に入り側に立ってただ黙って佇んでくれるような、そんな共感性を持っている。

チャニョルが声帯手術で声を出せないとき、ただ黙って側にいてくれたことや、
カイくんがサイン会で涙を流したとき、「泣いてない」と言い張るカイくんに「そんなこと言うな。泣いたら泣いたんだよ」と言葉をかけたことも、
彼なりの静かで温かな共感性なのだろう。



さて、話を戻して、ここまで彼の心の在り方、寄せ方を踏まえて今一度2年前にリリースした괜찮아도 괜찮아という曲について考えたい。

そうすると不思議なことに、最初に感じた寂しさとは全く別の感情が湧き出てくる。

そう、これもまた、たまらなく"彼らしい"曲なのだと

妙に温かで優しい感情を抱いた上で納得するのだ。


以下意訳ありますが私が一番好きな部分の翻訳を綴ります。


時が過ぎて、また思い出したら言えるのかな
君も「幸せだった」と
君と一緒に泣いたり、笑ったり、
期待したり、傷ついたね
自分のすべてを注いで愛したりしてさ

心の赴くままに、ありのままに生きてよ

言えない悩みも、深く傷ついた場所も
いつだって同じ速さで流れる時間が、
いつものように洗い流すから

だから流されるように生きても大丈夫

ただそのままで大丈夫なんだよ


鬱病になりやすい人は、真面目な人が多いらしい。

何もかもを真摯に受け止めるあまり、いっぱいいっぱいになってしまって、結果的に心を病んでしまうそうだ。

この曲はまさに、そんな何処にでもいるような人達に向けたような曲だと思う。



無理しないで
心を傷つける感情や出来事は流して大丈夫
受け止めないで、流して
無理なら、時間が解決してくれるから大丈夫
だから、君はそのまま、ありのままで生きてよ



こんな歌詞を書く彼が今月末リリースする공감

まだ何も情報が出ていない今日だけど、きっと収録曲は世界の片隅に生きるたった一人の人間ですら置きざりにしない曲なんだろう


否、彼は今まで一度だって誰かを置いていったことはないのかもしれない。


2年前のこの曲も置いていかれた気になったのはこちら側の勝手な穿った解釈だっただけで、いつだって彼は私達の心のすぐ側に佇んでいた。

そして我々に呟き続けるのだ










いいからとにかく飯を食え、そして健康でいろと。










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昆布.


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