2日目④
「落ち着いた?」
「少しは」
鍵村夏芽は深呼吸をした。3月の昼下がり、先ほど失態を犯した焼肉屋のそばの公園のベンチに座る。
ちょっとした言葉に泣いて、吐いて、おぶさって、座れるところまで連れてきてもらった。
彼が買ってきたミネラルウォーターを飲んで、一息つく。
空を見上げた。3月の空はぼんやりと晴れている。
「もう疲れちゃった」
ぽつりと口が溢れた。駄目だ。甘えちゃ駄目だ。独りで生きなきゃいけないのだ。
「女流五冠とか、奨励会とか、っていうか、将棋も全部ーー」
もう、疲れちゃった……。
「そか」
彼は静かに横に座ってくれた。
飯干修平という青年は底抜けの善人で、わたしの命の恩人だ。
「ーー多分、もっと格好いい奴なら、もっといい言葉を言うんだろうけど、ごめん。気の利いた言葉が思い浮かばない。だけど、俺は君にこれ以上辛い思いをして欲しくないんだ。昨日出会ったばかりだけど、俺は君の味方でいたい」
「わたしが、将棋辞めたとしても?」
「辞めりゃいい」
彼は即答した。
「女流五冠も奨励会も全部辞めちゃえよ。で、俺の嫁さんになってよ」
彼はそう答えてにやりと笑った。なんだか、肩の力が抜けた。
「それもいいわね。でも、わたし、料理とかしたことないよ」
「カップ麺は作れる?」
「そりゃ作れるよ」
「なら問題ないじゃん。今の時代に自分で調理する必要性など何もない」
「修平さんはいい人だね。じゃあ、いい人ついでに一つお願い」
「何なりと」
「胸、貸して。思い切り泣くから」
「おう」
彼は両手をぎこちなく広げた。
わたしは彼の胸の中で思い切り泣いた。
鍵村夏芽は合理主義者だ。
弱味を見せてもいい相手に気取るような非合理的なことはしないのだ。
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