2日目③
「後援会とか何とか言いながら、ビールを注ぐようにぐちぐち言ってきて!女流棋士をコンパニオンだと思ってるのよ!あいつら!」
「大変だなー。あ、すいませーん。注文いいですか?」
平日の昼間の焼肉屋はそこそこ繁盛している。ビルの地下にあるもので、お値段的には少し張るが、清潔で味がいい店だ。
出会ったばかりの男女が初めて二人きりで食事をするには向いているのかは微妙だが。
「生中とカルビ2人前ください」
「あ、わたし、あれです! あの、生の肉、ほら、あの」
「ユッケ?」
「それです!それを2人前! あとビール! 大ジョッキ! あとタン塩も!」
「…………おい、そこの女流五冠」
「なに?アマ初段」
「自分が今財布持ち歩いてないこと忘れてないか?」
「大丈夫!スマホ決済できるから!」
「つーか、いきなり元気になったな。あんだけ、借りだのなんだの落ち込んでたのに」
「もう自棄なだけよ。はー、将棋辞めたい」
「Twitterでもそう言う奴は100%やめねぇよ」
「知ってる。あ、借りの返し方の希望考えた?」
「ん? このランチじゃないのか?女流棋士と二人で食事するっての」
「ぶぶー。はずれー」
彼女は大きく目の前で手をバッテンにした。
「その答え、おかしくね?」
「わたしが気持ち的に『あ、これで借りが返せた!』ってなるやつを答える必要があります」
「んなの、知らねえよ。そっちから提案しろよもう」
「だって、修平さんのこと全然知らないんだもん。ーー修平さんが喜ぶことしてあげたいし。今知ってるのは、修平さんが凄くいい人で、将棋ファンで、アマ初段で、ふふふ。ーーわたしのファンってとこだけ」
「……言うんじゃなかった」
「ちなみに、わたしのどこが好きでファンになったの?」
「努力家なところ。毎日将棋会館に通って勉強し続けているところ。12歳からずっと女流名人持ってるけど、驕らないところ。時折、大ポカやるところ。後輩の女流棋士に優しいところ。あと、将棋の棋風が好き」
彼女はなんだか、赤くなっている。酒の飲み過ぎだろう。構わず続ける。
「絶対に居飛車なのはまぁ、よくいるとしてもどの戦型でも受けて立つところ。どんなに不利でも絶対に諦めないで徹底的に受けるところ。あと、先手の勝率と後手の勝率にめっちゃ差があるところ」
「最後のが、どう好きなのよ」
「論理的に不利な状況が苦手なんだろーなと」
「うぐ」
「あとまぁ、首筋が好き」
彼女は首を傾げた。自分の首筋を指差す。
「ここ?」
「そこ。白いし、綺麗でスッとしてて、最高に素敵」
「人生で初めて首を褒められた……」
「人生で初めて首を褒めた」
「フェチ?」
「まぁな」
「わたしは手が好き。ーー修平さんの手は爪が綺麗でスッと伸びてて毛が浅くて、血管浮き出てて、かなり高得点」
「人生で初めて手を褒められた」
「本人に手を褒めたの初めて」
「将棋界って、手綺麗な奴多いんじゃね?」
「多いけど、綺麗なだけでも別にきゅんと来ない」
「難しい」
追加注文分の肉と酒が運ばれる。
「つーか、結構キツいのを飲み食いしてるけど、大丈夫か? 昨日吐いたばっかりだろ」
「んー、わかんない」
「おい」
「しょーがないじゃない。こんなの初めてなんだから」
彼女は寂しそうに。
「12歳からずっとずーっとずううううううっと女流名人なのよ。奨励会にも行ってて、ずっと修行中。24時間将棋将棋将棋将棋…………。起きてすぐに詰将棋解かないのも、昼に起きたのも、男性と二人きりで食事するのも、ていうか、大人数じゃない場所でお酒飲むのも初めて」
「潰れるなよ」
彼女は机に両肘をつけて、にやにやと首を曲げた。
「んふふー。また介抱してくれるんでしょ?」
「また襲うからな」
「いいよー」
答えて、一秒。彼女はぼっと顔を赤くした。手をあわあわと顔の前で振る。
「ちょっっ! その、駄目! 嘘! 今のなし!」
「ーーーーーーーー君は可愛いな」
「え、何それ。ーーほんと、やめてよ」
「口の周りに泡ついてんぞ」
彼女は口の周りを袖でぬぐってから。
「なんかね、修平さんって、警戒心が湧かないの。つい甘える。駄目なのに」
「別にいいんじゃね?」
「よくないの。将棋で強くなるなら、独りで強くなきゃいけないし、何でも自分でしなきゃいけないの」
思いの外、深刻な言葉だった。きっと、彼女はずっと、思春期始まる前からずっと、そう思って生きてきたのだろう。
「ーーくっだらねえ」
「え?」
腹立たしさに口が悪くなる。
「独りの方が強いわけねぇだろ」
一瞬で彼女の表情が固まる。そして、怒髪天を着いた。
「何も知らないくせに!」
彼女の大きな声は店に響いた。彼女は腰を浮かして、声の限り叫んでいた。
「独りの方が強いのよ!将棋には運が関係ないのよ!全部自分で決めて、自分で背負う必要があるの!」
大きく息を吸って。
「だから、わたしには恋人も家族もいらないの!」
後半には涙が混じっていた。
そのまま、立ったまま彼女は泣いた。ボロボロと涙を流す。首にかけるためのナプキンを顔に押し当てて、必死に涙を止めようとし、それに失敗していた。
「……あの、お客様……」
と、店長らしき男性が声をかけてきた。
「すいません。会計しますね」
と、答えると男性はほっとした顔をした。
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