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ナナシス歌詞鑑賞「カミ-ノミ-シル」EP2.0『ミツバチ』

インターンシップのESに追われる同大ナナ研。

きょうび郵送ってどういうことだよ……送料さえ惜しいこの頃に限ってお金が飛んでいくのは逃れられない宿命なのでしょうか。願わくば東京の会社までミツバチに運んでほしいですね、ESもろもろ。

ということで、今回はLe☆S☆Caで『ミツバチ』。有名な話ですが、この楽曲はUNISON SQUARE GARDENでベース&コーラスを担当されている田淵さんが作曲。ナナシス曲で言うと他には『LOVE AND DEVIL』も田淵さんが手掛けていまして、いやはやありがたいったらこの上ありません。ちなみに編曲はやしきんさん。いずれも天才の模様。

そういえば……茂木さんと田淵さんが対談されている記事を読んだことがあるのですが、ナナシスで特に好きな曲として田淵さんは『ひまわりのストーリー』を挙げられていました。それーーー!!!(×100)。この瞬間から私の田淵株は連日ストップ高を記録しています。もともと有力株でしたけど。

タブ×モテの話題はこの辺にしといて(なんだそれ)、早速『ミツバチ』の世界を覗いてみることにしましょう!


あの坂道を見下ろす丘で
少しだけって背伸びした
誕生日に届いた便箋は
今も開けてないけど


私個人の見解としては、茂木さんは「語感重視で、かつ楽曲に強いストーリー性を含ませる」作詞家であると認識しています。とくにLe☆S☆Caの楽曲では、強い物語性を感じさせることが多々あります。

「あの坂道を見下ろす丘で 少しだけって背伸びした」あの坂道ってどの坂道? 具体的な風景は分かりませんが、何か大切な意味を持った場所のようです。続く部分では、「少しだけ背伸びした」のではなく、むしろぐんと背伸びしているのかもしれません。なぜなら「少しだけって」→「少しだけ」って、と解釈することができるからです。まだ続く花火大会を前に、どうしても帰らなくてはならない親子を想像していただくとよいでしょう。「もう帰るぞ」とお父さんが急かすけれど、「もう少しだけ!」子供は少しでも長く花火を見ていたいから、小さな背をぐんと伸ばしますよね。

この場面で「私」は、「あの坂道」を見ることにどことなく後ろめたさを感じているのでしょう。それはなぜなのか? 「想い出は見る度に 滲む場所広げる」からですね。これはまた後で詳しく見ていきます。

「誕生日に届いた便箋は 今も開けてないけど」ここでだいぶ見えてきました。誕生日に送られてきた便箋、普通の友達にはこんなことしませんよね。これは自明ですが、『ミツバチ』において「私」に対する「あなた」は手の届かないほど遠い場所に存在しています。つまり彼女たちは、遠く離れたお互いをつなぐための文通を交わしているのでしょう。

まだ便箋を開けていないのは何故でしょうか。完全に憶測ですが、これは普段やり取りしている文通とは別枠で届いたものなのかもしれません。特別な意味を持つ便箋は、タンスのなかにそっとしまっておく派……なのかな?


頬を撫でてた
そよ風たちが立ち止まったら
そこに込められた
あなたの息遣いを
ミツバチが運んでくれたの


うららかな春風の肌触りを感じさせる、心地よい歌詞ですね。「そこに込められた」そこ、とはおそらくですが、便箋のことを指していると思われます。特別な便箋を開けてしまうのは惜しいけれど、そこに込められた息遣いを「ミツバチ」が運んでくれたのです。

では、「ミツバチ」とは何でしょうか。これもよくある暗喩の一種でしょう。「わたし」と「あなた」を心のなかでしっとりとつなぎとめてくれるもの。それは必ずしも一つに限らないかもしれません。「便箋」だってそうだし、「想い出」だってそうですよね。

もしかすると、もう再会することはなくて。そうしてお互いがそのことに気づき始めているのかもしれません。それでも、二人の絆は「ミツバチ」によって固く結ばれています。


ねぇ想い出は見る度に
滲む場所を広げるけど
そう色付いたあなたの
微笑みは瞼にあるの


きましたねぇ(微笑み)。とても詩的でうつくしい表現です。「ねぇ想い出は見る度に 滲む場所を広げるけど」あのとき、何気なく撮ったひと夏の風景。それはいくつもの夏を越えて、特別な「切り取られた一瞬」に変わっていく。写真が色あせるほどに、あの頃の記憶は色鮮やかに浮かび上がってくるものですよね。ときには涙を浮かべることもあるかもしれません。「そう色付いたあなたの 微笑みは瞼にあるの」とりわけ色濃く、ありありと手に取るように思い出されるのは「あなた」の微笑み。それはもはや記憶とは呼べないかもしれません。瞼の裏側にはっきりと残されているのです。


元気でいるかしら
今もまだ少し寂しいけど
それぞれ違う道で育てた花束
届きますように
笑顔でいるのなら
それだけでいい
大切なあなたに
届くように心で綴った
ミツバチの便りを出す
春のうららに


結ばれたまま、だけども決して届かない恋の歌は、祈りとなって春のうららに放たれます。きっとこのサビの歌詞めっちゃ好きだ! っていう人が多いのではないでしょうか。私も大好きです。

「元気でいるかしら 今もまだ少し寂しいけど それぞれ違う道で育てた花束 届きますように」花束は「想いの結晶」でしょうか。それぞれ別の場所で、寂しさを紛らわせながらも、想いを紡いできました。言葉には直接現れない想いだってあるはずです。願わくば、この大切な想いが「あなた」に届きますように……きっと彼女は、文面でもあまり「素直」ではないのかもしれません。

「笑顔でいるのなら それだけでいい」これは良い感じで挟まれていますけど、茂木さんのお遊びです(断言)。素直じゃないからね、しょうがないね。

「大切なあなたに 届くように心で綴った ミツバチの便りを出す 春のうららに」届きますように→届くように、と二重に記してありますのでこちらが本心です。「笑顔でいるのなら それだけでいい」はやはり強がりのようですね。素直じゃないなぁ(ニチャァ)。


ここからは例のごとくピックアップ方式です。


まだ飛び方を知らない頃は
その小さな背中に憧れた
空と風の匂いを
涼しげに纏ったあなたに


ピックアップとか言いながらそのまま二番に入ってきましたね。申し訳ないがここは無視できません。私個人としては一番のAメロよりも強く心惹かれます。この郷愁を搔き立ててくるような言葉選びは天性のものではないでしょうか。茂木さんヤバスギィ!

「まだ飛び方を知らない頃は その小さな背中に憧れた」いつもみんなを引っ張ってくれる男の子は、ちょっと引っ込み思案な女の子の目に輝かしく映ること請け合い。「空と風の匂いを 涼しげに纏ったあなたに」いつでも飛んで行ってしまいそうな危うさ、儚さを、もうこの時点から感じ取っていたのかもしれません。

ある種のリピートともいえる言葉運びですね。「小さな背中」とやや抽象的な表現から一気に焦点を絞り「涼しげにまとったあなたに」憧れていたよ、と直接的なフレーズに切り替えるのですが、これがまたスムーズです。繰り返しはともすればしつこい印象になりがちなのに…….茂木さぁ(賞賛)。


もし戻れたのなら
それだけは違うと笑うでしょ
それぞれ違う丘で奏でた鼻歌
誇らしく空に響かせるよ
今はひとりでいい
臆病な自分が
想い出に逃げ込まず
明日を差す光を探せるように
飛び立てるように


 アッ(ここで呼吸が止まる)。

「もし戻れたのなら それだけは違うと笑うでしょ それぞれ違う丘で奏でた鼻歌 誇らしく空に」実際の歌唱でも、ここで一旦切れますよね。この独特の文中切り(そんな言葉ないけど)がナナシス楽曲では多発します。ここもそう。めちゃくちゃエモいですよね。

あの頃の関係に戻れたのなら……そんな絵空事なんて、きっと「あなた」は「それだけは違う」と笑うでしょ? そういう独り言ですね。過去に囚われず今に生きる「あなた」だからこそ、きっとそう言うに違いないと「わたし」は踏んでいます。その後の部分もまんま同じニュアンスですね。

「今は一人でいい 臆病な自分が 想い出に逃げ込まず 明日を差す光を探せるように」ここなんかもう涙腺をグサグサ突き刺してくるほどのパワーがみなぎっていますね。とても憐憫たる気持ちになります。強くて弱い。一見自己撞着のように思いますが、ナナシスのアイドルってみんな「そう」ですよね。セブンスにしろ777にしろ、あらゆる強敵やライバルたちも。彼女たちは等しく弱いけれど、その弱さを受け入れて前に進んでいく強さも内包している。そんな彼女たちの背中を目撃した支配人たちは、これまで以上に強くアイドルに惹かれていくのです。

「飛び立てるように」最後の一言は、「わたし」が立ち向かっていくための表明です。もう羽根はあるのです。あとは飛び立つだけ。


生まれ変わっても
躓くとしても
この道をまた必ず選ぶわ

その肩が
その背中が
その瞳が
勇気をくれたから
ここに立っている


『ミツバチ」は「わたし」の物語です。つまり私の物語でもあり、この記事を読んでいるあなたの物語でもある。

ナナシスの歌詞が響くように感じられるのは、作詞段階でそうなるように仕組まれているからだと思っています。意図的かどうかは分かりませんが、いずれにしろ茂木伸太郎は天才です。今後も作詞家として活動されることを同大ナナ研は切に願っております。

「生まれ変わっても 躓くとしても この道を必ず選ぶわ」人間は弱く脆いものです。「この道が絶対的に正しかった」と断言できる人間はほんの一握り。あとのほとんどは、自らの選択に多かれ少なかれ疑問を覚えながらも、待ってはくれない時に追いやられて、毎日を過ごしています。正しかったのか、そうでなかったのか。じっくり考えるだけの時間を、この世界は私たちに与えてくれません。

だから。だからこそ、この物語はあなたの背中を押してくれるのです。あなたが選んだこの道が絶対的に正しかったことを、あなたに代わって断言してくれています。

「その肩が その背中が その瞳が 勇気をくれたから ここに立っている」ここすきポイント10京点くらい入れたい。この畳みかけるような勢いは、「あなた」への強い想起を表現しているのだと思います。フラッシュバックのように次々と浮かび上がる「あなた」にもらった勇気のおかげで、今、「わたし」は飛び立とうとしているのです。

きっと「わたし」は自ら険しい道を選んだのかもしれません。「あなた」と会えなくなってしまったのも、その選択が原因だったのかもしれません。悶々と思い悩む日々を過ごしてきましたが、最終的に「わたし」は引き返すことなく、目の前にある道を進み続けることに決めました。誰に何をそそのかされたわけではありません。彼女は最初から最後まで、自らが「したいこと」に従って、歩みを進めていたのですね。強い(確信)。


人生の岐路に立たされたとき、誰かに相談したくなることもあるでしょう。そんなときは案外、自分の心が適任なのかもしれません。もし、これからのことについて悩む機会があれば、是非自分の胸にこう訊いてみてください。



「ねえ、君は何がしたい?」

 


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