思考の言語化における自己成長

noteを本日よりスタートします。

思考を言語化することで、どのぐらい自己を成長させていけるか、挑戦してみようと思います。 

日記というものが続いたことがない、ルーティンワークが苦手で3日坊主の私がどのぐらい続くか、見ものです。でも、「続けてみる」これが私の2021年の目標です。 

テーマは、以前よりやってみたかった、「あいうえお」  から始まる 言葉を一つ一つ分析していきたいと思います。 時間をかけて書くと続かなくなりそうなので、1記事15分を目安に頑張りたいと思います。なので、多少文章がおかしいところがあってもご愛嬌という感じで進めていきたいと思います。 

記念すべき1回目は

あ・・・「愛」

愛について、考えてみる。自分の中の愛の定義はなんだろう?

 愛は、家族愛から始まり、友情、恋人、仕事仲間とあるとする。私は今、婚活中で「結婚をしたい」ととても思っているのでそれはなぜか?ということも掘り下げていきたいと思う。  家族愛があり、愛を感じられる友人もいる。今無いのは恋人といわれる愛。(笑)

なぜ結婚したいのかを考えてみた。

それは、親以外にも親と等しいぐらいの愛を注ぎあえる人が欲しいと思ったからだと思う。人生を一緒に歩ける人、生きていく”時間”を共有できて生きるための力やお金、楽しさや苦しさを共有して一緒に生きていきたいと思った。一人で生きていくのが不安 とかそういう気持ちもあると思う。

親という生き物は、順番からすると自分よりも先にいなくなってしまうその時を考えると、非常に孤独に包まれる。自分のことを自分と同じぐらいに大事に思ってくれたり、自分の体の一部のように当たり前に感じてもらえる。親以外の無償の愛を感じてみたいからだと思う。

つまり孤独を感じることが嫌なんだという一つ目の理由が出てくる。 

友人の愛が信用できないわけではなく、大好きな友人はいるけれども、 ただ友人に家族がいた場合の優先順位ははやり旦那さんだったり嫁さんだったりするのだろう。それを証拠に、友人に彼氏ができた瞬間だったり自分との時間が少なくなったりすることが当たり前に起きるし、それが当たり前だと解かっているから、そもそも友人の枠は別枠の愛なんだと思う。 人生を一緒に生きていくっていうのは友人も同じなんだけれど、世間一般 というところで考えると、きっと優先順位が違うんだろう。

そう考えると、私が欲しているのは、 無償の愛=最優先の愛  ということになる。 だから、 やはり、家族愛 というのが、一番、愛という言葉の根本なんだと思う。 これを考えると、

自分における愛の定義は、

「人生・生活の時間を共有して孤独を感じさせない最優先の愛=家族=無償の愛」  ということになり、やっぱりそれは、独身でいろんな愛を感じるということではなく、結婚をして家族を作りたいという理由なんだと思った。

う~ん、 あらためて書くと、いろいろ修正したい気持ちはあるけれど。(笑) 取り急ぎ、修正をせずに思ったまま書いていこうと思う。 何かいてんのか分からないぐらいからやる方が後々、成長が見えて良いかもしれないしね。 

思考の言語化 Vol 1  は 「愛」について でした。  





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