99日目
ゴールラインを通るとともに、スマホのボタンを叩く。
ランニングの記録は今までで最速を叩き出した。
これなら、マラソン大会に出ても恥をかくこともあるまい。
厚底シューズの効果か、膝も痛めることなく、快適に走ることができている。
隣で修平も汗をぬぐう。彼も走るのが趣味で、時間が合うときには夕食後に一緒に走る。
走る距離はわたしが10キロ、彼が5キロだったのだが、そのことを知った後の「絶対追いつく」宣言の通り、2ヶ月でわたしと並走して完走するようになった。
「早くなったねー」
「頑張ったからな」
彼が自分の背中のリュックから水筒をこちらに差し出す。遠慮なく飲んでから、彼に返した。彼もぐいぐいと飲んで水筒は空になった。
二人で夜の街を歩く。夏の夜風が心地良い。
「なんか、いい感じ」
「もうすぐ夏だしな」
「そだね」
「海にでも行くか?」
「近場であるっけ?」
「近場でなくてもいいよ。二泊三日で沖縄とかでもいいし」
「あ、いいね。沖縄ならダイビングやってみたい」
夏の風が吹き抜ける。
「女流棋士。引退せずに済んだな」
彼がぽつりと言う。
「神四冠が頑張ってくれたからね。わたしはほとんど何もしてないし。奨励会在籍中のみの休場なんて都合良すぎて申し訳ないわ」
「君が頑張ってたから、動いてくれたんだろ。君の成果だよ」
「ていうか、いい加減、土下座って何か教えてよ。奥様もにやにやするだけで教えてくれないし」
「気にするなって」
「じゃあ、これだけ言っとくわ。ありがとう」
「どう致しまして」
夏の公園は人通りが多い。別のランナーとすれ違う。
二人で家路を歩く。
三段リーグは指し分けまで漕ぎ着けた。
竜皇戦は6組トーナメント準決勝で敗れたが、充分な手応えを感じた。
そして、新人王戦の三番勝負では一勝一敗、明日勝てば次点2回でフリークラス入り、即ち四段昇段だ。
最近はよく眠れてるし、よく食べられている。
師匠も最近少しずつ将棋指せるようになってきた。走るのも早くなってきた。
ーーうん。
「なんか、全部いい感じ」
「落とし穴ありそうだな」
「ここでブレーキを踏むのが二流よ。一流は調子良い時にアクセル踏み抜くの」
「さいで」
「もし、明日勝ったらさ」
「何か食べに行くか?」
「わたしと結婚して欲しい」
「実は婚姻届の君の欄以外はすべて埋めてあるから、明日の対局終了後に出しに行こうか」
「いやもう準備が早すぎて気持ち悪い」
「ちなみに保証人欄は神四冠と俺のお袋だ」
「いつの間に準備したんだ……」
「じゃあ、四段昇段と結婚報告のダブル記者会見だな。あ、俺って一般男性になるのか」
「お願い。明日は普通に仕事してて」
「いや、それは危ない。患者さんが。だから、中継観ながら料理してるわ」
「ていうか、負けフラグ立て過ぎ」
「ちなみに明日は俺と君が出会ってから100日の記念日だ」
「よく覚えてるわね、ほんと」
呆れた声を隠すつもりもなく、わたしはため息を吐いた。
ため息は夏の夜空に溶けて消えていった。
fine
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?