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昭和5年(1930年)生まれと平成4年(1992年)生まれが思春期に体験したパラダイムシフトという共通点について。

僕は生まれる時代を選べるのだとしたら、昭和5年(1930年)に生まれたかった。所謂昭和初期である。戦争を体験しなければいけない世代である。碌な食べ物などなく、いつも腹を空かせて勤労動員に勤しまなければならない世代である。しかし彼らは国語教育を旧字体、旧仮名で教育されている世代なのである。そもそも僕は第二次世界大戦において戦場に兵士として出征など絶対にしたくないという気持ちが強いが、国語を旧字体・旧仮名で習いたかったという思いは強い。敗戦後の国語教育は漢字を簡略化して新字体にし、仮名を現代仮名遣いに改めたが、やはり日本語の文章は旧字体と旧仮名で書いた方が正統だと思うし、古典との相関性も高いし、格調も高いと思う。だから戦場に兵士としては出征しなかったが、満年齢15歳、16歳まで、旧字体、旧仮名遣いの国語教育を受けられた昭和5年生まれの世代が羨ましい(本来空襲被害にも遭われたこの世代の方々を羨ましいなどとは言ってはいけない事は百も承知であるが)のである。

で、振り返ってみて僕(平成4年生まれ)の人生である。僕はつい最近まで、僕の人生には昭和5年生まれの人達が体験した、大東亜戦争の敗戦のような大きなパラダイムシフトや価値観の変化などはないだろうと思っていた。しかしである。実は僕の人生にも革命的なパラダイムシフトというのがあったのだった。しかもそれは昭和5年生まれの人と同じように僕が満年齢15歳から16歳の時に体験していたのである。それはスマホの登場とその普及だ。一応ここではスマホの事をApple社から発売されているiPhoneの事だと定義する。何でも初代iPhoneがアメリカで発売されたのは2007年の6月29日の事だったという。奇しくも僕が満年齢でいうところの15歳の頃の話だ。この初代iPhoneの登場から人類の生活が革命的に変わった事は読者の皆さんもお分かりだろう。今やスマホは人類にとって身体の一部と言っていい程の存在となっている。謂わばこのiPhoneの登場は第二次世界大戦の終結により国連が生まれた事と同じぐらい世界人類の暮らしを変えた事は間違いないだろう。

すなわち、昭和5年生まれの人にとっての第二次世界大戦の終結(1945年9月2日)が我々平成4年生まれにとっては2007年6月29日のiPhone発売であると思うのだ。革命的な変化を同じ満年齢15歳を迎える頃に体感しているのである。とは言っても2007年当時はiPhoneは日本では発売されておらず、謂わば日本は蚊帳の外にいたかもしれない。しかし翌2008年7月11日には孫正義氏のソフトバンクからiPhone3Gが日本で発売される事になった。日本はこの年この日からスマホ社会となったのであり、それは我々平成4年生まれが満年齢16歳を迎える年の事であった。これも昭和5年生まれの人と比較してみれば、昭和5年生まれの人が満16歳を迎える頃には日本国憲法(1946年11月3日)が公布されている。戦後日本が金科玉条にしてきた9条もここで生まれているのである。こうして比較して考えてみると我々平成4年生まれも昭和5年生まれに負けない程の価値観の変化や大変革を目の当たりにしてきたのだろう。

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