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誰におもう

前回ドットについて多少書いたが、数多といるアーティストの中でも特にすきな人についてのお話。

恥ずかしい話ぼくは作品が好きだ!と思うことと同時に作っている作者さんが好きになる。逆も然りだし、それも大勢である。

Zennyanさんという優しいグリッチ職人がいる。ぼくの根底は前回の「ドット」にあるが彼はそれとは全く別の、あるいはぼくの根底にあるイメージが殻を割って羽化したような、アナログ感が強い作品を多く見せてくれる。チャーミングな姿や厳かな姿、計算された無邪気さの中に同じ数滴のエッセンスが込められているように思う。本当に不思議な作品を作る方で、Zennyanさん自身もお茶目で可愛らしくておしゃれでかわいい人なんですよ!!はい…というわけで…

shibuya pixel artというイベントの一部として2020.09.26-28の間インスタレーションの作品が展示されていた。

写真はZennyan氏とYusuke Shigeta氏の作品「よるにおもう」というもので、大きな白い紙を手に取り、スクリーンから映し出されるドットのアニメーションを投影するという作品だった。

そのほかにも同作者陣による、屋台形式での作品「星つぶ屋」Yusuke Shigeta氏の本物の電球の影と小さな街並みの投影作品「点景」が展示されており、それぞれの作品は隣でお互いを意識しながら眠るように存在していた。

小さなスペースは薄暗く、白や黄色の光りのそばで青や緑が存在を知らしめていた。まず目に入ったのが「点景」だった。小さな街並みの中に突如大きな建造物のように本物の電球の影がピタリと収まっている様子が白い壁に投影されていた。街並みは小さく呼吸をしていて、それに合わせて電球の周りをコバエが闊歩していた。恐ろしいことに全てがピクセルアートで、しっかりとジャギが入っていた。街並みの明かりだけを丸く抽出して大小で遠近感を持たせてあった。その丸い明かりはここにある電球のような灯なのかもとさえ思った。本当に小さな街の神様にでもなった気分だった。

ここまで書いていて気がついたが、ぼくはそもそも夜というモチーフやそこで輝く灯がとても好きで、ガチャガチャでライトがつくようなものを見つけるとすぐにやってしまう節がある。それくらい暗いところで光るものがすきだし、投影という技術に憧れているところがある。ぼくってもしかして街灯に群がる虫ですか?はい…

その隣におでん屋さんみたいな手押し車があり、隣には「星つぶ屋」と書いてあった。足元にはキラキラの世界と星星人がいて各々の生活を営んでいた。ぼくは彼らの生活をいつまでもみ続けたいと思っていた。どうやら来月10月には逗子にもこの屋台はやってくるらしいので是非見てみてください。屋外の展示はぼくがみた景色とはまた違うものなんだろうなと思いながら逗子の行き方を調べています。

その奥に少し開けた空間があり向かうと「ようそこそ 『よるにおもう』へ」と書かれた机があり大きな白い紙が置かれていた。その紙を持って色のふやけた場所にかざすと目の前に小さな作品が現れるという仕掛けで、とっても愛おしくなった。目の前に確かにデジタルな作品があるという事実に、触られないと思っていた無形の画材が確かに今ここに存在しているというえもいわれぬ感情がやってきて、その世界の美しさに心がぐにゃぐにゃしたことを覚えています。

暗い中にある黄色や白の強い光の隣に確かにある色を探して、たくさん動きまわった。紙を介さないとはっきりと姿を表さないよるにおもうたちは各々が息をしていて一つの物語を編んでいた。うやむやな姿は満天の空に浮かぶ星々のようで、それを掬うと確かに息づいている。この暖かさがとっても胸に詰まって、頭の中が一杯になってどうしても何か言いたくて、隣に並んでくださったZennyanさんによかったですとしか言えなくて、とても悔しくてこうしてnoteを書きました。

でもZennyan さんは、言葉にできないものを言葉にしないままでいいよとおっしゃってくださったので、本当に本当のこの気持ちだけは誰にも内緒でいます。Zennyan さんはいいぞ。



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