オンラインゲームはメタバースなのか?
こんにちは、Linxと申します。私は趣味でゲーム等を作っている者です。最近ではバーチャルSNS『cluster』内でゲームワールドを作ったりしています。
本記事ではメタバースについて私なりの考察をまとめていますが、私は専門家や研究者ではありませんので、私が今までに体験したことをベースにした考察となります。そのため、間違った考察と多くの独断と偏見が含まれています。ご了承の上で本記事を読み進めてください。
さて、最近「メタバース」という言葉が話題になってきました。フェイスブックが社名をメタに改めたことや、「メタバース」の言葉の起源については他の多くの記事で書かれているのでここでは省略します。
ここで必ずある指摘があります。「メタバースって前からあるじゃん、MMORPGとかのオンラインゲームだってそう。」という指摘です。では、オンラインゲームはメタバースなのでしょうか。
メタバースの明確な定義は無い
メタバースとは「インターネット上で共有できる仮想空間」のことであり、それ以上の明確な定義はまだ存在しないと思われます。なので、どこからどこまでがメタバースなのかは私にもわかりませんし、現時点では誰にもわからないです。むしろ、「〇〇(特定のプラットフォーム)こそがメタバースだ!!!1」と言っている人ほど危険な感じがします。
しかし、これでは答えになっていない。「インターネット上で共有できる仮想空間」をできるだけ広く解釈すると、その本質はコミュニケーションだと私は思っています。つまり、オンライン上でコミュニケーションができればメタバース。「メタバース」の領域を可能な限り広く取ると、そうなります。ビデオ通話も、twitter等のSNSもメタバースと言えるでしょう。この視点では、当然オンラインゲームはメタバースに含まれます。
一方、VRやARはそれ自体は映像技術でしかなく、メタバースとは別の種類のものです。なぜメタバースの話題になるとVRが出てくるのかは後述します。
オンラインゲームはゲームが主役
この画像は、「現状」のメタバースを地図にしたものです。いくつかの分類がありますが、それぞれに明確な境界はありません。
この地図に関して「これはここじゃない」等の意見があるかと思いますが、これは私の主観に基づいて分類したものなので、正しいとは限りません。
オンラインゲームにはコミュニケーションが含まれますが、多くの場合はゲームが主役です。
筆者は2017年8月31日まで、MMORPG『エミル・クロニクル・オンライン』(略称:ECO)をプレイしておりました。ECOはアバターの着せ替えやハウジングの自由度が高く、レベル上げ等をせずに最初の街でオシャレを楽しみながら雑談するプレイヤーが多かったように思います。私もプレイを続けるうちに野良パーティーから離れ、交流する人が固定化していき、気付けば時間の半分くらいを街で過ごすようになっていました。そこでの体験はコミュニケーションであり、アバターを活用した自己表現であり、今私がclusterにいる時間に感じていることと極めて近いです。
一方で、時間のもう半分はゲームコンテンツ(周回やアイテム集め)に費やしていました。プレイヤー層も基本的にはゲームを遊びに来た人であり、会話の内容もゲーム内容に関するもの(スキルの強さ議論とかダンジョンの攻略法とか)が半分程度を占めています。ゲームを遊ぶモチベーションのない人にとっては、居心地の悪いコミュニティだったかもしれません。
もっとも、ECOには私がいた範囲の他にも多くのコミュニティがあったため、ゲーム攻略の話題が無いコミュニティがあったとは思います。ただし、オンラインゲームでそのようなコミュニティが成立するためには、アバターの着せ替えの自由度がすごく高いとか、そういう条件が必要なため、多くのオンラインゲームがゲームを売りにしている以上、ゲームの話題が大半になるのでしょう。
オンラインゲームは旧時代のメタバースモデル?
ゲームが主役であることは、VRSNSにありがちな「始めたけど何をしていいかわからない」という問題にならなくて済みますし、攻略をきっかけにコミュニティに参加できるので大きなメリットがあります。それでいて、オンライン上の空間を共有するという点ではメタバースと呼んで問題ないでしょう。
…現時点では。
将来的に、従来のようなオンラインゲームはメタバースと呼ばれなくなるかもしれません。
ここで、議論を「これはメタバースに含まれるか、そうじゃないか」から、「より良いメタバースとはどのような状態なのか」に変えることにします。将来的にもメタバースと呼ばれるものは、「より良いメタバース」だと思うからです。
話を戻すと、従来型のオンラインゲームはコミュニティにとって重大な問題があります。コミュニティがプラットフォーム(ゲームタイトル)の垣根を越えられないということです。その人がその場所で時間を過ごしているのには友達との会話を楽しむだけでなく、ゲームを遊ぶというモチベーションがあります。ゲームに飽きた人は一度去ってしまうと戻ってきません。サービス終了すると、何年も関わってきたコミュニティがそのまま解散することも珍しくありません。私が所属していたコミュニティはECO終了時に別のMMORPGに移住を試みたのですが、ゲーム性が違ったり、アバターが違ったり、着せ替えの自由度が全然無かったりして結局人が離れてしまった記憶があります。
一方で、ひとつのゲームだけに依存しないコミュニティは比較的安定しています。例としては、Discord等で誰かがゲームを始め、そこでそのゲームを一緒に遊びたい人が参加するようなコミュニティです。
cluster発祥のコミュニティ「えんきす」はclusterだけでなくVRChatでも活動していますし、最近だとえんきす内でクラフトピアが流行っていました。今日はどこで何をするか、という部分でDiscordがHUBになっている感じです。
何故クラフトピア?と思われるかもしれませんが、クラフトピアはVRMファイルの読み込みに対応しているため、clusterと同じ姿でマルチプレイが可能だからです。自分の姿が違うというのは、コミュニティがプラットフォームを越えるうえで大きな障壁になります。他にもVRMを使ってマルチプレイができるゲームがあれば、そちらに遊びに行くこともあるでしょう。
私はオンラインゲームのサービス終了によって多くの人間関係を失った経験があるので、「より良いメタバース」の条件として、まず「コミュニティがプラットフォームを越えられる」を挙げます。そのためにはアバターの互換性などがあると有利で、アバターを課金で販売している従来型オンラインゲームにはVRMのようなことはできません。アバターがそのサービス内でしか使えないとなると、圧倒的な一強状態でない限りはメタバースとしては生き残れないかもしれません。
ゲーム内経済からクリエイター経済へ
この地図で「オンラインゲーム」の領域にいるのは従来型のオンラインゲームであり、運営がルールや目的、アイテムの価値を決めていることが特徴です。ゲーム内のワールド、アイテム、アバターなどは全てゲーム開発者が作ったものであり、ユーザーが勝手に追加することはありません。アイテムの価値はガチャの確率やゲーム内での強さを基準に決まり、ユーザー間で取引されますが、その基準は運営によって(確率緩和とか、より強いアイテムが出るとかの手段で)コントロールされるため、実質的には運営が決めています。
このような仕組みはUGC(ユーザー生成コンテンツ)およびクリエイター経済の世界と相性が悪く、例えばVRMがアップロードして使えるということは、運営がゲーム内アバターを作成・販売して収益を得る機会を失うということになります。
私は「より良いメタバース」の条件として、第二に「参加者がクリエイティブになれる」を挙げます。これは誰かが提唱したわけではなく、私の勘みたいなところがあるので、あまりあてにしないでください。でももちろん根拠はあります。
空間を伴ったコミュニケーションでは、周囲の空間や参加者の身なりはコミュニケーションの一部だからです。どんな格好でその人に会いたいか、どんな場所で過ごしたいか、現実でもある程度自由に決められる…というより、適切なものを選ばなければならないと思います。メタバースではそれがもっと自由になります。なりたい自分になれる、は「より良いメタバース」の条件です。メタバースにおいて、なれる自分の姿・過ごしたい場所の選択肢が無限にあるということは、「参加者がクリエイティブになれる」ということを要求します。
この点においてもオンラインゲームは「より良いメタバース」の出現時についていくことができず、ゲームとしては存続しても、それ単独でメタバースを名乗るみたいなことは考えにくいです。
コミュニケーションの身体性
上で紹介した地図では表現できていないのが、コミュニケーションの身体性の違いです。本記事では、オンライン上でのコミュニケーションの身体性を「同じ時間、同じ空間にいる」ということをどれだけ感じられるかということを基準に考えます(もっと適切な言葉があるかもしれません)。
・テキストで会話(非リアルタイム)
・テキストで会話(リアルタイムチャット)
・3D空間上でアバターを動かせて、テキストで会話
・音声のみの通話
・3D空間上でアバターを動かせて、音声で通話
・VRでアバターを動かせて、同じ場所にいる
・VRでアバターを動かせて、音声で通話
ゲームに慣れている方ならわかると思いますが、下に行くほど「コミュニケーションの身体性」が高いです。つまり、物理世界に近い体験が得られます。
全員がそうではないかもしれませんが、VRを毎日使っているような人は「コミュニケーションの身体性が高い」ことが「より良いメタバース」の条件と考えているはずです。VRはそれ自体はメタバースではありませんが、メタバースをより良いものにできる可能性を秘めたデバイスです。VRはコロナ禍で生じた孤独を癒してくれます。
ただし、これが普及するかどうかは別です。コミュニケーションの身体性が高いということは、コミュニケーションのコストがかかるということ。要するに面倒ということです。大抵の場合、Discord等でメッセージを送れば連絡としては十分で、HMDを被る手間が省けても、わざわざ(時間と場所を指定して会う必要がある)VRを使う人はいません。「コミュニケーションの身体性」をできるだけ高くできる一方で、必要に応じてコミュニケーションの身体性のレベルを下げられると「より良いメタバース」になると思います。
まとめ
「メタバース」が何かはまだ誰もわからないので、「より良いメタバース」となったものがやがて「メタバース」として認知されるようになるだろう。その基盤は「コミュニケーション」。
私が考える「より良いメタバース」の条件
①「コミュニティがプラットフォームを越えられる」
従来型のオンラインゲームは、いわば中央集権型。コミュニティファーストを考えた時、もっと分散的な世界に移行する。その時ゲームは主役ではなくなり、ユーザーが主役になる。
②「参加者がクリエイティブになれる」
クリエイティビティとコミュニケーションの融合。自由な表現ができる世界だからコミュニケーションが生まれる。
③「コミュニケーションの身体性が高い・レベルを選べる」
オンラインでも「同じ時間、同じ空間にいる」を感じられるようになる。一方、そうではない体験も許容される。
つまり、私の想像する「より良いメタバース」は複数のVRSNSやゲーム、従来型のSNSや通話アプリなどから構成されるひとつながりのコミュニケーションであり、「あるひとつのオンラインゲームがメタバースかどうか」というと、「単独でもメタバースを構成できるけど、やがて連合軍に勝てなくなる」というのが私の考えです。
しかし、メタバースの未来は誰にも分りません。本記事の内容は私の理想を多分に含んでいますので、こんなにうまくいくとも考えていません。でももし共感してもらえたなら、「より良いメタバース」のために共に前進しましょう。
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