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落ちて、落ちて、また落ちて 演劇未経験・小脳梗塞発症・中年男の戯曲講座挑戦記 その7

落ちて、落ちて、また落ちて 演劇未経験・小脳梗塞発症・中年男の戯曲講座挑戦記 その7

落選は続くよこまでも

【この物語は、演劇未経験の中年男が、2015〜2018年に長崎ブリックホール・大ホール(2000席)で上演された市民ミュージカル『赤い花の記憶 天主堂物語』脚本を書くまでの実話である。】

シーハットおおむらの戯曲講座は、東京の演出家の先生が講師となり、月に2日(土・日続けて)行われた。参加する人たちは市民ミュージカルのスタッフや出演者や舞台の脚本を書いてみたい人など、10人ほどであった。

その頃、ほぼ毎年市民ミュージカルが開催されていたので、講座参加者の書いた戯曲(脚本)が採用されるチャンスは年に一度。採用が決まれば客席500席のシーハットおおむら・さくらホールで上演されることになっていた。もしかしたら、演劇未経験者の自分が書いた戯曲(脚本)が舞台で上演されるかも……。たぶん都会では絶対に叶えられない夢だが、地方ならば可能性のあるチャレンジではないかと思った。

2006年の市民ミュージカル

私は月刊『広報』の連載を終えた後も、スタッフとして参加し、戯曲講座に通った。その間に舞台の裏方スタッフやエキストラを経験し、セリフのある役者としての初舞台出演も果たした。もちろん演技は“大根”だったが。ミュージカルの戯曲を書くには経験値が低いことがわかっているので、その穴を埋めるために、歌やダンスなど、短期間に何にでも挑戦した。きっと周囲から見れば、わざわざ長崎市から大村市まで通う、変な中年男だったに違いない。案の定、ミュージカルに参加していた子どもたちから「変なおじさん」と呼ばれていた。

市民ミュージカルに関わるようになって、小脳梗塞の後遺症はだんだん改善された。初めての体験の連続は好奇心を刺激し、再び生きる気力を呼び起こした。個人的な感想だが、小脳の失った機能がだんだん回復していくような、そんな感覚さえした。最初の頃は、いつめまいが起きるか心配なので、腰が引けることもあったが、好奇心や興味のほうが後遺症の不安に勝った。

それに戯曲講座は楽しかった。毎回いろんな課題が出るのだが、その課題についてあれこれアイデアを絞り出し考える時間が至福のひとときだった。基本的に私は物語を想像するが好きだったのだ。

2009年の市民ミュージカル

しかし、私の書いたシノプシスや戯曲はその後も採用されることはなかった。一つひとつ経験したことを糧にして、今年こそはと挑むのだが、毎年落選し続けた。気がつけばシーハットおおむらに通い始めて約5年が経とうとしていた。それでも演劇未経験・小脳梗塞発症・中年男の戯曲講座挑戦は続いた。(その8につづく)

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