やっぱり私は強い子なんだね。

弱いことは強い。というか弱くて周囲に助けを求められる人は強い。そしてそれは人との交流を生んでその人の周りにコミュニティができていく。一人でも完結できる人間は助けを必要としないからずっと一人のままだ。


闇が深い画像とかでよく見る画像

上の画像はよく闇が深い画像とかでよく見る画像だが、私はこの右の方の女の子なのではないかと思う。自分のキャパシティーが大きくていろいろ受け止められる、それゆえに人から顧みられることはない。でもやっぱりそれってなんかちょっとモヤモヤする。

思えば高校生の頃も私は一人で行動することが多かった。家族という絶対的な存在の上に成り立った私のメンタルは本当に最強で、無神経なことも言ったしなんだかひどいこともされていたような気がするけれど気にも留めていなかった。お友達もいないわけじゃなかったけど関係はかなり淡泊で、私の知らない話も知らない遊びもあった。寝たら全部忘れると豪語しており、実際それは正しかった。(これは割と今もそう。)何か難しいことや大変なことがあったとしても、本だのインターネットだのを見てわあああああああと叫びながらやったら大体なんとかなってしまうし、何か嫌なことがあっても思ったことを頭の中でぐるぐるさせたり書きだしたりして一旦落ち着いた後に寝ればすっかり元通り。人の助けなんて要らなかった。
ただ、一つ失敗したことを挙げるといえば、人間関係だ。私は副総務としての役割を上手にこなせなかったし、部長としての役割もうまくこなせなかった。圧倒的に人望がなかった。信頼もなかった。だれも私を信じて一緒についてこようとは思わなかった。今思えばいつも自由で自分のやりたいことを優先させてしまう性格が原因だったんだろうと思う。現在の私が他人の空気を読まない行動を見てハラハラしたり微妙な顔をしたりしてしまうのはあのときの反省から…なのかもしれない。
大学生になって家族と離れて一人暮らしが始まった。大切な基盤を失った私のメンタルは初めて荒れた。もう一人で自由には動けなかった。できるだけ人といれるように知らない集まりにもサークルにも積極的に参加して寂しくならないように努力した。心に余裕がなかった。趣味なんてできなかった。ポーランド語学習の本はついぞ開かなかったし本も読まなかった。ゲームもしなかったししていたことといえばTL監視である。TLを監視していれば私が参加していなかった集まりでも話を合わせられるから。みんなに付いていけるから。実際この試みは私を『常にTwitterを見ている人』としてキャラ付けして、私の扱いをわかりやすくしてくれたから、今となっては正解だったんだけども。

でも、最近この傾向が薄れてきている。TLは常に見ていなくても平気になったし、自分が行かなかった集まりが流れてきても平常心でいられるし、一人で映画をみたりボドゲをしちゃったりなんかして一人でも生きていけるようになってきている。高校生時代の私が戻ってきつつある。これは生活に慣れたとか特別に大切な人ができたとかそういうのが理由なのかなと思うけど、よくわからない。自分のことだから、一番よくわからない。

客観的に考えれば、私が悪いんだ。人を頼らないから。自分から関わってこない人に関わろうとしてくれるわけがないもんな。私にカリスマ性はない。ただ黙っていて人が寄ってくるような人間ではない。だから自分から意識的に人に関わっていかないと人間関係は保てない。でも、人に意識的に関わるより面倒くさいが勝ってしまう。これじゃ友達なんてできなくて当然だ。私はあまりたくさんの人を求めるようにできていない。信頼できる少数の人がいれば生きていけるし助けを突っぱねるような奴に差し伸べられる手はない。そうだよな。でも、でもそんな簡単に切り捨てられないよ。
私はみんなに好かれていたかった。みんなに評価されていたかった。みんなにとって価値ある自分でいてみたかった。なら変わればいいじゃんって言うでしょうけど、無理なんだ、私は正直だから思ってもないこと言えないしできない。じゃあどうすればいいのかって、どうしようもならない。一人で穏かに寂しく過ごすのと大勢で不安になりながら過ごすの二択しかないなんてなんて極端なんだろうか。

ねぇ、もしもこれをまだ読んでいるあなたがいるなら、私から連絡がなくなっても私を忘れないで。私のことを記憶から消さないで。1か月会わないと存在を忘れちゃうみたいな人間かもしれないけど、いいねを飛ばさないと思い出してもらえない存在だけど、たまには私のこと思い出してください。欲を言えば遊びに誘ったりしてください。お願いだから!



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?