加齢なる頭髪

若い頃から白髪が多かった。いつから生え始めていたのか記憶がないが、小学校高学年の時には友人たちが「白髪があるよ」と教えてくれていた。言うまでもなく余計なお世話であるし、それを教えられたからと言って、私が何をすれば良いのか皆目見当はつかなかったし、返す言葉すら思い浮かばなかった。何と答えたのか覚えてもいないけれど、私のことだから「ああ、そう」とか「知ってる」と言ったのじゃないだろうか。あるいはただ困惑して相手の顔を凝っと見ていたのか。この歳、というのは五十ってことだが、五十にもなれば笑顔で礼を言うという高等テクニックだって使えるのだけど、いまとなってはわざわざそんなことを言ってくれる人がいない。世の中とはうまくいかないものだ。
最初は後頭部に生えたのだと思う。鏡を見る限りは発見することができなかったし、他人が私のリアクションを考慮することなく(考慮しなかったのは相手も子供だったからかもしれない)、教えていたのは、「後ろに生えているので私が教えてあげないと、この人は知らないままかもしれない」という親切心だったのかもしれない。あくまでも私の空想ではあるが。
結局、数年のうちには頭頂部、前髪とその生息域を広げ、大学の受験勉強からの現実逃避の一貫としての白髪抜きも珍しくなくなった。何しろ、受験戦争とか学歴社会、三高なんて言葉を浴びるように聞いてきた世代だ。受験勉強は逃避に値する一大行事だったのだ。
何を隠そう私の母が総白髪になったのは、かなり若い頃だったと思う。「思う」というは、いささか微妙は表現ではあるが、親の年齢というものは子にはピンと来ないものだ。考えてもみてほしい。親は生まれたときから、私が生まれた頃という意味だが、生まれたときから親だった。ま、子が生まれたから親になったとも言えるのだが。
そういう訳だから、母の頭髪がすべて白いことに気がついたとき、彼女が何歳だったのか、を知るのは意外に難しい。母が当時何歳だったのか考えるとき、まずその当時の自分が何歳だったのかを思い出す、それがわかったら今度は自分と親の年齢差を考え、その差を自分の年齢に足して、ようやく「あ~」と納得する。
私がまだ実家で暮らしていた十代の時から、母が時おり髪を染めていたのは知っていた。おそらく二液混合タイプだったようで、風呂場でその作業をする母から「二十分経ったら教えて」と依頼されたのにテレビに夢中だった私は失念して、彼女に怒られた記憶がある。
大学進学を機に私は実家を出た。ある時、帰省すると母の頭髪が真っ白になっていた。どうやら髪を染めるのを諦めたらしい。ということで逆算すると四十代のどこかの時点ではすでに総白髪だったようだ。
そういうことで、自分も五十になるまでに同じようになるものと思っていた。若い頃から白髪を染めたことはなく、どうせ白髪が生えているのなら早く総白髪になりたいと考えていた。が、どうした訳か、そう期待すると裏切られるもので、黒が白になるペースは徐々に落ちて、なんとも中途半端な髪色で止まってしまった。ごま塩という状態。
そして、いまは数が減り始めている。

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