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12歳で処女を失った話

わたしの初めては、愛がないセックスでした。

大阪府高槻市に祖父の家があります。

祖父の家は、2世帯タイプの住宅です。

1階に祖父と祖母が夫婦で住んでいます。

2階に叔父さんが5人家族で住んでいます。

幼いころはよく祖父の家に通っていました

正月、母の日、父の日、おぼん、敬老の日、誰かの誕生日……。

なにか行事があるたびに、家族で遊びに行きました。

私が産まれる前から、年に10回以上の頻度で通っていたそうです。


幼いころは、よく祖父の家の畳部屋で遊んでいました。

だれかが泊まる時用の畳の一室です。

子供同士で広々とドタドタ走り回れます。

叔父さんには、3人の息子がいます。

3兄弟はいつも騒がしかったです。

3兄弟の中でも、長男ター君とよく遊んでいました。私より2つ年上です。

私が4歳になって、ひらがなを書けるようになっても、6歳のター君は鉛筆をグーで握ってうずまきを書いていました。

5歳の私が、小学校受験用に自宅の住所を丸暗記して言えるようになっても、7歳のター君は「あー、うー」しか言葉を発しませんでした。

それが当たり前だろうと感じながら成長しました。

ター君を含めた3兄弟全員が重度知的障がい者でした。

3兄弟の中で、一番知能が高かったのが、長男のター君でした。

祖父の家に行くたびに、三兄弟と私で机をバコバコ叩いて遊んでいました。



私が10歳ごろになると、3兄弟に対して嫌悪感がでてきました。

嫌だったことベスト3を発表します。

嫌なことその1「リビンクの照明スイッチで遊ぶ」

電気がついたり消えたりして迷惑でした。ついでにリビングのテレビのON/OFFスイッチで遊ばれるのも嫌でしたし、テレビの音量をMAXにされるのも怖かったです。

嫌なことその2「食事マナーが壊滅的」

祖父の家では、晩御飯は決まってすき焼きでした。まず子供だけで祖父の炊いたすき焼きを食べます。鍋に向かってくしゃみをするわ。鼻水が垂れてた白米をそのままかき込むわ。うどんをノドにつまらせて吐くわ。隣で一緒に食事をしていられませんでした。
すき焼きの後には、必ずシャトレーゼのケーキがでてきます。当時の嫌いな食べ物は、すき焼きとケーキでした。
幼稚園の頃は特に違和感を感じることなく食事ができていましたが、徐々に成長するにつれて気持ち悪いと感じるようになりました。後日、母に相談すると我慢しなさいとのことでした。我慢もできませんでした。試しに、ごはんの大半を残して席を立ってみました。祖父が今日のすき焼きはおいしくなかったか?と尋ねてきたので、お腹がいっぱいだと伝えました。おばさんは、ダイエットかな?好きな子でもできたの?と声をかけてきました。

嫌なことその3「うんこを食べる」

ター君は「とーれトイレ」と、自分で便意を伝えることができます。おばさんの付き添いで便所に向かいます。しかし、下の2人は、それもできませんでした。常にオムツをしています。夏になると、汗でかぶれるのかオムツを脱ぎたがります。うんこで汚れたオムツに手をついて泥遊びのように遊んだり、畳にこすりつけたりします。最終的にはうんこを食います。

このような状況なので、なにか異常があると、すぐに大人達のいるリビングに走って報告するクセがつきました。あまりにも報告回数が多いと誰もいないところで母にこっそり叱られます。今日のは大したコトじゃないから邪魔しないで。と。せめて野球を見ているときはくらいは集中させて。と。おじいちゃんとおばあちゃんは野球が好きなんだから。と。言われました。叱られたその日から私の裁量で報告する/しないを決めました。危険度と緊急度に応じて見極めるのが難しかったです。


私が中学校へ進学すると、部活終わりの制服姿のまま祖父の家に行く機会が増えました。

このころからよくター君に腕を引っ張られるようになりました。

おばさんは、その光景を見る度にター君を叱って、私との距離を離してくれました。おばさんはごめんね、ごめんねと申し訳なさそうな顔をします。痛いものは痛いし、嫌なものは嫌です。嫌すぎて私が泣いていると母が「我慢しなさい。失礼でしょう」と声を潜めて叱ってきました。母の顔が怖かったです。

その頃のター君は巨漢でした。ずんぐりむっくり。14歳なのに大人用のポロシャツ着せられていました。引っ張る力は、リミッターを外したかのように常に全力でした。癇癪を起こして泣き叫ぶ時もドスが効いていて全力で暴れます。

対して、私はヒョロガリ。早生まれということもありますが、クラスで一番背が低かったです。腕を引っ張られるときは、毎回手首がうっ血して赤くなり、爪がめり込んで血がでるときもありました。絆創膏が欲しいと母に頼むと、今は祖父の家だから無いので、家に帰ってから渡すと言われました。


ある夏休みの一日、部活を早退しました。家族がいる祖父の家に合流します。
早退理由は生理です。部活の顧問が女性なのでそのあたりは理解がありました。もしも気分が悪くなれば、そのまま祖父の家の畳に横になろうと思っていました。
いつものように畳部屋で座っていると、いつものようにター君に腕を引っ張られました。しかし、今回はおばさんはいません。他の大人も周りにいません。
うんうん。とやんわり抵抗します。今日の大人達はリビングで夏の高校野球を見ながら談笑しています。報告はしない方がいいかな。
うんうん。とそのままター君に引っ張られます。一度暴れられたら大人の介入がないと止まりません。母に、暴れた原因はお前だ。と叱られるような気がしました。
うんうん。とそのまま引っ張られて、されるがまままター君についていきます。
下の2人組を残して、畳の部屋から出ることになりました。
いいのか?と迷ったものの、少しくらい目を離してもいいか。と中学生の私は判断しました。そのままター君について行きます。

ター君はそのまま2階へ向かいました。ガッチリ腕を掴まれているのでそのまま私も2階への階段を登ります。2階は、ター君家族の居住スペースです。2階へ行くのは初めての経験でした。好奇心は止められません。探検気分で、ついて行きました。

2階はぐちゃぐちゃでした。

まず、2階の玄関のドアの内側がボコボコです。頑丈な金属性のドアを鈍器で殴ったような跡がありました。ボコボコの跡で表面がトゲトゲしています。塗装が剥がれて中の銀色の金属が見えていました。

ター君は2階のリビングに進みます。リビングの液晶テレビの一部分がボコンと曲がっていました。リビングを抜けて、廊下を歩きます。すべての部屋に鍵がついていました。1階はふすまの部屋が多いのでずいぶん違うんだなぁと呑気なことを思っていました。

ター君がある部屋のドアを開けて入りました。私もター君に腕を掴まれているので、そのまま入ります。もっとぐちゃぐちゃの部屋でした。目の前には、巨漢のター君がいます。処女を失いました。ター君のよだれが顔にかかるのが気持ち悪かったです。そして痛かったです。生理で痛いのか処女を失って痛いのか判断できませんでした。制服の血の染みを落とすのが大変でした。


中学2年生の春。いままでの部活を辞めて、新しく空手道部に所属しました。なんとかしなきゃと思って。年齢を重ねて会うたびに三兄弟の総重量が増していました。3人とも大きすぎる。ター君だけではなくて、三兄弟全員がうっすら嫌いでした。時空が歪んで、明日から三兄弟全員がいない生活が始まったらいいなぁ。と思っていました。殺したいか?と聞かれればそういうわけでもありません。最低限の対策がしたかったです。

中学3年生。部活がない日も地元の空手道場に通うことにしました。高校1年生。空手をつづけて、大阪ベスト3位に入賞しました。高校2年生。空手部の部長に就任し、2020年東京オリンピック強化選手に指名されました。

ある日、祖父の家に行きました。夕方に晩ごはんができあがるまで、男性陣はリビングでテレビを見て、女性陣が全員キッチンにいるのがお決まりです。祖父の家では、常に大人と一緒にいるよう心がけました。私も大人に混ざってテレビを見ていると、消防車がサイレンを鳴らして家を通り過ぎていきました。テレビの音がかき消されます。救急車2台と消防車3台が走っていきました。あまりにもサイレンの距離が近いので、叔父がベランダに出ました。近くの家が火事になっていることが分かりました。男性陣は車で火事の現場に向かう者もいれば、ベランダに出て空の煙を眺める者もいました。私はテレビをそのまま見続けました。誰かに手を引っ張られます。ター君です。気づけばリビングにいるのは私と三兄弟だけでした。油断していました。

はじめて抵抗します。自分の思い通りにいかないター君は奇声をあげて泣き暴れて殴ってきました。殴られ続けます。上半身を殴られたときにコポっと音がしました。鈍い痛みにうずくまります。うずくまっても、そのまま頭を蹴られ踏まれ、ター君の重量を活かした攻撃は続きます。タダゴトではない奇声に周りの兄弟も奇声をあげて泣き出しました。大人がリビングに駆けつけました。エプロンをした母に何があったの?と鬼気迫るように尋ねられました。そのままを述べると、暴れた原因はお前なのだから謝りなさいといわれました。おばさんは、いいのよ、いいのよ、ごめんね、と申し訳なさそうにしていました。


翌日、鈍い痛みが続くものの部活行きます。2週間後に近畿大会が迫っています。部長の私が簡単に休むわけにはいかないと思っていました。しっかりしなくてはいけません。いけるでしょと、ウォーミングアップをします。いざ体を動かしてみると痛みに耐えきれなくて固まってしまう自分がいました。動かせば動かすほど悪化します。呼吸すら痛いことに気づきます。部活を早退しました。携帯で母に連絡します。駅で待ち合わせして、病院に行きました。医師に痛む箇所を見せます。右上半身が腫れていました。レントゲンを撮ります。肋骨ろっこつが折れていました。今日の空手の練習で折れちゃったみたいと嘘の説明をしました。

近畿大会には参加できませんでした。悔しかったです。


大学に進学しました。前期試験が終了して、夏休みに入りました。高校生時代とは違って大学生には夏休みの宿題がありません。自由時間が与えられました。わたしは、大阪中ノ島にある大阪裁判所に通ってみることにしました。

どうしても気になることがありました。「ター君を裁けるのか?」という点です。私は、重度障がい者に性被害と暴力を受けています。きちんと被害を報告していたら警察は動いたのでしょうか。もしも、あの時こうしていたら…と、if世界線に興味が湧きました。図書館で六法全書を読んでも分からないし、ネットで検索しても分かりませんでした。自分のほしい答えが見つかりません。そもそも自分の知識がなくて専門用語がわかりませんでした。行った方が早いかもしれないと思い立ち、大阪地方裁判所と高等裁判所に傍聴しにいきます。

夏休みの平日40日間毎日通いました。まず、加害者が障がい者の裁判を見つける必要があります。裁判所の1階メインホールにある「開廷表」から裁判を選びます。開廷表には、事件名が並んでいます。事件名で犯罪の種類がわかります。

私が気になるのは、重度障がい者が加害者の裁判です。「暴力系」「わいせつ系」を狙います。開廷表から見たい裁判を絞って傍聴を続けました。

私が避けた事件名があります。「お金トラブル系」「麻薬取り締まり系」「ポルノ所持系」です。候補から外します。

障がい者の裁判は見つかりませんでした。見つかりませんでしたが、収穫はあります。裁判や法律の専門用語が少しわかるようになりました。改めて、図書館へ行き、六法全書と裁判判例集を見てみました。するする内容が理解できるようになりました。最終的に「ター君は裁けないだろう」という結論にいたりました。専門家でも法律家でもなんでもない私の予想です。

大学の冬休みも、そのまま障がい者の裁判を探しました。しかし進展がなく、途中から恋とバイトとゲームを優先させるようになりました。


裁判傍聴という趣味の悪い習慣を辞めたおかげか、モテ期がきました。男性と付き合っては別れて別の男性と付き合ってみて。そんな学生のしょーもない恋愛を繰り返す内に気になったことがあります。「あのときのター君は童貞だったのか?」という点です。

大学生同士のセックスは未熟なものです。探り合いに重なる探り合いを行います。シャワーへ入る所作や抱きしめ合う手の位置でナニカを感じます。相手の童貞らしさと私の非処女らしさが伝わり合います。思い返すと、あのときのター君は、本能的なものだったとはいえ、初犯とは思えません。初犯の被害者は、誰でしょうか。おばさんでしょうか?私の考えすぎかもしれないので、この話は置いておきます。


ある日、祖父の家に行きました。晩御飯にすき焼きを食べた後は、必ずシャトレーゼのケーキが出てきます。素手でショートケーキを食べる三兄弟の末っ子を隣に、私はチーズケーキを食べます。
三兄弟の末っ子が叫び出しましました。止まりません。そのまま呼吸法がおかしくなりました。溺れるようにゲロを吐いています。おばさんと叔父さんが駆け寄ります。救急車を呼びました。救急隊員が家の中に入ってきます。おばさんが慣れたように「カルテがあるので〇〇病院へ行ってください。」と叫んでいます。その場にいた全員が彼を生かそうと必死でした。

私は兄弟たちの手を握っていました。大丈夫だよ。安心だよ。リラックスだよ。と声をかけます。暴走癇癪を起こさせるわけにはいきません。二次被害を止めるために、テレビに注意をそらしなごら、背中をさすります。

おばさんは救急車、おじさんは自家用車で病院に行きました。残された私たちは、後始末をします。祖母と母はゲロの処理、父は外していた障子を元に戻しました。祖母は「ほんまに死ぬんとちゃうか」とつぶやいていました。あ、言うんだ。と思いました。

私はボケーっとしながら、あんなに嫌いだったのに。あんなにいなくなってほしいと願っていたのに。と思いました。

2時間後に病院から3人とも帰ってきました。生きています。末っ子は、キャッキャッ笑っています。ケーキに刺さっていたプラスチックの飾りを飲み込んでいたようです。シャトレーゼのケーキを手配したのは母です。母は、おばさんに対してひつこく何度も謝っていました。おばさんは、ごめんね、いいのよ、いいのよと申し訳なさそうにしていました。

私は正解が分からなくなりました。


コロナで3年間祖父の家に行くことはありませんでした。

2024年正月。久しぶりに祖父の家に行くと、ター君はいませんでした。20歳を過ぎてから障害者支援施設で労働生活しているそうです。もう独り立ちして寮にいるので、家にいないそうです。そうか。時空が歪まなくても、よかったのか。もうター君と会う機会はなさそうです。

おばさんが上機嫌に語りかけてきました。なんでもコロナ期間中にオンラインサロンを始めたそうです。障害のある家庭へサポートする活動をされているとのこと。さらに続きます。高槻市の市民会館で公演していると自慢気でした。「私の心のキズに気づきもしないクセに、なにがサポートじゃボケ!」なワケですが、悪いのは何も言わなかった私です。言葉を引っ込めます。おばさんは晴れやかな表情で私に名刺を差し出しました。「人生のヒントお試し相談45分3300円」と書かれていました。


現在、旦那と結婚して1年半が経ちます。
結婚をしてからセックスレスです。
私からやんわり断っています。

自分の遺伝子が怖いです。

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