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源平合戦 其の十五

義経は平家の実質的な総大将
平知盛を非常に気にしていた
屋島に知盛がいたならば
あんなに簡単に勝利できなかったはず
と考えていた

そして四国の伊予今治で伊予水軍の来島氏に
潮流について教えを乞うた
壇ノ浦のそれがすさまじいと聞き
来島海峡で毎日、潮になれるため
船を漕ぎわたり、高潮、落ち潮、低潮を
経験し実践にそなえた

義経八艘飛び


みもすそ公園 義経

平知盛という男

司馬遼太郎の平知盛像は・・・
平家の一族にあっては公卿らしい
雅の道になんの才もなかった男
詩歌管弦、舞などが得意ではなかった
それゆえ若い頃は女官たちの
口の端にも上らず、女性と気の利いた
会話もできない人だったよう・・・

しかし戦時になれば平家の侍たちは
口をそろえ
「新中納言様の胸の内はいかに。いくさの
駆け引きは新中納言様に問え」
といわれ非常に頼りにされていた。

司馬"義経"のなかで
知盛のエピソードがいくつかある。

 一ノ谷城の合戦で東門の防衛を
担当していた知盛だが義経軍と戦って
やぶれ、海上へ逃れた際に馬をおよがせ
沖の平家船にたどりついた。
しかし船が小さく馬まで収用できない。
 決断の早い知盛のこと身一つでさっと
船に乗ると海面で水を掻いている馬に
鞭をくれ
「陸へもどって生きよ」
ところが船上にいた、阿波の土豪
田内成良が
 「あたら名馬を、惜しや」
と、もっていた弓を引き絞り
射殺の構えをみせた。
知盛はおどろき、激しく叱責した
「あわれではないか」
「しかしあの名馬は源氏のものに
なり、戦力になりましょう」
「損というのか」
「御損といえば御損」
「損に堪えるのが、武門の情というものだ」
と言った。


碇知盛





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