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ミリシタメインコミュ143話が最高だった〜当たり前の権利と尊厳を〜

注意事項
 今回の記事はがっつりネタバレしているのであらかじめご了承ください。

 
 
本題
 自分自身と向き合うこと、過去を認め受け容れること。それは時に避けられぬ痛みを伴うものです。ミリオンライブというコンテンツにもその時が来ているのではないか。私はそう考えています。
 今回のメインコミュ143話。馬場このみさんのセンター回です。ふれあいの時点でどこか話を迂遠に回していくような、不穏な空気がありました。そしてプロローグ。水着の仕事から始まります。伝統のセーラーミズギでこちらのテンションも上がっていく。明るく楽しくスポーツ対決、とクラシックなバラエティらしい展開と思いきやプロデューサーがやむを得ず目を離した瞬間、スタッフの一言で緊張が走ります。このみさんと千早の絡みを抜いて、フレッシュでセンシティブな画を撮りたいと。セクシーアンドアダルティで売っているこのみさんにとっとっては聞き捨てならない、失礼ともいえる発言です。その後も過激な画を要求し、現場のアイドルやプロデューサーには番組に対する不信感を持つ結果になってしまいました。


 

 このみさんはお姉さんとして自分たちを軽んじるような態度にびしっと抗議できなかったこと、守れなかったことを後悔しつつ、求められる仕事をすべきだったかと悩みます。後日改めて番組スタッフとの打ち合わせの場でプロデューサーとこのみさんは真意を確かめようとします。そこで聞いたのはさらに信じがたい言葉でした。うちではそういう売り出し方をしていないのでああいったやり方はお受けできませんとやんわり示したプロデューサーに対し、番組スタッフは最近はコンプラがうるさい、SNSで色々言われてめんどくさいなどまともに取り合わず、さらにはより過激なケンカドッキリを提案してくる始末。

 その悪辣さに圧倒されてかこのみさんは強く言い出せず、結局プロデューサーが毅然と断り、その場を後にしました。助けられるばかりで落ち込むこのみさんでしたが、プロデューサーはこれが自分の仕事であり、このみさんが落ち込むような負い目はないと言います。
  この一連の流れを見て、私はこう思いました。これはミリシタが過去と対決しているのだと。流石にアイドル同士の仲が険悪になるようなことはミリオンライブではありませんでしたが深夜ノリのようなバラエティ仕事や悪ノリはありました。水着運動会もこのみさんにランドセルも過去グリマスでやったことです。更に言えば765AS時代から受け継いだものとも言えます。もちろんその時代の空気というものがあり単純にジャッジできないものですが、今の時代にはそぐわない、加害性を含みうる表現と言えます。というか当時からしてもまあまあ古い昭和のノリでした。おおらかな空気と言ってしまえば聞こえがいいものの、無神経で他者の痛みに鈍感な時代でした。もちろん未来から見ればこの時代もそうかもしれません。今でも全部が完璧なわけでもありませんしそういう描写も残っています。ですがそこに開き直っていいわけでもなく、よりよい表現へと向かって足を進ませなければならないのです。コンプライアンスもルールもその本来の役割は誰かの権利や意思を守るためのものです。昔は許されていたのではなくそれが嫌だと言い出せない人が多かった。そういう搾取の構造があったということです。他者の権利を尊重し守ることが窮屈と感じるのならそれは誰かを踏みにじれないのが窮屈と感じているのと変わらないのではないでしょうか。それはある種不可避の痛みであり、それを受け入れなければならないのです。過去と対峙し、その落ち度を認め、変わっていく。そうしなければ人は腐ってその腐臭をまき散らす怪物と化す。ミリシタは今回自分たちは過去の一部によくない部分があった。それを認めこれからどう変わっていくのかということを示してくれたのではないでしょうか。ただ言いたいのはそれが好きだった気持ちまでは否定しなくてもいいと思うのです。そこに罪悪感を持つ必要はない。懐かしんで楽しんだっていい。私にもそういう部分はあります。けれど窮屈と感じる時にその窮屈によって守られている誰かのことを考えて欲しいということです
 一方でコミュの後半は昔から変わらない部分、過去から地続きのいい部分の話をしていました。傷心のこのみさんは打ち合わせの後に寄ったスーパーで妹のかりんとばったり会います。


 

 かりんさん、甘えん上手でかわいいんですよ。このみさんってその見た目と内面のギャップみたいなのがウリのキャラなんですけど妹のかりんさんにとってはギャップはないんですよね。子供のころからずっとお姉ちゃんで甘える対象というか、その自然さがこのみさんの大人さや包容力を引き出してくれるというか。今回のコミュの中でも仕事の中で気を張ってお姉さんの役割をやろうとするこのみさんと妹相手に自然体で姉をやっているこのみさんで効果的な対比がなされていましたしプロデューサーよりも近くで見てきたからこそ昔から変わらないこのみさんのいい部分を再確認させる役目を果たしてくれて、物語や世界に深みを出してくれるいい話だなあと思いました。このみさんの責任感の強さやリスクの中にも踏み出そうとする勇気はこのみさんの内側から出てくるものでありそれがあるがままであるということ。今回実装される「it’sme」の歌詞にも沿ったいいコミュでした。

 そして最後は番組は新しいディレクターに代わり、目先の話題性目当ての過激な路線を捨て、765プロの老若男女に受け入れられるやり方を学んでいきたいと反省と謝罪を込めた申し出を受けるという形で締められます。お互いが歩み寄り、個人の権利や意思を尊重しながら表現を模索していこうと。昨今バックラッシュが激しい時世の中で個人の権利と意思を尊重し、過去から変わっていくという物語をミリオンライブで描いてくれた事が私は嬉しかったし応援します。特にこのみさんという大人でセクシーを持ち味にしているキャラでその一線を守ることの重要性を描いてくれた事は特筆すべきです。また、作中でこのみさんがそれを守るために立ち上がったこと、そんなこのみさんを守るのがプロデューサーであると描かれたこと。それを胸に刻んでいきたいと思いました。

あとがき
 物語を通した内省と成長。これらはある種読む側にも痛みを与えます。けれどそれを受け入れ乗り越えた時、読んでいる私たちも昨日とは違う自分になれるのです。エンタメで痛みなんて感じたくないと思う人もいるかもしれませんが私個人としてはそういうものが好きです。痛みを伴うとしても表現したい、伝えたいものがあるということは書き手の強い思いを感じ、濃密な体験を与えてくれます。それは他では味わえない醍醐味なのです。書き手ももちろんネガティブな反応くらい想定はしているでしょう。それでも言いたいことがあった。そのことを重く受け止めたいと私は思います。
それではまた。

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