64歳で逝った兄のこと③
回想する姿
おい、オレが子供の頃田舎の叔父さん所で川遊びしよったろ?
ザリガニ取ってさ!
あの川の上の方に小さな祠があったったい。
あの辺の景色が何回も夢に出てくるとぞ。
お前暇なときにあのあたりの風景をカメラに撮ってきてくれよ。
夏休みには決まって、あの親父の故郷に遊びに行っとったねー。
あそこが俺の1番のお気に入りやった
それから高校時代に裏門のそばにラーメン屋さんがあったろう。
あのラーメンがめちゃくちゃ食べたい。でも俺が行くわけいかんけんお前どんなかして手に入る方法わからんや?
まるで子供のように私の顔見たら、あれが食べたい。あそこを見てみたいとねだります。
兄の気持ち
日頃は、無口な兄もホスピスに入ってからは、饒舌に私たちに語りかける、彼なりに気をつかっていたんだろうか?
ホスピスに入ってからの兄は妙に変化が…
私も胸を痛めながらも精一杯兄のために答えてあげようかなぁと思った。
ホスピスという施設
兄が入院してるホスピス棟は、長崎大学の近くにある病院だった。
もう亡くなるとわかっていたので、ドクターも看護師さんもすごく優しく、
兄の病室はまるで我が家のように暖簾をかけたり、壁に飾りをつけて、自分の家のリビングのような設になっていた。
廊下に出れば、全くその雰囲気とは違う。
祈りの部屋とか、患者のご家族が待つためのレストルームみたいな部屋もありました。
確かに家族以外で患者さんのお見舞いに来る人はいないよ。
だって元気な顔してるね!とは決して言えない。
もうすぐ迎えなきゃいけない死を待ってる人ばっかりだから。
兄は病棟にいるときは知識があるし、勘も強いので、ドクターや看護師が薬を処方してもこれは何に効くのか?何のために俺は飲まなきゃいけないのか?と理屈を言うので閉口しておられた。
あまりにも理屈っぽく、ネットでも検索できるような病名であれば、ほんとにやりづらいだろうなと内心同情していた。
だからホスピスに転院してからの彼は、まるで別人のように素直な少年になっていた。
兄の連れ合いも私が行くことで少しは救われてたのかな?
私の思い
高速バスの乗車回数券をまとめて買い、大きなキャリアケースにいろんなものを詰め込み、私も退職してからだったので、それを仕事のように彼の病院まで往復していた。
幸い、高校の裏にあったラーメン屋さんは評判が良く、即席めんと言う形でネットで通販できる位成長していた。
何を食べてもいい彼にはその都度
あそこのお団子屋さんの品やラーメンも何袋も買ってきたよと言って、私が包みを開けるたびに幼な子のように喜んでくれた(涙)
娘の結婚
やがて死期が近づいたとき、待ちにに待った長女の結婚式とどちらが先だろうとヤキモキする時を迎えた。
まだ3人の娘も独身だったので、初めて良き日を迎える。
初めてムコ殿を迎える。
兄はとても待ち望んでいた。
しかし残念ながら当日はドクターストップがかかり、兄は式場には参加できなかった。
でも、心の中ではその日まではと言う強いな思いがあったので、どうにか持ちこたえたんだろう。
結局結婚して1週間後に兄息を引き取った(涙)
兄ちゃんサヨナラ
あれから11年になるんだなぁと、これを書きながら思っている。
ただ、兄の連れ合いが彼はこういうのが好きだった。
こういう風にして欲しかったんだろうと、業者任せの葬儀でなく、
一つ一つ兄の思いをこめてくれた式だった。
とても感動する内容だった(涙)
こんな優しい人に看取ってもらい幸せやったね❣️と思った私だ。
兄も、最後に言ったそうだ。
よかった、オレより先にお袋が逝ってくれて!
俺が先に逝ったらこんな親不孝はないもんな🙏
そうだよ、にいちゃん、あなたは最後まで立派だったよ!
あの世でお父さんやお母さんに迎えてもらいなさい。でも2人とも早すぎん?というかもね(涙)
皆さん最後まで読んでいただきありがとうございました🙏南無
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