17歳

根っこを見つける回 part.2。高校2年生を思い出せる限り振り返って、根っこを見つける。この先は前回の記事を読んでから読むことをおすすめする。


高校2年生になった。単位制の高校とはいえ、学校に通って、テストで赤点を多くとらなければ問題なく進級する。

進級すればクラス替えがある。仲の良い人とは同じクラスにならなかった。だけど、TYと同じ中学校出身で卓球部のSGと同じクラスになった。SGは1年生の時によく自分の教室に来ていたから、お互い認識があった。お互い仲の良い人とは同じクラスにならなかったから、よく話をしたし、気が合っていた。

始業式前のホームルーム。高校は携帯電話の使用は登下校のみ可で、学校にいる間は電源を切らなければならなかった。その日はたまたま電源を切り忘れてしまっていて、メールの着信音がなってしまった。始業式後、体育館に残されてしまった。自分の他にも何人かいた。学年主任の先生からかなり怒られてしまった。どうやら残されたのは、学校で携帯を使ってバレた人らしい。一通り怒られてクラスに新しい担任の先生と戻る。「普段は電源切ってて、今日はたまたま忘れちゃっただけでしょ?」と担任の先生は言う。そこまでわかってるなら、学年主任と話をして見逃してくれるぐらいしてくれればよかったのに。

帰宅後、TK・TY・女の子2人とSkypeで話をした。このメンバーでは1年生の時におなじクラスで、よくSkypeで話をしていた。全く知らなかったが、この中でカップルが2組成立していた。TKと女の子、TYと女の子。この時はじめて知った。鈍感だったということもあったとは思うが、ドラムのためにはやく下校しすぎて全く気づかなかったし、予想もしていなかった。「Wデートとかしたいね」なんて話が始まった時は本当に地獄だった。自分がいる意味がない。これぐらいで嫌いになるのはもったいない。まぁ4人がよければそれでいいと思った。地獄は地獄だったけど、あまり気にしないようにしていた。

2年生になったからと言って、特別何か変わったわけではなかった。写真部の活動としては勧誘活動をしなければならなかった。自分にとっては後輩が入ろうが入らなかろうが、普段行かない部活なだけに、あまり関係なかった。勧誘活動はフィルムカメラで撮影した百年記念塔の写真を現像して、「8月の写真展に写真さえ出せば他は顔出さなくてもいい」と言うだけ。結果的には後輩が15人ほど入った。入ったからといって部室に顔を出す機会が増えたわけでもない。

部活だけでなく、放課後も変化はなかった。周りは周りで部活があったから教室にはいない。すぐに帰って、天体観測のコピーをした。学校祭まで時間がないように思えた。

2年生最初のテストが近づいていた。勉強をしていたら夜中の12時近くになっていた。なんとなく部屋も広くて寂しかったから、録画していた黒子のバスケを流しながら勉強をしていた。CM中に流れていた曲が妙に耳に残る。

UNISON SQUARE GARDENの桜のあとだった。どっかで聴いたことのある声だった。思い出してみると、中学校の頃に放送されていたアニメ、ソウルイーターで聴いたことがあった。

この曲はやけに好きだったなぁと思い出した。ここからどんどんUNISON SQUARE GARDENに興味が出てきて、聴くようになっていった。

テストが終わると学校祭の準備が始まる。クラスで役割分担。だいたいは壁新聞が残る。その時隣の席だったIが、「俺、リーダーやるからさ、一緒にやろうよ。SGとかも誘ってさ」と声をかけてきた。Iはバドミントン部。オタク文化にそんなに馴染みがなさそうだけど、イケイケというわけではない。普段はバドミントン部で集まっている。それぐらいしか情報がなかった。自分も絵心がないからステンドグラスなんてやったって後半でフィルムをはるぐらいしかできない。手が器用なわけでもないから仕上がりも良くない。かといってステージの出し物なんてカースト上位の中に混じってやるのも嫌だった。結局は壁新聞に落ち着くしかなかった。(1年生の時はステンドグラスをやっていた。) 特にやることもなかったから、Iの誘いに乗ることにした。「リーダーは誰やる?」と学級委員に聞かれたIは「こいつ!」と俺を指差してリーダーに。早速裏切られた。「まあまあやることはやるからさ」とIは言っていた。なんとなく嫌な予感はしていた。結局はSG、I、Nと自分を含めた4人で壁新聞をやることに。壁新聞はテーマを決めて、必ず取材にいって新聞形式でまとめると言うもの。NはIと同じバドミントン部。このバドミントン2人がまぁ何もしない。考えているふりをして何も考えてない。テーマも決まらない。SGが、「ミドリムシでいいんじゃない?」と冗談で言っていた。自分はここまできたらなんでもいいから、それでいいと言った。IとNはなんでもよかった。ただ楽をして学校祭を終えることだけを考えているような奴らだった。それでミドリムシについて新聞を作ることに。「取材は少人数で」ということで、取材はSGと2人でやった。文面も2人で考えた。バドミントン部の2人はこの時期だけ部活に精を出す。普段本気でやらないバドミントンをこの時期だけ本気でやるのだ。とにかく早く部活に行っていた。

SGには申し訳ないが、18時ぐらいから学校を出て初めてスタジオに行った。とても緊張した。予約時間までの待ち時間もまわりはすごく演奏がうまそうな人たちばっかりで、荷物もすくない素人丸出しの自分がすごく恥ずかしかった。だけど、スタジオに入ってしまえばとても楽しかった。初めての生のドラム。電子ドラムとは感覚が全く違った。セッティングもはじめててで、時間がかなりかかったのを覚えている。これを学校祭の準備を抜け出してできるのが唯一の楽しみだった。演奏は言うまでもなくガタガタだった。CDに練習中の音を録音して帰った。それを聴いて、ここまでできないのかと思った。当然の結果ではあったからあまり落ち込まないようにした。

準備中にステージ担当の話声が聞こえる。「あの人この役ピッタリだよね〜」「いやいやこっちのほうが合うよ」なんて、どうやら配役を決めているらしい。全員で集まって決めるのではなく、ステージ担当のリーダーが1人1人に役をあてて行く仕組みらしい。全員参加ではないし、ステージ担当の中でも、「俺は小道具作るからステージには出ない」なんて人もいた。配役の話に自分が出るはずがないと思っていた。出てほしくなかった。自分が壁新聞に取り掛かっているうちにだんだんと配役が決まっていく。そしてステージ担当が自分の前まで来て、「黒子やってほしいんだよね。誰もやってくれなくて。」という。何をやるのかを聞いたら、何も決まっていないらしい。それは誰もやるわけがない。何を思ったのか、断らなかった。半分以上呆れてきっていて、やけになっていたんだと思う。そしてステージの練習に呼ばれるように。ステージを断ったバドミントン部2人には自分がいない間に作業を進めてもらうようにお願いしていた。練習から帰ってくるとまるで進んでいない。というより、教室にすらいない。次の日に問いただしても何も言わない。

ステージの担当も担当だ。買い出しに行って「本日の主役」と書かれたたすきを買って帰ってきた。絶対に使わない。そんなものを買っておきながら、お金の管理をする学級委員は、「ペンを買うお金ないから持参してくれない?」「黒子の服買う余裕ないから黒っぽい服用意しておいてくれない?」などという。思えば、2年生になって学級委員を決める時に、普段学級委員をやらない人たちが立候補していた。学校祭を円滑に進めるために。

ステージの練習をしていてもそうだ。「ここで小道具下げるの黒子にやってもらおう」「いやこれ俺できるからやるよ」「いやそしたら黒子の仕事なくなっちゃうよ」と自分の目の前でやる。こういうのは自分がいないところでやるものじゃないのか?やる気はないし、やることは別になくてもいい。しまいには、「最後みんなと踊ってほしい」。どんどん壁新聞にかける時間がなくなっていく。練習を重ねれば重ねるほど、何が不満なのか学級委員兼ステージリーダーが泣き出してどこかに行ってしまう。自分にはリーダーが自分の思うように事が進まないのが気に食わないだけにらしか見えなかった。取り残されたような気持ち、やらなければいけない事があるのにできずに過ぎていく時間、泣いてる人を理由をわかってなのか擁護する人、泣いた姿を見てやる気が出る人、全てが気持ち悪く感じていた。

学校には行きたくなかった。こんなにも授業が終わってほしくないと思った時期はなかった。昼休みも生きた心地がしない。準備を進める人は進める時間。自分もバンドの練習のために、壁新聞を出来る限り進めていた。あのチャイムが鳴ったらまた地獄のような時間が来る。他のクラスに行って、準備期間の写真を撮りに行ってもみんな楽しそうにしている。自分みたいな人はいないのか。なんでこんなに楽しそうにしているんだろうか。全く楽しめる気がしない。

そんなことを考えていたら当日をむかえていた。前年と同じように、写真販売の受付をしながら、合間で学校祭を回った。

通っていた高校には軽音部がなかったし、先生方もバンドに関してはいい印象を持ってなかった。だから有志のステージではMCなしで2曲やるのが持ち時間の限界。転換は1分というほぼ不可能なスケジュールだった。自分の番はあっという間だった。演奏中のことはほとんど覚えていない。ただ、とてつもなく楽しかった感覚だけは残っていた。学校祭の準備期間を耐えてきてよかったと思った。

学校祭2日目、終了後のホームルーム。各リーダーが一言ずつ話すことに。壁新聞は忘れられていた。自分の番が来る前に、最後の勢いで学級委員兼ステージリーダーの番に。「こんなリーダーについてきてくれてありがとう。みんなで協力したおかげです。」と言って泣き始めた。誰もリーダーについていったという感覚はないし、自分のやりたくないことを人に押し付けて、自分のやりたいことを自分勝手にやるのが「協力」なのか。泣いてる本人もそうだけど、もらい泣きする人、拍手する人、クラスの雰囲気、全てが嫌いだった。そしてクラスの誰かが「壁新聞忘れてる!」と言った。担任の先生も忘れてるぐらいだし、忘れられたままが良かった。泣かれた後に話すことなんてなかった。どういうわけか、「体育館の隅に貼る、みんなに忘れられるような壁新聞作ってたんだけど、みんなが楽しかったらそれでいいんじゃない?」なんて言ってしまった。少し水を差すようなことを言いたかったのは事実だ。打ち上げには行く気になれず、SGと2人で遊びに出かけた。

驚いたのは、自分の演奏を見ていた人が結構いたことだ。自分からは有志ステージに出るとはSGぐらいにしか言ってなかったけど、意外と多くの人が見ていた。それ以上に驚いたのは、あんなことがあったのに、何もなかったかのように自分に話かけてくる人が多かった。学校祭をみんなで協力して乗り越えた、みたいな団結感で前より仲が深まったと思っているらしい。本当に気持ち悪かった。話かけてくれた人の中には何も悪くない人もいたから、その人達とは仲良くなれた。

だけど学校には行きたくなくなっていた。ドラムなら家でもできるし、また修学旅行もあるから、またあんな思いをするぐらいなら学校に行く意味がないと思っていた。だけど、小学校5、6年生の時の担任の先生の言葉を思い出していた。あなたたちにゆとり教育をするつもりはないと言った先生だ。「学校には行け。友達はいなくてもいい。大学に行ったら、ちゃんと友達ができて自分の居場所もできる」。にわかには信じがたいけど、大学に行くためには学校には行かなければいけなかった。

数日後、TKがクラスに走って入ってきた。「裏卒ってやつあるらしいぞ!それに呼ばれたら4曲ぐらいできるらしい。やる曲決めるぞ!」裏卒とは、裏卒業式ライブのこと。卒業する3年生がライブハウスを借りて、学校とは全く関係なく終業式後に自主的にライブをしていた。伝統的に毎年やっていたらしい。ありがたいことに3年生に誘ってもらって出ることに。ワクワクしながら曲決めをした。自分はとにかくFunny Bunnyがやりたかった。the pillowsのは難しかったらしく、ELLEGARDENがコピーしたFunny Bunnyをやることに。

あとは天体観測に、この2曲をやった。

耳コピができず、楽譜がある曲で考えたらこうなっていた。そして練習の日々へ。

それと同時期に、自分が次の写真部の部長になることに。普段部活に顔を出している同期が、自分を推薦したらしい。こんなのが部長でいいのか。そして顧問の先生からは、「これは内緒にしてほいんだけど、俺は今年で転勤になりそうなんだ。次に写真部の顧問になる先生も大方決まっているけど写真部の経験はないらしい。だから、今あるものの引き継ぎをしたい」と言ってきた。今までほとんど顔を出してないだけに申し訳ない気持ちになった。これをきっかけに、少しずつ写真部に顔を出すようになった。引き継ぎもこっそりとやっていた。

そして修学旅行の時期がやってきた。基本的には何をするにも4人1組。また壁新聞のメンバー、SG、I、Nと自分の4人。よく会わせる顔があったな。例によってIとNは行きたいところだけ言ってバドミントンの練習に行った。SGと2人でほとんど計画をした。学校祭でバンドの練習で抜けてしまった分、SGに卓球部を優先させて、できることはやった。修学旅行当日のことはほとんど覚えていない。行った場所とかはなんとなく覚えている。他に覚えていることといえば、宿泊先のすき焼きの牛肉が固かったことと、22時には寝ていたこと。

冬休みは裏卒に向けてスタジオに入った。とにかくFunny Bunnyを演奏できるのが嬉しかった。冬休みのある日、スクールオブロックを聴いていた。そこで流れた曲を聴き入ってしまった。

またthe pillowsか。なんか聴き入ってしまう。でも「昨日まで選ばれなかった僕らでも明日を持っている」ってすごくいいな。しばらくこればかり聴いていた。冬休み後は大学受験に向けて勉強をしながら裏卒の練習、月に1回ほどスタジオに入った。体育祭もあったが全く覚えていない。学校祭であんなことがあったのに、クラスのためになんてやる気がしなかったんだと思う。

そして裏卒の当日。会場はキューブガーデン。小さい学校の体育館から、Base Ball Bearも来るような大きなライブハウス。とても緊張した。だけど、音の響きとか今まで体験したことのないことばかりでとても楽しかった。3年生のとあるバンドの2人に打ち上げに呼ばれた。「毎年こうやって、来年の裏卒を計画してもらう人を選んで打ち上げに呼ぶんだ。今年は下にお前らしかいないから選びようがないんだけどさ」と笑いながら言っていた。一風堂でラーメンを奢ってもらい、その後はカラオケでオールして、具合悪くなりなから始発の電車で帰宅。自分とSで来年の裏卒をやることに。色々引き継ぎしてもらったがあまり覚えていない。3年生も「色々言ったけど、忘れるだろうからまた夏休みに会おう!俺らも覚えてなくて先輩にそうしてもらったんだ笑」と言っていた。

そして次の学校祭でやる曲を決めることに。そしてこの2曲をやることに決めた。自分とTKがやりたい曲を出したらあっさりと決まった。

自分はなんとか卒業までにBase Ball Bearの曲をやりたかった。アニメ、銀魂で使われた曲だからいいだろうという理由でこの曲になった。もう一つはTKは何かボカロの曲をやりたくて難易度がそんなに高くないこの曲をやりたかったみたいだ。

次の目標を見据えて、3年生になった。



1度好きになりかけた学校祭を嫌いになってしまった。今思えばたかがこれぐらいで、と思う。だけど当時は学校こそが社会で自分が過ごす時間が長い場所だっただけに、地獄のような日々だった。これがこのまま続いて社会人になっても似たような社会で過ごすことになったらと考えて不安になっていた。ここまで書いてみて思うのは、自分から勝手に泥水をすすって飲んでいたような感じもした。捻くれはしたけど、学校に火をつけたり、変な方向に進まなくてよかったとは思う。同じことを周りにもしてやろうとか思わないで、やられて嫌なことは周りにはしないという方向で落ち着いてくれてよかった。変な方向に行きそうになった時は、Base Ball Bearの他に、当時やっていたドラマや好きだったドラマを見返していた。


次は3年生。物語はだいたいハッピーエンドだけど、現実はそうはいかないと2年生当時は思っていた。裏卒を成功させたい一方、受験勉強もしなければいけない。それがよかったのかもしれない。


↓Base Ball Bear プレイリスト


それではまた。



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