次に。「何が変なのかということに気づく・冷静さ」

まず今日本のみならず世界的に大問題になっているコロナウィルスですが、この国では各種の細々とした支援策と各自の就労という両輪によってなんとか生活が成り立っている状態かと思います。この前置きは全く関係ないのですが、騒動勃発から一年半に渡り延々と繰り返される「自粛要請」について。

この「自粛要請」という言葉、よくよく考えると日本語として成立しません。「自粛」というのは「自分で勝手に控える」ということなので、だれかが「自粛してくれ」と「要請」した時点で、それは「自粛」ではないわけです。「自粛+要請」という日本語は成立しません。

誰かに求められて応じた時点でそれは「自粛」ではなく、現在政府の言っている「自粛要請」は正しくは「行動制限要求」です。おかしな日本語です。国のトップがこんな誤った言葉を使い続けるのはいささか疑問です。その原因はただばかだからというようなものではないでしょう。

ここで非常に大事なことは、今国民が強いられている行動制限が「国の圧力によってもたらされたもの」ではなく、「国民の自発的な行動」であるという認識を持ってもらうことです。「自分たちは政府の規制で苦しんでいる」のではなく、「自発的に耐え努力している」と認識してもらう必要があります。

多くの人が国の対応に不満を持っていると思いますが、しかし一方で無意識のうちに「自分たちは自粛している」という認識を持っていることは間違いないのではないでしょうか。言葉はとても有能です。人の意識をかくも容易にするすると抜けてその無意識に直接作用します。

するとそこに「自粛要請ってなんか変だな」とか「これって自粛じゃなくて制限要求だよな」という疑問が、そもそも起こらないわけです。そこにある矛盾や問題点に気づかない。こうしたことが、あらゆる場所であらゆる言葉遣いによって、成されています。

意識をすり抜けて無意識に作用するとなると、これにあがらうことは何人たりとも困難です。一種のマインドコントロールのようなものというと仰々しいですが、これを防ぐにはともかく「意識をすり抜けて直接無意識に作用させない」という方法しかありません。あらゆる言葉、意味作用をきっちりと「意識の層」で捕まえるということです。

なんだそれという感想を抱くかもしれませんが、ようするに「違和感に気づく」ということです。「なんか変だな?」ということに気づき、その「変」が「なぜ変なのか」を確認することが求められます。

じゃあどうやって?というといろんな本を読むとか演説を聞くとかして日頃それについてよく思考する、なんてことをできる人はそれもいいですが、すごく労力を要するので「ふと気になった時に少し集中力を上げて注目する」くらいのことで良いと思います。最低限は。そういうことを習慣づけ繰り返していくうちに、「違和感に気づく能力」は向上し続けます。

違和感のあるところには大抵危険や問題がくすぶっています。なのでそういうところに気がつくということは非常に大事です。日頃あちこちにそうした小さな火種はくすぶっており、大抵はグズグズと消えていくのでしょうが時に延焼し大きな被害をもたらします。

ゆえに違和感に気づくことは非常に大事です。世にもネット上にも本当に様々な情報があふれています。全部網羅するなど到底不可能なほどです。そんな溺れるほどの情報量の中で「違和感」に気づきそれが何であるのかをはっきりさせることは、そこに潜む危険や問題を知ることであり、しいてはそれらを回避し又は解決しより良い道を進むことに繋がるのです。

今回は個人的に感じる「自粛要請」という言葉のおかしさを例にとりました。このようなものが身の回りに非常によくあふれていると思います。日本人の悪癖として「他者から強要された意思・価値観」を「自己の選択・価値観」と思い込み信じて疑わない傾向がありますが、これは非常に危険なことです。

特に昨今の厳しい状況下では、このような「違和感」に気づくということが非常に重要なのではないでしょうか。少なくとも今後しばらくは、このようなことを意識してみてはいかがかと思います。きっと今よりももう少し、明るいヒントが見つかるかもしれません。

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