外国人義家族にとっての戦後
今日も、メイドさんがデザートを用意してくださいました。外国に住んでいます。旦那は外国人です。
冷蔵庫で事前に冷やしておいた剥きたてのドラゴンフルーツです。
こちらのキティちゃんの食器は、元々ゴミ捨て場にあったものです。去年、旦那の母が拾ってきました。
食器は ゴミ捨て場から 拾ってきたものです。
義母は、よくゴミ捨て場からものを拾って持って帰ってきます。メイドさんを雇えるぐらい収入に余裕はあります。しかし、ゴミ捨て場を漁る習慣はなくならないそうです。
義母は70代。戦争を体験している世代です。
身長は、とても低いです。
現在小学3年生の姪っ子と同じ身長です。
地域の70代の女性は、みんな背が異常に低いです。
栄養が足りなかったのかな?と推測しています。
義母は、戦争を体験しているといっても、戦場は見たことがないらしいです。飢えとの闘いだったそうです。
日本で生活しているとあまり意識することはないかもしれませんが、国によって終戦の時期が異なります。第二次世界大戦が終わっても、内戦や紛争が続いたり。治安が不安定でなかなか長い期間十分な食料が行きわたらなかったそうです。とても長い長い間、飢餓が続いたそうです。
そんな義母と義父は現在は裕福な暮らしをしています。家族が持つスマホは全員iphone13より最新です。それでも、義母のゴミをあさる習慣は抜けないみたいです。とっても複雑です。義母に罪はなくて、時代と環境がそうさせてしまった感があります。
村で一番裕福に成功したのが、義父です。
義父は、戦争のゴタゴタ中に生まれた孤児です。1代で大金持ちになりました。
二番目に裕福に成功した親戚がいます。
その親戚は、こどものころ4兄弟で海を渡ったそうです。
10歳にも満たない4人組がどうやって海を渡ったかわかりません。浮いているボールにしがみついて、命がけで渡ったそうです。
1人がおぼれて亡くなりました。
何回も国境の警備員につかまって、追い返されたそうです。そうやってこども3人組は長い期間をかけて、外国に上陸しました。
現在は60代のおじさんおばさんたちです。
3人は外国の同盟国の外国に渡って、ビジネスを成功させています。そのうち2人は、子育てが終わって、地元の村に帰ってきました。
村の子供はみんな顔見知りみたいなものだったようで、現在でも交流があります。
8年前。自分が大学生だった頃、旦那の実家を訪れたことがあります。農村部で、湿地帯です。
当時は、鳥が1匹も飛んでいませんでした。
日本だと、野生のハト・スズメ・カラスを見かけます。しかし、1匹もいないのです。疑問におもいました。
旦那に尋ねてみると、「あぁ、全部食べつくしたみたいだよ」と言っていました。もう少し質問すると、戦争にまつわる話を聞きました。餓死状態の人間ってこわいね。
当時の画像が残っています。量が多いですが、並べてみます。
以下、すべて8年前の写真です
現在、実家に行くと、たまに鳥が飛んでいます。見たことがない種類の鳥です。
new実家は10年後取り壊されるそうです。国立公園として、立ち入りができなくなります。生物の多様性を保全をする活動が進行中です。
年月をかけて鳥さんが微増してるみたいで嬉しい
鳥を見かけると、飢餓の話を思い出すようになりました。
旦那は戦争を経験していません。
しかし、旦那の父と母は戦争を経験しています。
わたしも戦争を経験していません。
しかし、祖父と祖母が経験しています。
どうやって伝えればいいのかわからないですけれども、それでも伝えなきゃいけない気がして、書きました。鳥がちょっとづつ戻ってきて嬉しい
あとがき
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