『Fleabag フリーバッグ』シーズン1 (2016) 「第四の壁の破る」というより「イマジナリー・フレンド(空想の友人)」に対してのカメラ目線
主演のフィービー・ウォーラー・ブリッジをはじめレギュラー陣のほとんどが、舞台出身あるいは舞台経験のある俳優達。これをメッソド・アクティングのアメリカの俳優でやると、HBO『エンライテンド』のローラ・ダーン演じる主人公みたいに痛々しくなってしまい、あまり笑えなくなる。
シーズン1にして既に名人芸の貫録のフィービー・ウォーラー・ブリッジのカメラ目線も、元は舞台での一人芝居での手法だろう。
本国イギリスではBBCスリーで放送され、大評判となりBBCツーやBBCワンで再放送されたようで、イギリスでもプライム・ヴィデオでの視聴も可能なため、イギリスでは観たことのない者はいないというくらい(もちろん実際にはそうではないが)のシリーズ。BBCの真似が大好きなNHKもリメイクを考えていそうだが、受信料の無駄使いだからやめたほうがいい。
〈以下、物語の核心及び結末に関する記述〉
主人公のカメラ目線や語りかけは、視聴者に対する単なる「第四の壁の破る」演出手法ではない。唯一の親友を亡くした悲しみや孤独、現実逃避が生み出したイマジナリー・フレンド(空想の友人)に対してである。そして実質的に鑑賞者は主人公の「イマジナリー・フレンド」となっているのだ。イマジナリー・フレンドが鑑賞者から見えるという演出はよくあるし、『僕のボーガス』のようにイマジナリー・フレンドが、それこそ鑑賞者に語りかけてくる演出もあったが、鑑賞者自身がイマジナリー・フレンドというのは、さすがはシェークスピアの国の舞台的発想というか、映像作品では初めてではないだろうか。
★★★★★
2019年5月17日に日本でレビュー済み
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?