『ルックバック』について

気づいたら2月も半ば。
『ルックバック』という作品が映画化される、とジャンプ+のアプリで表示される。
気になったので、Kindleで読んでみた。
『ルックバック』は、藤本タツキ(チェンソーマンの作者)の作品で、151ページ。マンガには詳しくないので、このくらいのボリュームの作品がどう呼ばれているのか分からない。
読んでみて、改めて藤本タツキの作品の鮮やかさ、爽やかさに驚かされる。
この『ルックバック』を読んでいるときの感覚は、どういうものなんだろう?
それは、「読んでいるとき、そのフィクションは現実に存在しているような感じ」というか。
もう少しドライに言い換えるなら、「フィクションがまるで現実であると錯覚させられる感じ」になるのか。
ひとまず、あらすじを整理する。
主人公の藤野は、小学4年生の女の子。舞台は東北の田舎で、田んぼに囲まれている。藤野は絵を描くことと話を作ることが得意で、学級新聞に秀逸な4コマ漫画を書いては、みんなから褒められる。その面白さは実際に小学4年生離れしているように思われる。
ところが、自分の4コマのとなりに、不登校児の京本のものが並ぶようになると、周囲の評価が微妙に変化する。京本の4コマはストーリーはなく、ただ風景だけ。けれども、その絵の技術は素人離れしている。
「京本の絵と並ぶと藤野の絵ってフツーだなぁ!」
今まで誉められっぱなしだった藤野は、負けじとひたすら絵の練習をし続ける。授業の時間も、休み時間も、家にいる時間も。けれども、京本の絵のクオリティーの高さには勝てないと悟ったのか、ある日4コマを書くのをやめる。周囲からオタクだと思われないよう、カラテを習い始め、家族との時間を大切にするようになる。

小学校の卒業式が物語のターニングポイントになる。
担任教師に卒業証書を京本の家に届けるよう頼まれた藤野は、しぶしぶ京本の家に行く。
閉じこもる京本の部屋の前で、藤野はおもむろに4コマを書く。
『「出てこないで! 出てこないで!」
「出てこい! 出てこい!」
引きこもり世界大会決勝! 現在一位は大差をつけて京本選手です!
(ガイコツの京本)』
その4コマは手を滑り落ちて、京本の部屋へと入り込んでいく。
焦って家を飛び出す藤野を、追いかけてくる京本。
京本は藤野の4コマの大ファンだった。
以下、セリフ抜粋。
「藤野先生は絵も話も5年生頃からどんどん上手くなっていって私確信しました……!
藤野先生は漫画の天才です……!」
「それなのにどうして……
どうして6年生の途中で4コマ描くのを辞めたんですか…?」
「ていうかまあ…
あのていうか今漫画の賞に出す話考えてて
ステップアップするためにやめた感じだけど?」
「うええ〜!?
ええ〜!! みたいみたいみたい!みたい!」
こうして藤野は京本に漫画の話を見せる約束をする。ここからが、前半の魅せどころ。
藤野は雨の農道をスキップしながら帰る。それはスキップという言葉では表しきれない、躍動というか、悦びというか、文字では表現しきれない。マンガだから表現できるものだと思う。
自分の本当の姿を、本心から肯定してくれる存在こそが、生きる意味を与えてくれる。藤本作品に通底するメッセージの凝縮がここにある。
家に着いた藤野は、雨に濡れた体のまま、漫画を描く。
ここから、藤野と京本の共同での漫画作成が始まる。2人は13歳でジャンプの佳作に入選する。それから、13歳のコンビ漫画家『藤野キョウ』としてデビューし、読切を投稿し続ける。マンガを描き、それを通じて2人は絆を深める。そしてついに、高校卒業とともに連載マンガを担当することに決まる。
しかし、京本はもっと絵の技術を高めるために、美術の大学へと進むことを決める。藤野は京本との別れを惜しんだが、それからは一人で作品をつくることになる。

ひたすらにマンガを描き続ける藤野。連載マンガはアニメ化され、その歩みは順調に見える。しかし藤野は、ある日山形の美術大学で殺人事件が起きるニュースを見かける。
殺されたのは、京本だった。

京本とともに、マンガ連載の夢を語ったころを思い出す藤野。
藤野は葬式に参列し、京本の家を訪れる。彼女の部屋の前には、以前自分が描いた「引きこもり世界大会」の4コマがあった。
藤野は自分を責める。
「私のせいだ……
私があのとき……漫画書いたせいで…
京本死んだの あれ? 私のせいじゃん……
京本部屋から出さなきゃ
死ぬことなかったのにっ あれっ?
なんで描いたんだろ…
描いても何の役にも立たないのに…」
藤野は、4コマを破く。1コマ目の「出てこないで」というメッセージが、京本の部屋の中へと吸い込まれていく。

そして、それは、小学6年生の、卒業式の日の、京本の部屋へと届く。

ここから先の展開は、試行錯誤しても、うまく表現できない。
藤野の思いが、時間を超えて、京本に届く。このメッセージにより、「出てこなかった」京本は、藤野とは出会わなかった。
その後、美術大学に入学した京本は、やはり凶器を持った男に襲われてしまう。しかし、そこを通りかかった藤野が京本を救う。
京本は自分を救ってくれた藤野を4コマに描く。風で飛ばされたマンガは、部屋のドアをすり抜けていく。
そして、4コマ漫画は、京本が死んだ世界、つまり「京本が部屋の外に出た」世界の、藤野のところに届く。別の世界では、それは命を助けてくれた感謝のメッセージだった。こちら側の世界に送られたそれは、生きがいを与えてくれたことへの感謝へと変換される。
京本を失った藤野は気づく。藤野が漫画を描くのは、京本のため、自分の漫画を期待してくれる純粋な思いに応えるためだった。

京本が救われた世界は、藤野の妄想なのか。それとも、パラレルワールドか。つまるところ、単なるファンタジーなのか。

この展開は文字で追えば単なるご都合主義に読めてしまうかもしれない。漫画を実際に読むと、幸せな一瞬の夢のような心地がする。
それでもやはり、藤野の4コマが小学6年生の京本の手元に届いたシーンは、単なるファンタジーではないんじゃないか。この『ルックバック』という物語を読んでいるとき、読者は間違いなく、人物の思いがお互いに届いている手応えを感じている。
「漫画を描く」ということが、現実には起こり得ないことを現実に感じさせる。

何がこのようなことを可能にするのか?
それは表情の迫力、生き生きとしたキャラクター性、ユーモアを感じるセリフ、細部の書き込み、などなど、それ以外にも、素人では注目できないポイントがあるのだと思う。また、『4コマ漫画』という二人の心情の象徴が印象的に用いられていることもあると思う。
もちろん、素人だから深くは分からない。
物語の中にあるように、漫画家が私生活のほとんどを捧げた「描いてきた時間」が、作品の魅力の基盤になっているのではないか。作品の中で、ただ絵を描く背中だけが描かれるコマが、次々と続いていくように。だから描かれたものもまた「時間」を超える。
藤本タツキが、作品を通じてマジックを引き起こすのならば、やはり藤野キョウもまた作品の中でマジックを起こし得る。そして、それを引き起こすのは、「作者」が延々と漫画を描き、延々と描かれてきた時間である。

結局のところ、素人の想像の域を出ない話になってしまったけれど、とにかく『ルックバック』は面白かった。それこそ、想像力をめちゃめちゃ刺激された。
なにより、小難しいことを抜きにして、「チェンソーマン」の世界からだけでは分からなかった藤本タツキの魅力が感じられる。
是非読んでみてほしい。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?