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世界初のブタ心臓移植とサイドストーリー

世界中で話題になった遺伝子組み換えブタの心臓を用いた異種移植。2ヶ月後に患者さんが亡くなるという残念な結果になったこともあり、その後、あまりこのことが話題に上ることもなくなったような気がする。
そこで簡単に何があったのか、そのサイドストーリーも含めて紹介したい。

世界初の遺伝子組み換えブタの心臓を用いた心移植

 2022年1月7日。世界で初となる遺伝子組み換えブタの心臓を用いた心移植がアメリカ、ワシントンDCに隣接するメリーランド州にあるメリーランド大学医療センターで行われた。患者さんは重い心臓病をもつDavid Bennettという57歳男性。1ヶ月以上前から不整脈があり入院しているが、自分の心臓では命を保てるほどの血圧が維持できない状態であるため、新型コロナの治療でも話題となったECMO(体外式膜型人工心肺)を装着していた。治療の効果も乏しくECMOを外す見込みが立たたない状態が続いたため、残された手段は心臓移植しかないと考えられていたが、ヒトの心臓移植の登録が取り消された過去があったため、FDAから特例として緊急承認をとり救命目的で遺伝子組み換えブタの心臓を用いた異種移植が行われることになった。手術時間は7−8時間と言われており大きな問題なく終了した。

何が画期的だったのか?

 ”世界初”ということで大きな注目を集めた今回の異種移植であったが、何が世界初だったかというと、「遺伝子を組み替えたブタ」の心臓を移植した、という点で画期的な世界的イベントとなった。遺伝子は全部で10種類改変されており、うち3つがαGal抗原を中心に移植後に拒絶反応を起こす原因となるブタの遺伝子、1つが心肥大を起こさないようにするブタの遺伝子であり、のこり6つがヒトの補体を活性化するのを抑制するためにヒトの遺伝子が組み込まれたものであった。

術後の経過と疑われている死因

 術後しばらくは状態は安定しており、34日目に行われた心筋生検と呼ばれる組織をみる検査でも拒絶反応の兆候は認められなかった。採血検査も最先端の検査機器が使用されており、DNAシークエンサーと呼ばれる検査で血液中にブタの遺伝子がないかどうかをチェック(移植した心臓がダメージを受けていれば血液中にブタの遺伝子が壊れ出てくると予想)し、またカリウス社の検査機器を用いて何百もの細菌やウイルス感染をチェックしていた。
 最初の異変は術後20日目に行われた採血結果に現れていた。ブタサイトメガロウイルス感染の疑いがあったのだ。ただ、無菌状態で育てられたブタであり、ウイルス感染のチェックを受けていたので、その結果をどこまで信じていいのかは断定できなかった。そして術後43日目を迎えた日、患者さんは発熱しており息苦しさを訴えていた。
 過去にブタサイトメガロウイルスに感染をした人の治療など存在ないため治療法も手探りとなる。免疫不全患者のアデノウイルス感染などの治療に用いられるシドフォビルという抗ウイルス薬と免疫グロブリンが使用された。24時間後には状態が一時安定したが、それから1週間後に再び状態が悪化、そして移植から約2ヶ月が過ぎた3月8日に亡くなった。

いろいろと飛び交う憶測

 2022年4月20日に開催されたアメリカ移植学会のオンラインセミナーでメリーランド大学の執刀医である Dr. Griffithが経過の一部を報告したことで、いろいろな専門家・研究者からコメントが集まった。特に注目されたのはブタサイトメガロウイルス感染が死因なのかどうか。感染が原因で拒絶反応が起こってなかったとすれば、それに対応することはそう難しくはないため今後も異種移植の臨床試験を継続できる可能性が残るが、もし拒絶反応が主因であったのならまた十分な動物実験を繰り返す必要が出てきてしまう。また、無菌ブタ(無ウイルスブタ)であったはずなのに何故感染が起きたのかも指摘が飛ぶ。現在、この遺伝子改変ブタをFDAから認証されているのはRevivicor1社となるため、他の遺伝子改変ブタを作成している競合会社は色めきだっている。
 ブタサイトメガロウイルスの感染がどれくらい影響があるかについてはドイツの研究グループがコメントを出している。彼らの研究ではサイトメガロウイルスに感染したブタの心臓をヒヒに移植した場合、2-3週間しか機能しなかったのに対し、感染を起こしていない心臓であれば半年以上機能したそうだ。その原因としてヒヒの免疫システムが抑制されたこと、移植されたブタの免疫システムも機能していないことでウイルス感染の制御ができなかったことを懸念しており、それが今回ヒトでも起こったのではないかと予想している。執刀医であるDr. Griffithはオンラインセミナーで、患者さんの心臓はサイトカインストームにより血管透過性が亢進したことで心臓浮腫を起こし、そこが繊維組織に置換されたことで重度の拡張障害を起こしたのではないかと報告した。そしてこれは実験の中で感染したブタの心臓を移植されたヒヒでも同様なことを彼は経験していた。

異種移植のサイドストーリー

 FDAはもともと遺伝子改変ブタの心臓をヒトへの臨床試験を開始するまでに、ヒヒの実験を少なくとも10例は行い安全性と成功率が高いことを証明することを指示していた。ただ、ヒヒを使った遺伝子改変ブタの心移植の実験は1例行うのに$50万(約6500万円)かかるとも言われており10例行うには膨大な実験費用が必要となる。また、どんなにヒヒの移植実験を繰り返しても、ヒヒに適した遺伝子改変ブタの心臓を作成できるが、ヒトに適した心臓であるかどうかは不明なため異種移植を研究しているグループからはヒヒでの実験を繰り返すことに限界も感じていた。
 また、今回のブタ心移植においてはその手術適応について疑問の声が上がっている。患者さんはヒトの心臓移植の適応がないと言われていたが、その理由は医師の治療の指示に従わず内服をしなかったり外来にこなかったりしたからだ。そのためヒトの心臓移植の登録からはずされており移植はできないとなっていた。仮に心を入れ替えてこれからは治療を遵守すると誓って、ブタ心の心臓移植を受け入れたとしたなら、もう一度、ヒトの心臓移植の適応を検討すべきではなかったのだろうか。それとも、ブタ心での心臓移植であれば医師の治療指示に従わなくても移植を受けることが許可されるのだろうか。
 それと不整脈があって人工心臓の植え込みが不適応ということも、ブタ心の心臓移植を受けることの一因となっている。日本はすぐに移植を受けることができないため、左室補助装置(LVAD)などを用いて平均で3年以上の移植待機期間がある。2ヶ月以内に移植が受けられるアメリカと比べると大きな差である。ECMOを1ヶ月以上使用しているため、随分と全身状態が弱っている可能性は十分に考えられるが、本当に人工心臓を植え込むことができなかったのか、については疑問が残るし、それができていたのならあと3年は大きな問題なく生きれるチャンスがあっただろう。
 最後に何故、今回の遺伝子組み換えの心臓がサルなどの霊長類じゃなくて、ブタであったのかについて触れて終わろうと思う。霊長類はヒトと遺伝子的に近い存在であるため拒絶反応を含めた免疫については有利な点が大きい。しかしヒトに適した大きさの心臓と考えると使用できる動物に限りがあるし、大量に繁殖して必要臓器の需要に応えていくことは難しい。加えて動物愛護に起因する倫理的問題も強く、人畜共通感染症を起こす危険も高い。実際、アメリカのFDAは霊長類からヒトへの感染症を起こすリスクがあるとの理由で1999年に霊長類からの異種移植を禁止している。それに対してブタはどうなのか。ブタは解剖学的・血液生化学的にヒトに近いと言われており、心臓の大きさもヒトと同じくらいかやや大きいくらいである。飼育の歴史が長いためブタ特有の疾患についても十分に必要な情報が揃っている。また1頭の母親から10頭前後が出産され、成長スピードも速いため必要臓器の需要にも対応が可能と思われる。食肉用として飼育されてきたことを考えると、霊長類に比べれば倫理的な動物愛護の問題も低いと捉えることができる。そのような観点からも異種移植の動物としてブタが頻用されるようになった。

以上、ウェブニュースや論文を中心に今まで分かっている情報を元にまとめてみた。術後の経過や死因については今後もさらに詳しい情報が発表されると思われるので注意深く見守っていきたい。異種移植は日本のように自国だけで臓器移植のニーズに応えられない国、そして今後も移植件数を増やしていくことが難しい国にとっては救命のための重要なオプションになりうる。倫理的に整備していかないといけない点もまだ多く残っていると考えられるが、この技術の確立がもう目の前まで来ている印象があるため、今後の展開に十分に期待したいと思う。

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