急性胆嚢炎顛末
発端は8/11に暴飲暴食したことにある。
実は胆石持ちであることは承知していた。人間ドックの超音波検査で「石がありますね」と指摘されていたのだ。私の大雑把な知識は胆嚢の摘出手術に飛びつき、石の存在を記憶から抹消した。怖いじゃないか、手術なんて。
それから数年。もちろん胆石は大きくなる(もしくは増える)事で悪さする気満々に成長する。放っといて良くなるということは絶対にない。
私の場合、胆嚢に出来た胆石の小さな一つがコロリ、と胆管に移動したのが諸悪の根源であった。
胆管の出口で頑張っちゃったのである。胆汁がつまって胆嚢が炎症を起こしてしまった。
さぁ、そこからよ。
聞いた噂に依ると、尿管結石もそれはそれは人類の我慢できる痛みではない、などと仄聞するのだが、物が石ならなんだって痛いよ、冷静に考えれば。殴られて当たりどころが悪けりゃ死ぬんだから。何を言ってるんだ私は。
胆石舐めてた。
バリバリに痛い。みぞおち中心に鈍痛の波状攻撃。
全身から脂汗をダラダラ流し、うーうー唸りながらのたうち回るくらいに痛い苦しい。
実際、食事を消化し十二指腸へと移動しようかという数時間後(私の場合は夜の10時頃だった)から、その痛みは始まる。
差し込むような痛みと、膨満感を伴う息苦しさ。実際呼吸はどんどんと浅くなり、ハッハッとまるで炎天下の犬である。
楽になれる姿勢というものが存在しない。縦になっても横になっても、転がっても回っても飛んでも跳ねても痛みは和らぐ気配すら感じさせない。波のように押し寄せる痛みに耐えながらゴロゴロのたうち回るしか能がないのだ。
またうちのかみさんは夜の10時にはすっかり就寝しちゃう人で、こちらが1人小さな石相手に死闘を繰り返しているなどとは気付きもしない(らしい)。
ウチの娘は起きていたはずだが、そもそも男親が夜中に暗黒舞踏しようが一切興味もない。
何の助けにもならない家族よ。
挙句の果てにはのたうち回る私は新しい遊びを始めたと誤解して侘助がまとい付く始末。
主人の危機に気付く様子ゼロ。脳みそちっちゃいからね。
ひでぇ家族だ。このままだと死ぬ。
明け方にようやく痛みも落ち着き、多少の違和感がありながら就寝。昼くらいまで当然起きない。
そして、私は喉元過ぎて忘れた。
日を置いて8/26、ヤツは復活した。
しかしこの時は甘えがあった。塗炭の苦しみと思えていずれ落ち着くのだ、と高を括っていたのだ。数時間悶え苦しみつつも無理やり押さえつけ、私は勝利を確信し、就寝した。
翌日。
さすがに食欲は無かったのだが、食欲が無い、ということを理解出来ないかみさんが、夕飯を用意する。
喉元過ぎれば熱さを忘れる私もバカだから、ついうかうかと食べてしまう。タイムマシーンがあったら、その場に乗り込んでぶん殴ってやりたいよ。
昨夜の繰り返し。とんでもない痛みにのたうちまわる私。新しい遊びだと完全に誤解する侘助。
その時、トイレで衝撃の事態が私に襲いかかるのだ。
以下尾籠な話。
大きい方の荷物を下ろして、便器の中を確認するとブツが白いのだ。いやマジ何これ?と戸惑うくらい。
胆石に詳しい方ならお判りだろう。
胆管が塞がり胆汁が出なくなっている。どういうことかというと、つまり人のブツというのは通常は胆汁によって着色されており、いやもういい。
これはアカン。これはダメだ。
ようやく重い腰を上げて、医者を受信。
おおよそこちらでも見当はついていて、胆石だろうなー、と思ったら「胆石でしょうねぇ」と紹介状を頂き、大病院へ。
胃に何も入ってなければ沈静化するのだが、一生何も食べずに生きていく決心は出来ない。というかその決心をしたら一生が随分短くなる。
超音波検査、レントゲン、CTと立て続けに検査を受けて、胆管の出口を石が塞いでいる、という事がハッキリした。
「じゃ、明日特殊な内視鏡で取っちゃいましょうね」
と、担当医の言葉が軽い。
そんなあなた。私ゃこれまで人間ドックで胃カメラには散々、凌辱され続けてきた負け人生ですよ?
そんな「明日の昼は蕎麦でも手繰っていくか?」くらいよ軽い乗りで言われても。とはいえもとより否やはないのだ。
「お手柔らかに」と言う他無いではないか。
施術は体感二万年、実質15分ほどで終了した。
入院翌日の朝、夜勤から交代した昼勤と思われる看護師より「今日のお昼くらいには」と不吉な予言をいただき、まんじりともせずベッドで煩悶していたら、突然複数人の看護師に囲まれて処置室に。
通常の胃カメラよりも色々とやるので麻酔を掛けますね、と点滴から注入された(らしい)。
え?効いてこないけど?ボウッとするって言われたのに、意識ハッキリしてるよ?などと戸惑っていたら、もうフェイスハガーに襲われた。
後の10数分はただただ地獄。そうでなくとも胃カメラは得意ではない。この世に得意な人がいるとも思えないが。胃の出口と十二指腸の境目に胆管の出口があるらしく、そこにあれやこれやをしていたらしいのだが、もはやそんな記憶はない。
これまで戦った胃カメラの中でも最強の強敵であった。「強敵」と書いても「とも」とは絶対に呼ばない不倶戴天の敵である。胃の奥でそんな切った張ったを繰り返してるんたから当然だろうけど、内視鏡が引きずり出された時、けっこうがっつりと血の混じった胃液を吐いた記憶がある。
その頃、ようやく麻酔が効いてきたらしく意識が色んな意味で朦朧とし、何故かベッドから立ち上がろうとしたりしていたらしい。意味が判らん。歩いて病室に戻る気だったのだろうか。
麻酔が切れて意識がハッキリしてきても、精神的ダメージが大きくて、午後はそのまま気絶。点滴やらヴァイタルモニターも繋がってて身動き取れずに数時間。
漏らすかと・・・。
そして、今朝。
このまま問題が無ければ、昼からは食事が出来るそうな。
1日で済むとは思わなんだ。
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