「西洋傑婦伝 第二編 ナイチンゲール」 前書き〜最初
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中村勁林編、ナイチンゲール (西洋傑婦伝 第二編)、東洋社
明治34年(1901年)刊
一番古そうなナイチンゲールの本を辿って、これに行き当たりました
日本で最初に書かれたナイチンゲールの伝記とか
前書きと本文の触りのところを載せてみます
前書き
ナイチンゲール孃と赤十字事業とは、何も其間に直接の關係はないのである。然るに世間では孃のことを「赤十字の女王」なんて言ひ囃すのは、なぜであらう?烈女だとか女丈夫だとかいはれる者には、得て氣の勝つた「まるで男見たいな」と善い意味で驚き稱へられる類のものが多いのである。然るに孃は、極溫順な謙遜な方でありながら、どうしてアンナ修羅塲裡の天使といはれたやうな働きが出來たらう?又孃は、躰軀のキヤシヤな弱々しい方なのである。然るにどうして今年八十二歳の高齡を保つて、尚元氣よく暮して居られるのだらう?其他斯る疑問は數へ立つれば幾らもあるが、凡て此等の解釋は孃の傳記がおのづからに答へることであらう!併しマー考へて見れば、孃が看護の事に手を出してからこのかた、何れの州何れの國にも、やんごとなき貴婦人をはじめとして、立派な方々までが斯事に親しく力を盡されることになつたといふ次第なので、爾來看護婦の値打が上つたかの如く、ズツト高尚に見えるやうになり、世人も亦相等の尊敬を拂ふ樣になつて來たといふが世界一般の趨勢であるらしい。併元來この看護といふことは、トテモ男子の及ぶことの出來ない特得の技能をば女子は持つて居るのであるし、且又、タトヒ貴いものでも、賤しいものでも、富めるものでも貧しいものでも、是非共一通り此の心得は無くてはならぬ筈のものであるから、花をいけたり茶をたてたり琴をひいたり、尚下つては三味線大皷俗謠舞踊の樣なものに力こぶを入れ身を窶して、ヤレ御稽古だの、おさらへだのと處女時代の大部分をかういふつまらないことに浮かされてウカウカと費し過させる親達子達は、其等にも増して幾層倍高尚で又必要である藝能を、全く忘れては居やしないか、ヨーク考へて貰ひたいのである。それから又婦人が職業を取らねばならぬといふ塲合に立至つた時にしても、慥に斯職は尤適當なものゝ一なのである然るに我邦の看護婦は、どうも世人からソー善いものゝ樣には思はれて居ない。醫が仁術であれば看護も同樣に仁術でなければならぬ處が、御醫者樣と看護婦とは、隨分其差別がひどい。「フム看護婦か」といふ樣な風で、彼等を輕く見ること藝人の類に劣り、さういふことから遂に神聖な看護といふ業務其物までも侮られて、世の父母たるものも教へることを嫌へば子も習ひたながる樣な勢になつた。但一躰これは誰の罪であらう?兎にも角にも世の看護婦たる者又世間一般公衆の人は、孃の傳記に依て聊悟る所がなければならぬのである。………それから、此篇中には、孃が經歷中に起つた周圍の事情を明にしたり、又クリミヤ戰爭の基因などを畵いて、夫れ等の爲に豫定の紙數に餘程増した册史となつた樣な譯なのだが、是は「どうしても今日我邦の婦人には今少し世界的智識を與へなければならぬ」といふ我輩の考へから、其補ひの一片の積りで記載したのである。殊に又赤十字のことは、該條約と該結社との間には何等公然の關係は無いのである。それにかゝはらず世間では、女子も男子も立派な方々までも、大方混同してしまつて區別を付けないで一緒の樣に思つてる樣だが、成程二つをゴツチヤにするのも無理のない譯の所もあるのではあるけれども、世界公共的事業中尤高尚な文明的な赤十字のことの成立、其他一切が判然せぬ樣なことでは、文明國に住める人の恥辱であらうかと思ふが故に、やゝ細かにいろ/\説明した樣な仕末なのである。………又此傳記を編むに付ては津田梅子、安井哲子、高山盈子、石黒忠悳氏、坪井正五郎氏、アルホンソガスコ氏、ウエスト孃、吉安延太郎氏、鴨島實氏等から與へられた貴重の材料と有益な談話とによつて、大に得る所があつたは厚く感謝に堪へない次第でありますが、元來此傳記は世人の需用注文に應じて生れたのだから、出來得る限り迅速に仕上げたので、ヤヽ急いだ氣味がある。遂に、それでなくてさへも粗漏な書き方が尚一層まづくなつてしまつた。爲に色々の厚意を受けた諸賢の思召にも果して幾分かは答ふることが出來たや否や、又大方讀者諸君の折角の希望にも叶ふことを得るや否やは、誠に心元ない限りに存じまするが併我とても之を以て滿足した譯ではありませぬ。他日更に材料を海外に仰いで、どうかして、孃の傳記として恥かしからぬものを編みたいといふ存念でありますから、願くば諸孃諸彦にありても、予の意のある所を了せられて、何角の御忠言を下さるゝやう、我はそを仰ぎ待ちて居ることであります。
明治三十四年七月
勁林園主人識
目録
$${{西洋傑婦伝 \atop 第 二 編}}$$ ナイチンゲール
目錄
あはれナイチンゲール!……………………一頁
ナイチンゲールの生立……………………六
伊太利の名都――孃の父母――孃の幼な遊び――ヴヰクトリア女王即位當時の世の樣
ナイチンゲールの修養……………………一七
孃の歐阿巡視――第一回世界大博覧會――孃の遊學――フリード子ル氏――エリサベスフライ夫人――孃とハーレーの看護院
クリミヤ戰爭……………………三四
ピーターの遺訓――オットマン帝國の衰弱――露と佛――露と英
クリミヤの惨報……………………五〇
軍需の缺乏――疫病の流行――病院の不整頓――従軍記者の通信
クリミヤの天使……………………六四
孃と陸相との書簡往復――燈火の貴女の光明――ロングフエローの詩
ナイチンゲールに對する英國民……………………九六
國民の歡迎――女皇の優待――大臣の感謝
赤十字とハインリッヒヂユナン……………………一〇七
ヂユナンの性行――ソルフエリノの戰――グスターヴモアニエル氏――ヂユ子ーヴの會合
日本の赤十字事業……………………一二六
赤十字條約――赤十字社則――條約締盟國――入社加盟國――日本赤十字の由來――石黒忠悳氏談――日本赤十字の優點――日本赤十字病院一覧――高山盈子談
ナイチンゲールの現在……………………一七七
石黒忠悳氏、津田梅子、安井哲子談話――孃と女皇――ナイチンゲール唱歌
附録
ナイチンゲール昔々物語……………………一
本文
$${{西洋傑婦伝 \atop 第 二 編}}$$ ナイチンゲール
女子之友記者 勁林園主人編
◎あはれナイチンゲール!
「ナイチンゲール」とは、「アングロサクソン」語の (Nihtegale)、すなはち夜間の唱者の義にして我邦「うぐひす」鳥の一種に属し、數類あり Philomela Nightingaleを以てその宗の祖となす。
彼女嚴冬を南地に避くるの他は、夜となく晝となくその清舌美喉を轉して休まず。たとへば百八十鳥の粋をあつめて、之に加ふるに彼女が獨得の巧調を以てしたらんが如く、アハレ、彼女が喉笛には如何なる奥妙の機關をや寓しつらん。
アリスフアニースの時代より世を經る幾とせ、遂に現今に至るまで、其間、名匠樂師はあまたヽび之が調節を摸擬せんことを企て、文人韻士はいくたびか之が霊音を頌表したれども、然も遂に及ばざりき値せざるなりき。
然り、彼女はかヽる美妙の音を腹中に蔵せり。然れども、彼女の衣はまことに質素なり。雌雄共に同樣なる引立たぬ着色の羽毛被て、上部は淡紅鳶色、下部は暗灰、胸部はむしろ暗黒にして、只尾羽の茶褐色のみ、やヽ目立ちてぞ見ゆるばかりなる。
この鳥は毎年四月の半ば頃、南暖の地より歐州の古巣に歸る。移住鳥の特習として、雄鳥は先づ雌鳥より數日前に故土に着して塒を爰に調へつ、元來し道を再戻りて雌鳥や遅しと途に待ち受く。此の間ぞ彼等は――雄も雌も――、心限り力限りの奥妙なる音を弄し、聲を放ちて互に戀歌を奏しつヽ、其の在處を報し合ふことのよすがとぞすなる。
されどもあはれいとほしき鳥共よ。人なる鬼は兼ねてより手ぐすね引いて待ち構へつるはや。雄は雌の遅きことよと待ち詫びつヽ、雌は雄や何處にかと氣遣ひつヽ、清き巧なる相聞歌を歌へるとき………あはれ無慚!彼等はまだ愛らしき雌の姿を見ぬうちに、慕しき雄の影をだに認め得ぬに、悲むべし彼等は早や人なる鬼の網にかヽれり。
彼等はやうやうに聲を尋ね合ひて其愛らしき其慕はしき姿影を見定めつれば嬉しさも亦一入、ひときは歓喜の聲張り擧げ、間關として愛袁登賣、愛袁登古、邇夜志哉、邇夜志と歌へるときあはれ無慚!雄は雌へと、雌は雄の許へと急ぐなるに、偕に樂しき翼を比べんとすなるを、悲むべし、倏忽、彼等は鬼なる人の籠牢の中に入りぬ。
吁、かくのごとくにして其患を免るヽものは僅に十の一のみ。然り彼等はかくのごとくにして自由の天地を失ひつれど、人なる鬼の心は、さまで鬼の心にはあらで、彼等を愛することの切なるからに、自己が側にしたき心の濃なるからに、他に詮すべもなきからに、斯る非常手段をば行ひて手荒き業をばしつれ。
よしや、鳥共の目には牛頭馬頭の青鬼赤鬼とも見ゆれ、人なる人の心は左までは殘酷からで、此いとほしき鳥共の爲に、あらんかぎりの歓待を盡しつヽ百方力を盡して彼等を手なづけんとするに、彼等も何時しか心解けて、清き調べをば鬼なる人の前に捧ぐるやうには至りぬれど、さはいへ雄を戀ひ雌を慕ふ心の如何で已まんものかは。
誠こは、山賊が美婦を掠し來つて、之に強ふるに舞曲踏歌を以てするに異ならでやは。
人なる鬼は目を細くし或は手を拍ちて喜べども、賤の小田巻くりかへしつヽ哀情の底を訴ふるぞ、やがてや彼等が悲愴のしらべなる。
人なる人の心にか鬼なる鬼の心にか、たとへば、宇宙洪黄無窮無限の森羅万象が、凡て是人なるものヽ爲に形造られしとすれば、恐くば彼等は人なる人の愛玩物として此の世に生れ出しものならめ。以て弄せらるべく、以て役せらるべく、以て殺さるべく、以て食はるとも猶可なり。さはいへ、萬物は豈故意あつて、獨り人にのみ幸して億兆の他物に禍せんとするものあらんや。
思うて爰に至れば、吾人は、誠に、世上仁義を唱へ博愛を説くものヽ、眼界の狭小を恠疑せずばあらず。アー、萬物は人の爲に此世界に造り出されしなど云はん迷流は、何處如何なる魔谷より湧き出でつる癡泉なるかよ。
もしそれ、物は其物の爲に生れたり他物の爲にあらずとしたらんには、権利は平等なり、物もなし人もなし。天覆地載の間、幾億の萬物、家畜草木孑孑の微に至るまで、一視して仁を同うす。豈之を愚弄し、叱咤し、殺戮するに忍びんや。
アハレ、無辜の萬物は、爰に此の、狡獪邪智獰惡殘忍なる人てふ最大惡動物の爲に、時々刻々分々秒々、如何に、侵害を加へられ、如何に暴横を極めらるかよ。到底仁義といひ、道徳ととなふるものも、誠に天地は狭きかな? 狭き間に行はるヽ道徳は蠻人もよく之をなすなり。猛獣毒蛇も猶其品彙匹儔をば害せぬなり。五十歩を以て百歩を笑ふとは慥に世上仁者の謂ひなり。
……然り。さはいへどもまた、生物の或物は故なくして人を噬めり。人の物を盗めり。人の作物を荒せり。刺棘を以て人を突けり。人の躰内に繁殖して人を殺せり。これもまた、數へ擧ぐれば其の類いとも多かり。只、この鳥!無邪氣なる憐れなる此の鳥をして、朝々暮々、晴れやらぬ悶々の思ひに、余年を送らしめんことを敢てすなる人の仕業のみは、深しとも深き罪あることならぬにか。
吾人は、今、歐州に於て、世界に於て、彼等を愛養する其人の多く、彼等を掠奪する其數の夥しきは、英國の以て最たることを知りぬ。アハレ、鳥!汝の聲の美なるは、即、汝の仇なるはや。さはいへ、汝徒に怨むなかれ、託つなかれ、汝は人の爲めに――殊に英人の爲に――尤愛せらるヽなり。……また汝が爲に千斛の涙を注ぐ吾もあなるに……汝等を殺さんともいはじ。ゆめ/\、食はんとも思はじ。但、汝等が人の爲に苦痛と窮屈とを忍びくるヽ大功徳は、誠に、廣大無邊、アー、善行のこれより善なるはなからん。美事のこれより美なるものやある。仁の極なり。愛の至なり。
あはれ、ナイチンゲールの名は、仁の極愛の至なるかよ!病院の天使、戰場の天使、慈愛の塊、人の中にも人といはるべき、人中の花、花中の王、眞率敬虔の清き乙女は、このナイチンゲールてふ名を負びて、英國より顕はれ出でぬ。
前書きの熱さがたまらない
我こそ世間にナイチンゲールの素晴らしさを知らしめてくれよう、という熱い意気込み
肩にもりもり力の入った感じ
国立国会図書館デジタルコレクションには、もう一つ新しい版も収められていますが、敢えての初版で
旧仮名旧漢字は読み辛いけど、慣れればいけます
本文1章もほぼ鳥の話で、つっこみを入れずにはいられない
続きを乞うご期待、です
勿論、どなたかやってくだされば、ありがたく読ませていただきます
看護師国試になってからナイチンゲールは出てません
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本は同じです
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