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Noteのいいところ 自由な第3の場所

Noteは自分にとってはとても自由な第3の場所。
周囲の目を気にせずに物事を考えて、文章化して、少しだけ前にすすむ。

Facebookはとても窮屈だった。

友人などと程よい距離で連絡を取り合ったり、人やコミュニティ同士をつなぐツールとしてはすごいものだと思う。でも、自分には合わなかった。

行動・意見の制限
いいねと思わなくても、それを要求されている気がする。
その裏返しで、いいねを強要してもよいようなことしか投稿できない。

自分は友人が少ないほうであるが、そんなに連絡を取りたいと思わない過去の友達からのリクエストにこたえなければならない。
一度友達になってしまうと、それをやめるのには非常に大きなストレスがかかる。

自分の顔が一つになる
友人、職場、趣味、過去の友人それぞれに自分の顔があるが、それぞれの垣根が低くなって、同一化してしまう。
それぞれ違う人間として生活することができなくなる。

他人のことを気にしなければいい、といえば簡単だが、自分は弱い。どこかには属していたい。そうしなければ、安心して生きられない。

そんなよわっちい自分にとってFacebookは、10年前にアカウントを作り、それからほとんど閲覧することのないメディアになった。

Noteにいきついた

8月にふと始めたNote。

会社員としていくつかの経験をしたり、日々生活している中で、いろいろな違和感のようなものを感じていた。

その違和感はおそらく自分にとって重要なもので、考えを積み重ねていくことで、満足のいく人生に近づけるものとなんとなく確信している。

考えを深めるための手段として、頭の中にとどめずに、文章としてアウトプットしていくことを選んだ。仕事をしている中でも、報告書を作成したりすることで頭の中がまとまった経験があったからだ。

では、アウトプットする方法をどうするか?日記で自分にとどめるか、それともブログのような形で外に開いた形にするか、前者では自分は支離滅裂なことしか書かないであろうと考え、後者を選択した。

アウトプットするメディアとしては、匿名でしかも自由なもの、広告など邪魔なものがないものとしてNoteに行き着いた。

Noteはいい。使い方を気を付ければ

登録後、初めて投稿するまでに少し時間を要した。
初めての投稿の時は少し力んでいたからだ。でも、一度投稿するとそのハードルは下がり、雑多なものでもとにかく恐れずアウトプットすることを心掛けた。

そのような中、初めて「スキ」をもらってから、少し自分のNoteとの向き合い方が変わった。「スキ」をもらえたかの通知を見てしまうようになった。

もう、僕は承認欲求のとりこです。ほんとに。

スキをいただけることは、とてつもなくうれしいし、モチベーションにもなる。これは事実。

しかも、上手なクリエーターさんの文章や作品は、すごい。そりゃスキと言いたくなる。わかりやすい、勉強になる、考えさせられる、気づきがある作品がたくさんある。

スキは、伝えたいことを伝えられたという指標になる。
でもそれにとらわれてしまうと結局は、周囲にとらわれてしまうことになる。

だから、この場では好きだと思うこと、気になること、考えたいことを書いていきたい。

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