ひとことはなし62

2020 11 27
ある役員さんが口角泡を飛ばしてこう言いました。
「酒を出すのをやめたら天理へ人が行かんようになるで。それもでいいのか!」と。

その後僕はこう言いました。
「そうなればそれでも結構です。行きたくなければ行かなくていい。
それで団参参加者が減るならそれでいい。これからは量より質を目指す」
※内心ブルブル震えている。
更に言葉を継いで
「よく考えてくださいよ。おぢばはたすかりに行くところなんでしょ?
理を戴きに行くところでしょ?いや、そうじゃない。おぢばは酒を飲みに行くところ、と言いたいのですか?
そんなに酒が飲みたければ団参が終わってから飲めばいい。
これから連山は、理の立つ団参にしていくので酒は断ちます」と断固宣言した。
そこまで言うと役員さんも黙ってしまいましたが、内心
「この若造め、偉そうなこと言いやがって」と思われたかも。実際この時は、超若造の時でした。そもそも会長になる人間ではなかったのがこう言う訳ですから腹も立ったと思いますね。

しかし、僕なりに命がけの決断でもありました。後悔はしない。
が、もしかしたらこれで役員さん、信者さん方の中から信仰をやめる人も出てくるかもしれない。という恐れがありました。

その後も不足、不満、反対もありましたが、僕は断固、節を生かす道を通りました。
今思うと「よう言うたなあーお前」と言いたい。

しかし、神様はおられるので、この決死の心を受取ります。

翌年に行われた団参に、他宗教を信仰するご夫婦が出てくれました。
この宗教は、本部へ参拝に行って帰るまでの間、飲酒は禁止らしいのです。
途中のサービスエリア等で飲食も禁止。正に修行。

ところが、まだ完全に酒を断っていない当時の連山団参の状況を見たご夫婦が驚いたのです。
「天理教は本部へ行くのに酒を飲むのか」と。
で、この御夫婦を誘ったのが、この度の節を作った主人公。
この言葉に二の句が出なかった。
これが決め手となり、翌年には、ほとんど飲む人がいなくなりました。
その後は完全に酒を断ちましたね。

今では理の立つ団参になりました。
 
次の目標は、今までは教会が一手に皆さまをお連れして団参をしていましたが、連れて行って貰う側から、今度は人をお連れする側へ成人してもらう事です。
いつまでも連れて行って貰う側だと成人ができません。人を連れて行く上での苦労を知る為にも、今度は人をお世話する側へと変わっていきたい。そう願います。終わり。

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