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ZABADAKという奇跡の軌跡の話

「〜の話」縛りは止めようか。何だか舌足らずになるのを避けるため、妙に背伸びしたタイトルになってしまう。

例により、ダラダラとZABADAKの想い出を書き散らすだけだ。
ZABADAK論的な文章は他に譲る。
私は『Welcome to ZABADAK』から聴き始めたので、少し遅めのファンだと思う。初めて買ったCDはドゥービー・ブラザーズのベスト盤だったが、2枚目は上記になる。存在を知ったのはTVKの『ミュージックトマトJapan』かな。『美チャンス』のPVだと思う。
当時はまだバンドブーム前夜の頃で、私はチャクラやSHI-SHONEN、ムーンライダーズなどの所謂【ひねくれポップス】好きであったので、この耽美かつ幻想的で、上野洋子の微量の毒を孕んだ少女的歌声にすぐさま夢中になった。
スリーブに映る吉良知彦氏との2ショットも良いのですよ。PINK HOUSE的ロリータ風の衣装に身を包み、微笑むでなく虚無的に真正面を見据える2人。上野洋子さんの顔は可愛らし下に見えつつ、少し左右で目のバランスが違う。異相なのに可愛いらしい。ビジュアルにさえツボを射抜かれた。
『Welcome to ZABADAK』は、全体に架空の民族音楽といった曲調を、シーケンサーで同期したバックトラック、生のギターやベースで構築した、不思議な雰囲気のなかなか類を見ないものだった。何しろほぼ全ての楽曲が三拍子なのだ。日本のポップスには珍しいリズムだと思う。
私個人の好みで言うなら、このシーケンスで同期したトラックの多さも魅力だった。民族音楽系を生の楽器のみで構成するのは当たり前に過ぎる。インタビューなどによれば、これは苦肉の策だったそうでもあるが、私には正解に思える。これがZABADAKの個性となったと思われるのだ。
全体の雰囲気は、吉良知彦氏のマイク・オールドフィールドに代表されるプログレッシブ好きかつ、意外なほどハッキリとした力強いメロディメーカー振りで、聴きやすいという印象もある。
これは面白いバンドを見つけたよ、と後追いで『ZABADAK1』『銀の三角』を手に入れた。この頃はまだドラマーもおり、バンドとしての体裁を保っていたようだが、割と早い時期に二人組となっていたようだ。
YouTubeに投稿されている動画の中には、吉良氏がベースを弾く珍しい映像もある。スタジオ・ライブだったので当て振りの可能性もあるが、恐らく1人多重録音時代は自分で弾いていたのだろう。
よくZABADAKは上野洋子の「暖簾分け」以前・以後で語られるのだが、私にはそれ以前にターニングポイントがあると考えている。
つまり『飛行夢』以前の打ち込み期と『遠い音楽』以後の生楽器主体のアンサンブル期である。
つまり、私が注目していた《デジタルな民族音楽》という打ち込みのトラックが鳴りを潜めていく時期から、ZABADAKは変様して見えるのだ。
以後『私は羊』『桜』と続く頃にはZABADAKへの興味は薄れ、上野洋子の脱退により、決定的になった。
以後のアルバムはレンタルで聞く程度で、まともに聞いたのはサブスク導入後のことになる。その頃には吉良知彦氏は夭折していた。
ソロとなった吉良知彦氏は上野洋子の残像を追う活動だったように思うのは穿ち過ぎかもしれない。2人の異才がタッグを組んで構築した世界は少しばかり日本の中では異彩を放つものだったが、それもゲストミュージシャンの多用で薄味となり、挑発的な音作りというよりも、安定的な再生産になり掛けた。
それを嫌っての脱退と受け取ったし、吉良知彦氏の迷走へと至るなどと評しては迷惑かもしれない。
しかし、通して聞いたソロ時代は、やはりあまり強い訴求力は感じられなかった。
暖簾分けという言い方にも未練を感じるし、以後の上野洋子の音楽の実験的な諸作にはZABADAKの影は感じられない。
2人の道を違える流れは私には必然に思えたが、もしかすると、と思っていただけに、吉良知彦氏の訃報は残念だった。
私の中のZABADAKは非常に短命に終わってしまったが、2人の異才が意気投合し、黙々と作り上げた世界観が遺されている事は、やはり喜ぶべきことなのかもしれない。

と、ここまで読んだ人は手を上げて〜。
私の音楽エントリーはたぶんあんまり読まれないのでね。

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