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宗教2世のアレコレ

はじめまして。

初note投稿ですので、ご挨拶とお断りだけさせてくださいね。
自力でどれだけ推敲できるかわかりませんので、稚拙な文章であることをお許しください。
先程も申したとおり、初めての投稿ですのでご容赦ください。

今回は私の「宗教2世体験」について書いてみようと思います。
「宗教2世はどう抜け出せば良いのか!?」のような解決方法が読めるわけではありませんし、今この問題についてどうにかしよう!と考えている訳でもありません。(その理由は後ほど説明します)そして私自身の小さい頃の記憶なので結構曖昧です。ただただ体験したこと、感じたことを書きます。




1.きっかけ


母が熱心な信教者でした。父親とは離婚しており、片親です。いつから入信したのかは不明ですが、私が本当に幼い頃から入信していました。

お経を唱えるときに木の数珠のようなものとタスキを首から下げて唱えるのですが、「兄が一度それ(数珠のようなもの)を粉砕したときに高熱を出した。姉も似たような事象で大変なことになったので大切にしなさい」と言われました。
それを聞いた私というものの、そりゃ信じますよねー!!
そんなオカルトちっくな話、今だったら「偶然じゃないか」「何か仕組まれてるに違いない」と笑い飛ばせますが、私はそのときまだ幼稚園に通っていたんですよ。

世の中のことを何も知らないんです。

そして他の家庭のことなんて知らない、比較対象もなければ、自分の家庭しか知らない。
これが普通なのだと思ってました。

要するに完全に信じていたんですよね。

でも誰かには言ってはいけないのかも、と謎の勘が働いて友人に言うことはありませんでした。
今考えれば正解だと思います。


2.活動


記憶が曖昧ですが、月に1回はかならず各地にある支部集会所のような場所に行ってお経を唱えました。お経を唱えた後は教祖の写真に向かってお賽銭と礼、そしてお菓子とその団体独自に配布しているジュース(調べて初めて知った)を貰って帰った記憶があります。
そして先程も述べたとおり支部集会所もあれば本部のようなところもあります。
他の宗教団体のことはわかりませんが、本部の施設はかなり広かったと記憶しています。
お経を唱える場所が何箇所かあり、部屋を移動してまたお経を唱え直します。
つまり1日にお経を数回唱えるということですね。めっちゃ暇でした。

だけどその本部では月に1回子ども向けのイベントもあって、なんか色々工作もしたりした気がするんですよね〜ゴム鉄砲を割り箸で作ったりした気がするし、広い赤いマットの部屋で誰かと遊んだりした記憶もあるし、誰かとゲームした覚えもある。
めっちゃお菓子貰っていっぱい食べた覚えもあるし、とにかくめっちゃ遊んでた記憶がある。
母がいつも買ってくれるプッカが美味しくて大好きでした。
こういうカルト宗教にしては自由度がかなり高かったのかもですね。

でもこの自由度のせいで自分が宗教2世ということに気づけなかったのかも、とも思います。
特に布教活動もありませんでしたしね。

特別記憶に残っているのが、本部に向かう際に手配されたバスに乗って向かうんですけど、バスの中でも誰かが常にお経を唱えているんですよね。
前の座席の人から後ろへ順番に、バスの無事故を願ってリレー方式で1人ずつお経を最初から最後まで唱えて、唱え終われば後ろの人にバトンタッチ。
お経の冊子は単行本より少し薄いかなぐらい。
私は幼かったので最後まで唱えることは難しく参加していませんでしたが、母が眠そうに目を瞑りながらお経を唱える姿を何度も見ました。
私はバスの座席で寝られなくて母の膝の上に頭を置いて寝ていましたが、母の疲れきった顔を見上げながら「一緒に寝たいのにな」と思った記憶を今でも鮮明に覚えています。
私の記憶に残るのは、仕事で疲れ切った顔でお経を唱える母の顔ばかりでした。

そして中学に入学してから部活が忙しくなり、自然とフェードアウトしました。

母は今でも寝る前や朝家を出る前にお経を唱えていますし、仏壇のようなものに毎日お供えをしています 筆で永遠と紙に人の名前を書き続けていますが、それが誰かもわかりませんし、それを書いてどうするのかも、触れないようにしています。


3.教え


正確に覚えてません!!すみません!!
幼かったので難しいことは理解できませんでした。ただ6つの世界があって、生まれ変わりがどうのこうの言ってたような 石は地獄のものだとか言ってた気がする。地獄に堕ちない為にお経を唱えて〜、みたいな。(多分わかる人にはわかる)
ただその本部の建物には6つの世界ごとに階がわかれていて、物語に沿うような絵が飾ってあったような…?
大きな掛け軸サイズぐらいのキャンパスに、簡単に言えば悪いことをした人間が地獄に落ちて地獄で散々な目にあった時にお経を唱えたら救われた、みたいなストーリーが悍ましい絵で描かれていたのは鮮明に記憶に残っています。
でっかい仏像から聖水が流れてて、異様に水が美味しかったブースがあったことも覚えています。


4.制限


先程も述べたとおり、某有名カルトとは違い自由度がかなり高かったのかな?と思っていましたが、正直これは危ない考えです。
この世界しか知らなかったから、そう思っていただけです。
確かに過剰な布教活動や明らかな制限はありませんでした。
人によるんだと思いますが少なくとも母はそのような人間ではありませんでした。
ですが精神的な制限はあったと記憶しています。
みんなが親に育てられるみたいに、私は教えを刷り込まれて育てられました。
私が頼れる唯一の大人である親がまさか、ねえ。という感じで。
でも教えを熱心に信じる、というよりは「お母さんがそう言ってるからきっとそうなんだろう。」という考え方でした。幼いながら親を疑って生きる人間は、まあそうそういないでしょう?なので疑うこともせず、その考え方がさも当然であるかのように生きてきました。

例えば「文字を踏まない」とか。文字にはあるものが宿っているから踏んではいけないそうです。
あとは「外に落ちているものを家に拾ってこない」とか。石や砂は地獄のものだから拾ってきてはいけなかったです。
おじいちゃんの庭に敷き詰められていた石がとても綺麗で持って帰ると怒られた記憶があります。
ほとんどの家庭は石持って帰ったら怒られる理由として「汚いから」じゃないですか?怒られる理由が意味不明じゃないですか?
多分他にもありましたがホンマに覚えてないです。すみません。


5.実害


多分仏壇みたいなのと、お経を唱えるセットと諸々購入していますね。
あといつだったか「お布施は少し待って欲しい、払えなくて」と電話口で話していた記憶があります。

と言うよりも、見せないようにしていた大人同士の金銭のやり取りよりも、教えによる母の言動の方が、子どもだった私には精神的負担が大きかったです。

車で動物を轢いてしまった時にずっと念仏を唱え帰宅後即お経を唱えて深々と礼をしたり、
思春期の時にそこまでなら産まなきゃ良かったじゃないかと反論すると(思春期すぎる)「産まれてきてしまったんだから仕方がないだろ、運には逆らえない(これも多分教えのひとつだったと思います)」と言われたり、
飼っていた金魚が死んだ時、どこかに埋めずに三角コーナーに捨てて「これは供養できないから生ゴミ(供養の教えがあったと思います)」発言等 なんだか奇妙ですよね。でも当時はそれが普通だったんですよ。

ですが最近、私の努力で成し遂げたことを「ずっとお祈りしていたから」と言われた時、完全に我慢の限界でした。



6.いつ頃からおかしいと思い始めたのか


いつだったか学生の頃、兄に「あの集団はヤバいから信じない方がいい」と言われた時、その言葉が少しだけ頭に残ってなんとなく避けるようになりました。
友だちが県外に出かけるのは旅行が理由なのに私はお経を唱えて頭を下げにいってお話を聞く、これを知ってからは「みんなと違うし言わないようにしよう」と思いました。(母から口止めされていたかは覚えていません)
大学に入学してからかな?「宗教2世」の言葉を知ってから何となく宗教団体や宗教2世の記事を読んで、そこでようやく完全に目が覚めました。
もうなるべく関わらないようにしよう、これ以上詮索しないようにしよう、母の活動にはもう一切口出ししないようにしようと固く決意しました。


7.母のことは止めたのか


止めませんでした。プライバシーもあるので特筆しませんが、母は深入りせずとも過酷な人生を歩んできたことが見てわかりました。精神安定剤である信仰を取り上げる行為は残酷かもしれない、と考えると干渉できませんでした。


8.母について


母のことは本当に大切に思っています。私が産まれてすぐ離婚した母は、覚悟を決めて女手1人で育ててもらいました。
お陰で私は父親がいないことの寂しさを感じたことが一回もありません。
母は恵まれない環境の中押しつぶされず生きてきた偉大な人間だと思っています。
ですが、その信仰がなければ私はこの先の時代もう少し生きやすかったのかも、家計にもう少し余裕が出て生活に少し余裕が出ていたかも、と考える時があります。
母はいつも私たちを第一優先に考てくれていた中で状況が悪く精神的に仕方がなかったかもしれない、なのに私は自分の損害ばかり考えていて自分のことを嫌いになりそうになります。
なので信仰をやめさせて母から精神安定を奪うのはそれこそ親不孝かもしれない、母も信仰の自由は理解しているし、かといってこのまま放っておくのも本当に良い選択なのか…
答えが出ない問題を抱えています。

ただ、教えに基づいて計画性のないまま私を産んだような発言をされたこと、「宗教2世」の存在が私のこれからに大小はあれど影響すること、そしてこの文章を書いている今も何か嫌なことが起こりそうで怖い、という感情が拭えないこの「洗脳」を幼い頃から刷り込ませたこと、それだけはこの先もずっと許せないと思います。


9.これから


私がもし籍を入れることになった時、もしくは住民票を移す時。最悪絶縁覚悟で除籍の話と一切布教活動をしないで欲しい旨を伝えるつもりです。

1番良いのは母が信仰に頼らず健全に生活できるようになることです。


10.最後に


最初は正直、宗教2世だから何だろうって思っていました。
前述したとおり、母親が過酷な人生だったことぐらい直接聞かなくても兄がちょっと話してくれた内容だけでわかっていたので、母親の精神安定に繋がってるならむやみに反対もできませんでしたし、私自身も過度な制限を受けていた自覚もありませんでしたし。
しかし知見を広げて意見が芽生えた時、初めてこれが洗脳だと気づきました。
気づくのにこれだけの時間がかかりましたし、そしてこれからの私の無意識な考えが、もしかしたら信仰に基づくものだとしたら?怖いことだと思います。

母が救われた信仰は、私にとって恨みたくない大切な母を恨む原因となってしまいました。
それが1番悔しいです。
でも何かを劇的に変えたいと祈っているわけではなく、私の境遇に嘆いている訳でもなければ糾弾したいわけでもありません。
もっと早く疑問を持っていれば、勉強していれば、何か変わったのでしょうか?おそらく答えは「ノー」です。宗教にハマった人間は、また別の何かの信仰対象を見つけるか、とても大きなきっかけが無いと、目を覚ますことはできません。
私が幼い頃、もとい私が生まれる前からずっと信仰していたとしたら、それは手の打ちようがありません。むしろここまで家族間の関係が崩壊しなかったことに拍手するべきだと思います。
起こってしまったことは仕方ありませんから、良いタイミングがきた時に、母とゆっくり話したいと考えています。

以上が私の経験談です。
ただ私が体験したことを一例として、何か思う人が1人でもいれば良いなあという感じです。

まとまりもオチもない文章ですが、
読んでいただきありがとうございました。


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