前話「超自然的世界観に心が静まった彼女と‥」のおまけ

私(シオノ エリ)の大学の先輩 ”ヒタくん“ は、私にだけ、その姿が見えななかった。透明人間に映った。
ほかの人たちには普通に見えるらしい。私だけが彼を捉えられなかった。彼からは私の姿は普通に見えているという。

その彼と私は付き合うことになった。
姿が見えないのに、どうやって付き合えるのか?
私にも不思議なんだが、彼の気配は感じられ、それで案外、心象が結ばれ、上手くいくのだった。

なんで私だけ、ヒタくんの姿が見えないのか。
視覚の奇妙な不具合か。まさか、スピリチュアルな要因?
それぞれに少し、詳しい友人に相談した。だが、確信など得られるはずもなかった。
あれこれ悩んでいるうちに、私は、自己肯定感に関わる問題と向き合うことになった。

🐑

満員電車。大学まで小一時間。
今朝はたまたま座れた。
有り難かったが、なぜか、私の隣は空席で、そのまま、何駅も過ぎた。
だんだん、居心地が悪くなってきた。

─誰も座らない‥。なんで?
 私に問題が?

私は基本的に、とても自信がない。
─いやいや、根拠もなく自分を責める
 のはよくない
多分、偶然が重なっただけだ。
空席の真正面とその両隣に立つ客が、たまたま、みんな、「次で降りるし」とか、座れない生理現象にあるとか、ただ、座りたくないとか。そういうのが揃うのだ、きっと。

だが、空席に‥。
─?
まさかだが、気配を感じた。
温かみも?
周りの人たちが反応している気がする。服の裾を引いたり、足をかわしたり。

大学の最寄り駅に到着し、私は降車した。
その時、私のあとを誰かがついてくるような感じがした。私の背後を、乗客たちが窮屈そうに道をあけているような。
だが、誰もいない。
締まるドアを背にして、私の髪がなびいた。
風? 温かい。

それから半年ほどの間に、2、3度、同じ状況に遭遇した。
私の隣席とは限らなかった。私もいつも座れるわけでもないし。同じ車両の、ある一つが空席になっていた。

─あれと同じことが起きているん
 だろうか
 小学4年生の時、同じクラスで
 私だけに見えていなかった女子

私が小学4年生の時、教室になぜか、ひと席だけ空席があった。
ヒタさん、という子の席だった。
最初は、長期欠席しているのかな、と思っていた。
ところが彼女はずっと、いたらしい。
私にだけ彼女の姿が見えていなかった。先生やクラスのみんなには見えていた。

そういえば、当初から気配があるような気もしてた。
授業中、空席に向かって先生が指すと、イスをひく音や答える声がした。教室の後ろや廊下などで、友だちが中途半端な空間を保ってふざけていた。運動場で荒い息遣いが輪唱に聞こえることもあった。
“無”と思いこんでいたから、全部、気のせい、で片付いていた気がする。
ある時、私の肘が何かに当たり、「あ、ごめん」と声がした。
私はドキッとした。
─やっぱり、何かいる
だが、何もない。でも、何かに当たった。私に向かって声がした。
─透明の‥実体?
私は息をのんだ。
それから、やっと、いろいろな出来事が結びつき始めた。
見えていない誰か、いや、“ヒタさん”という女子が“いる”と考え始めた。相手が透明なわけでない。自分が、自分だけが?、彼女の姿を捉えられてないらしい。

ある時、ヒタさんから話しかけられた。
私はビックリした。なんたって、透明な人から声をかけられたのだ。
「シオノさん、なんでいつも目をそらすの?」
ヒタさんは少し、怒っているようだった。
そりゃだって、目を合わせようがない。彼女の目も見えていないのだ。それを彼女には目をそらしてるように見えていたとは。
「ごめん、そらしてないんだけど‥。えと‥‥。」
説明のしようがなかった。
彼女とは小4の一年間をともにしただけで、その後はクラスが分かれた。

🐑🐑

大学のある街へ向かう満員の車内。
─まさか、あの時と同じ状況が
 起きているんだろうか
 私だけ見えない誰か?
 また、ヒタさんが?

数日後、アルバイト先でも異変がおきた。
週2日、平日の夕方から、私は大学の近所のイタリアンカフェでアルバイトをしていた。
厨房で皿を運んでいると、ふいに背後から男性に話しかけられた。
「シオノさん? おんなじ大学なんだよね」
「はい‥?」
私は食洗機の横に皿を下ろして、声の方を振り向いた。
「店の人から聞いたの。ぼく、普段は土日に入ってるんだけど、今日、人、いないんでしょ」
「‥?」
「ヒタです、ぼく。土曜とか祝日とか、シフト表にヒタ、ヒタ、ヒタ~ってたくさん、入ってる、あの。
なんか、シオノさん、見たことあるよ。西棟の自販機の辺に時々、いない?」
『ヒタ、ヒタ、ヒタ~』のあたりで声が少し笑っていた。
だが、
誰の姿もない。
声は極めて近い。が、付近には誰もいなかった。
「ヒタくん」
向こうから店長が『ヒタくん』と呼んだ。
「はい」
声の主が反応した。
「ちょっと」
「はーい。シオノさん、ほかにもおんなじ学校のやつ、いるからさ、そのうち、みんなで集まる?」
ヒタくんと呼ばれた男性が、私にそういうと足音が遠ざかった。

─ヒタくん?

🐑🐑🐑

なんと、その後、私とヒタくんは付き合い始めた。
彼の姿は見えないが、不思議と気配だけで案外、心象が結ばれた。気持ちを通わすことができた。

ちなみに、どの範囲まで“ヒタくん”なのか、というと、私が対象物を“ヒタくん”とみなすかどうか、だった。
服など、身に付けているものは“ヒタくん”であるらしく、見えなかった。
彼が手にしたペンだとか箸、カバン、彼が引いたイス、通った改札などなど、周りのものは“ヒタくん”ではないと無意識に判別され、モノがひとりでに動いているように見えた。
彼の人柄は早くにわかった。実体に触れることはできたので、背格好も。そして体温。
顔は今一つ、わからない。
視線もわからないのだが、コミュニケーションに支障はなかった。
それから、電車内で何度か、見かけた空席はヒタくんが座っていたこともわかった。

私がヒタくんの姿を見えていないことも彼に打ち明けた。
彼は不思議なほど楽観的だった。
「うーん、ほんとに見えてないの?ほんとぉ?ぼくはシオノちゃん、見えるのに」
珈琲屋のテラス席で、私の対面のアイスコーヒーのグラスが浮き上がり、ストローが固定された。
「何度も言わせないでよ。自己嫌悪になる」
「なんで自己嫌悪?」
「なんでだろ」
「小学生の時の女の子もヒタさんって、ほんとぉ? 作ってない? その苗字の人は、みんな、見えないの? 見えないのは人だけなのかな」
「わかんない‥」
「うーん‥、試しにこれは?」
彼はスマートフォンを検索し、私に見せた。
地図だった。
「なに、これ。見えるよ」
彼は地図をスライドさせ、地名の文字『ヒタ市』を拡大した。
「○○県 ヒタ市の地図。見える?」
「見えるよ。地図も文字も見える」
「ほんとに見えてる? ぼくの姿と同じで、見えてないのに読めてるって、ない? ぼくの苗字は?」
といって、彼はレシートの裏に『肥田』と書いた。
「見える」
彼は続けて文字を書いた。
   『猫がヒタヒタと歩く』
   『ひたすら励む』
私は読み上げてみせた。
「小4の時の女の子の名前の漢字って?」
「覚えてない」
「じゃあさ、音は?」
と、彼が『額(ひたい)』と滑舌よく声を発した。同時に指が自分のおでこをさした。
「ひたい。聞こえるよ」
「そうだよね。普段、ぼくの名前もわかってるもんね。でも、視覚と同じように、ほんとはそこだけ、聞こえてないのに認識できてるとか、ない?」
「わかんない‥。でも、指もさしたでしょ」
「え~っ!? なんでわかるの?」
「‥‥‥‥‥。なんで?」
「こっちが聞きたい」
彼は呆れながら笑っていた。

数年後、私はヒタくんと結婚が決まった。
ヒタくんの親戚のうち、ヒタ姓の人たちはやっぱり、見えなかった。
いずれ、私は変な人、または失礼な人と思われてしまうかもしれない。

🐑🐑🐑🐑

結婚にあたり、気になる問題があった。
─私は“ヒタ”姓になったら
 自分自身が見えなくなるん
 だろうか
まさか。ショックだ。
別姓にするか。私が別姓の問題に直面するなんて思いもしなかった。
自分を“ヒタ”だと考えないようにすれば大丈夫なんだろうか。
だけど、子どもができたら、その子の姿は。
私にとって一体、“ヒタ”って何?

「エリちゃんが別姓にしたいなら、それでもいいよ。この先、不便もあるだろうけど」
と、ヒタくんがいってくれた。
なんで彼はそんなに優しいのか。
彼に申し訳なくて、ますます悩んでしまう。

私は思いきって、二人の友人と相談することにした。
ヒタくん以外に、私のこの“ヒタ”なる怪現象を打ち明けるのはほぼ、初めてだった。
もう、どうしたらいいのか。

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相談相手は、看護士をしている友人のAちゃんと、スピリチュアルに造詣が深い同僚で友人のBさんだ。

看護士をしているAちゃん
@定食屋さん

看護士のAちゃんは事前にあれこれ調べてきてくれて、「『視覚性失認』というのがあるんだけど」といった。
視力に問題がないのに、何を見ているのか分からない、という症状だという。
ただ、そのモノを、触るとか、音が出る場合、その音を聞く、動くならば動いた様子を捉えるなど、別角度の情報を得ると、そのモノと判るらしい。
例えば、猫が見えているが、猫と認識できない。しかし、ニャーと鳴く声を聞くと猫と判る、というような。

「なるほど‥‥。‥‥‥‥‥。ありがとう」
私はあじフライに箸を入れ、切り分けながら、考えを巡らした。
魚屋さんに併設された定食屋さんの美味しいランチ。
彼女は煮付けの骨を雑に取り分けていた。彼女らしい。彼女は細かいことに頓着しない。
「でもさあ~、全然、見えないんでしょ? 箸とか宙に浮くんでしょ? 失認とはちょっと違うよねぇ~」
「でも、何か、別の角度‥‥‥付属情報が加わって見えるんだとしたら。ヒタくんとは付き合いが長いのに、まだ、なんか、違う角度の見方なんてあるのかな」
「ヒタくんが逆立ちすれば? ヒタくんの悪の一面をあばいて見てみるとかさ」
といって、Aちゃんは急に、はしゃぐように笑った。
続けて、
「だけどさぁ、普通に生活できてるんでしょ、ご主人さんと。見えてないのに。それって、ほかの感覚が視覚を補ってるはずじゃない? 嗅覚? 普通の人には無い感覚とかぁ?
すごいじゃん、シオノさん、すごい」
彼女はまた、一人で勝手に笑い出した。
私は彼女の大笑いに呆気にとられたが、一理あるな、と考え続けた。
「ほかの感覚‥。赤外線カメラみたいな? 違う波長で見てるとか?」
「うん‥、まあ、うーん」
ちょっと違うイメージらしかった。
そして、Aちゃんは急に真顔でいった。
「それか、“ヒタ”って何かに対して、無意識にすごいストレス、あるとかさ。過去にショックなことがあって健忘を起こしてるとか。ねえ、病院に行ったら?」
脳の機能的な障害か、ストレス由来か。万に一つの可能性として特殊能力とか。そんな結論だった。
「何科に行けば?」
「神経系か心療系? 総合病院で相談するといいかも」

同僚で友人のBさん
@職場の最寄り駅近くのワインバー

Aちゃんと会った翌週、Bさんと仕事帰りに付き合ってもらった。
彼女は私より年下なのに姉御肌で頼りがいがある。
実は彼女には、遠回しに少しずつ、私の“ヒタ”現象を話していた。
Bさんは、店に入る直前、人目のつきにくい隅で足を止め、私の肩あたりに手をかざした。
「ふーん、うん、うん」
手はお腹あたりまで上下した。
彼女が何をしているのかというと、私の気の流れを診ているのだった。
彼女は、まだまだ見習いだが、と前置きしながら、時々、私の気の流れを診て、文字通り、手当てをしてくれる。私には内心、解し難い行為だが、とりあえずいつも、その気持ちを有り難く受け取っている。

ワインと軽食を頼み終えると、Bさんがおもむろにいった。
「シオノさん、多分、『ヒノサト』ですよ」
彼女は薄笑いを浮かべていた。
「ヒノサト?」
彼女はカバンからA4のコピー用紙とペンを取り出し、冷水の入ったグラスの脚元で何やら、書いた。

   『日 ヶ 里』

「『ヒカリ』または『ヒノサト』です」
「パッと見、ヨシノガリみたい」
「古文書には『日ヶリ』って書いてあるんですけどね。だから、『ヒカリ』って読めるし、昔、誰かが『日多』って読み間違えたらしくって、『ヒタ』とも伝わってるんです。まー、わざと、そう読んだのかもしれないですけどね。
地名‥っていうより、〈光の郷〉って意味の場所です」
「場所なの? で、私がそれと‥」
「ちょっと待って。うーん」
彼女は再び、私に手をかざした。
「シオノさんは関係者かもしれない。お相手は‥、違うな。ヒタさんの“ヒタ”は『ヒノサト』の『ヒタ』とは関係ないですね。音が似てるからシオノさんにバグがおきてるのかも」
「バグ? 」
「光の郷は宇宙とつながる場所なんです。地球も宇宙も、あらゆるものはサイゴは光になるんです。その局面に向けて、地球での拠点‥っていうかな。
でも、私にとってはヤバい場所でもあるんですけどね」
彼女はまた、薄笑いをした。
私は言葉を継げなかった。話が唐突で飛躍し過ぎている。
彼女は続けた。
「私が昔‥、一般的な昔じゃないですよ。私の大分、前世で、私、巫(みこ)だったことがあるらしいんです。その時、そこで‥」
なにやら言い淀んだ。
「多分、ころされたんです。まだ、はっきりとは‥‥。‥‥‥‥‥」
語尾がよく聞き取れなかった。
が、どうやら『ヒノサト』での出来事の解明をし、久しい因縁を断つ必要を感じている、という内容らしかった。
それにしても、彼女は“ヒタ”問題を取り上げてくれてはいるが、私のことは少々、置き去りになっている感じがした。彼女にとっては、私が『ヒノサト』の関係者かどうかが関心事のようだった。
「シオノさんは私の前世に縁のあった人です、多分」

ちなみに、普段から彼女はこんな感じだった。
普段の会話はごく普通なのだが、ちょくちょく、ふとしたことで異相に飛ぶ。いわゆるスピリチュアルだ。
正直なところ、私は多少、困惑していた。
だけど、私は基本的には、彼女を肯定的に受け止めたいと思っていた。
彼女は信頼のおける同僚かつ友人で、彼女の存在に、私はずっと、支えられてきたからだ。
職場の人間関係、転職、結婚、家族関係など、年齢に特有の悩みは盛りだくさんで、私は日々、右往左往していた。一方、彼女は冷静で、物事をよく見極め、どんな問題にも堂々、立ち向かった。
私は自己肯定感が多分、人よりとても低い。子どもの時から焦りやすく、落ち込みやすい。知らない間に人の顔色をうかがうようにもなっていた。
私たちに共通の悩みに、彼女なら、どう対処するのか、どんな気構えでいるのか、いつも参考にしたかった。私のモヤモヤやクヨクヨに彼女の率直な意見が欲しかった。
そして何より、彼女の歩みを見ていたかった。彼女はすごいパワーで自分の生き方を模索し、もがく人だった。そんな人はどう、人生を切り拓くのか。そのためにどれほど自分を律するのか。

彼女の空想に似た話も、相づちには困るが、一聴の価値を感じていた。
彼女は日々、ネットや本、人脈などを通じて、超自然的な世界観を探求していた。しかも、身に付けた“気”の流れを診る方法で吟味していた。
私は、彼女の話す世界観があまりにもしっかり出来ているので、彼女の独自論や妄想などではなく、大勢の人の思念が塗り重なって構築されたモノなんだろうと想像していた。
だから、そこには、ある種の普遍性や真理が生まれているかもしれない、と思ったりもしている。土中から光って現れる砂金のような、微かだが確からしいモノ。
そんな真実が彼女の話の中に隠れていないか、探したい気持ちもある。

そして、まあ、ぶっちゃけた話、好奇心だ。なんだかんだいって、神秘や超常的な話には興味を掻き立てられる。
人一人がまるごと透明に見える自分も、その世界観に関わる人間ではないかという変な期待感と得体の知れない不安感がある。
妙な畏怖さえ、感じるようになっていた。

「シオノさん、多分、結婚してヒタ姓になっても、ご自分の姿は見えると思いますよ」
と、Bさんはいった。

🐑🐑🐑🐑🐑🐑

私はヒタ姓になった。
結局、私は私自身の姿を見失わなかった。
子どもが生まれた。その姿もちゃんと見えた。
よかった‥。

子どもが小学校にあがった。
私たち親子は晴れ晴れとした気持ちで桜の残る公園へ出かけた。
パパ(ヒタくん)は、鉄棒で子どもの逆上がりを手伝った。
「ぼくも逆上がりが苦手だったな~」
そういいながら、パパは大人サイズの鉄棒に手を置き、懐かしがっている様子だった。が、次の瞬間、「ふぅっ」と妙な声を漏らし、空を駆けた。
「腹が‥」
と、突然、力の抜けた声が聞こえた。
と、ヒタくんの姿が私の目に飛び込んできた。
「パパ!」
私は思わず、叫んだ。
身体を二つ折りにし、棒に引っ掛かって逆さまになったヒタくんの顔が、紅潮していた。
照れくさそうに私に笑いかけていた。
それ以来、ヒタくんの姿は頻繁に私の目に映るようになった。
やっぱり原因はAちゃんが教えてくれた『失認』だったのか。

子どもが大きくなるにつれ、私は昼間だけ、一人で外出できるようになってきた。
久々にBさんとランチをすることになった。
会うのは4年ぶり‥、5年近くか。彼女も転職やプライベートの充実などで多忙にしていた。
再会の場所は、再開発で風景が一変したビジネス街にある和風カフェだった。

「シオノさん」
待ち合わせ場所に着くと、彼女の声がした。
「あ、Bさん」
私の声がワントーン、明るくなる。自分でそんな変化に気づく。
「シオノさん、お久しぶりです」
彼女の声は少し、恥ずかしそうだった。

二人で新しい街を楽しみながら店に向かった。
「新しい職場、探すの?」
と、私は彼女に聞いてみた。
「多少、蓄えもできたんで」
曖昧な答えだった。問われるのが面倒な感じだった。
彼女は、長年、勤めた会社を辞めたばかりだった。彼女はとても有能で献身的な上、場を明るくできる人なので、上司が随分、引き留めたらしい。しかし、彼女は固辞した。

店に入ると、おしゃれなメニューを見て、二人で無邪気に歓喜した。
─この店も彼女が『気』を確認して
 選んだんだろうな
と私は思った。
彼女はこのところ、邪気を感じ取って払えるまでにパワーアップしていた。
たくさんいた友人、知人も厳選し、彼女の世界観を解する、またはその見込みのある者とだけ、付き合っているようだった。
さらには占い師のように、知り合いの相談にも乗るらしかった。実際にリスクを回避した例があったという。
彼女は自信を深めていた。
「これから、いろいろなことが起こりますよ」
と、彼女は勿体つけてつぶやいた。
「いろいろなこと?」
「気候変動もだし、戦争とか天災とか疫病とか。それに‥」
彼女は声をひそめた。
宇宙の深謀が地球に影響する、というような話を小声で説明してくれた。
「で、私の勤めがわかったんです」
「勤め?」
「私、※✕☆#の地球駐在員だった」
彼女は今後、その役目に専念する、といった。心なしか、サッパリとした表情に見えた。

私が、夫の姿が見えるようになってきたことについては、彼女は、
「そりゃ、そうでしょう。だから、いってるじゃないですか」
といった。
『だから、いってる』なんて、私には思い当たるふしはないのだが、彼女はどこかで示唆していたつもりなんだろう。神秘主義的な人は、暗示的な口ぶりが多く分かりにくい。ややもすると翻弄される。へたをすると自尊心を削られる。
「Bさん、私のこの現象って、やっぱり、『ヒノサト』に関係があったってこと?」
私は長年、曖昧なまま、気になっていた話に斬り込んでみた。
ところが彼女は一瞬、えっ?、というような顔になった。微かな焦りがよぎり、すぐさま隠された。
そして言葉を引っ張り出した。
「ああ、もう、その段階は終わったから」

彼女のいった『その段階』とは、あくまでも彼女の成長の段階のことだろう。
私の“ヒタ”問題は、彼女の成長途上のただのエピソード、とでもいわれたような感じがした。
─そもそも、会話がほぼほぼ、
 噛み合ってなかったしな
と、思った。
それに、『ヒノサト』論は、こういう世界観の人の一部に見受けられる独特の思考だった。
響きや意味など類似する言葉を見つけると、神秘的な繋がりや深い意味があると考えるのだ。言葉遊びのようだった。言葉遊びは次々、展開し、真理に迫るらしい。
とはいえ、当人もハッキリした説明はできない。結局、感知すべし、汲み取るべし、という態度になる。
だからここで、彼女の前世の『ヒノサト』殺人事件云々を掘り起こしたりなんかしたら野暮だろうな、と思った。

なんだか、もう‥

─もう、いいかもな

という気がしてきた。
私の“ヒタ”問題は、現状、何の支障もない。
スピリチュアル的な要因も、自分じゃ、ピンとくるところはないし、彼女も、あの様子だ。まあ、ないだろう。
見えない原因は、AちゃんやBさんのアドバイスばかりとは限らないだろうし。
実は“ヒタ”以外にも、見えてないものがあるのかもしれないし。
─いくら考えても
 納得や確信など、得られないだろう
いっそ、原因どころか、感覚や認識の確からしさってあるのか?、在りはしないだろ、という気にもなる。

本当はとうに、私の“これ”は病気とか神秘とか何とかではなく、自分の特性なのだ、という気持ちがあった。
それに、自分をそう認め、満足する方が健康的だ。もしくは特殊能力と考え、仕組みを解く方が建設的だ。
だけど、もしや、年をくったら健康問題などで支障が出るんだろうか。
‥いや、キリがない。結婚前、結局、私、診療相談にも行かなかったじゃないか。
なら、一度は行っておくとか? それで何も異常がなければ、もう、いい。

しかし、Bさんの言動を思い返すと、微かにそら恐ろしさがよぎった。
─まてまて
 Bさんが“これ”をケロッと
 忘れているというのに
思っている以上に影響を受けてるようだ、と思った。昂じると、いわゆる、センノウか? 私は臆病だから、いつも自動的に石橋を引き返してきたはずなのに。
因みに彼女の場合、誰かから影響を受けたわけではない。 彼女は性分として受け身はないのだ。おそろしく能動的に獲得に向かう。
私だって、受け身は好きじゃない。容易に何かに与(くみ)したくないし、人と同じじゃつまらないと、普段から思っている。
しかし悲しいかな、彼女と私が決定的に違うのは、自我の強さ、自尊心、自己肯定感の在り方だろう。
彼女は自我を軸としている。私は他我に依ってしまっていることが多い。だからだろう。人を先に尊重してしまう分、自分を守るために他人との関わりを小さくする。

─あー、考えがまとまらない
 私は揺らいでばかりだ
 なぜか
 と、問うまでもない
 いつだって「自信がない」
 と、答えは同じだった

そうかあ。
小4の時のヒタさん。あれはシグナルだったのかもしれない。
あの時期は、集団の中の自分の在り方とか、自己肯定感の持ち方とかが育つ時期だ。
多分、私はそこをうまく通過できていない。
ある日、ヒタさんが、「シオノさん、なんでいつも目をそらすの?」と私に聞いてきたことがあった。
私は彼女の姿が見えないんだから、目を合わせられるわけない、と思った。
でも、実は見えないながらも本当に目をそらしていたのかもしれない。
そして、見たくないもの、自己嫌悪に感じるものなどを、私は無意識に視界から消すようになっていったのかもしれない。
その時、何かの理由で、“ヒタ”の響きが一緒に練り込まれ、その後、透明化の条件反射装置になったのかもしれない。
大人になって出会ったヒタくんも、条件反射が働いたか。

だが、彼の場合、私の自信を育ててくれた。
彼は私を受け止めてくれて、私の変な体質も個性と捉えてくれて、私自身、自分の欠点をだんだん、笑いに変えられるようになり、私は徐々に自分を認められるようになっていった。

─きっと、偶然なんだろうけど
 “ヒタ”は私の転換点に現れている
と、思った。
が、
─待てよ
 ヒタくんは、その名前を知る前
 から透明人間だったよな
 あれ?‥ヤバい
 なんでだ?

私はいっきに混乱した。
しかし、もう、考えはまとまりようがなかった。

─もう、凡人には分からない
 人間など小さい
 物事の意味や理由など
 分かりようがない

結局、現状、満足だ、という答えにしかならなかった。
こんな私も人並みに歩んでこれたし、そのことを満足に感じている。幸いに思っている。
それで十分だ、いや、大成功だ、普通の人間は。

Bさんと旧交を温めたその別れ際、彼女は普通の表情でサラッと意味深なことをいった。
「もう、あたしからは誰にも連絡しない。祈りの時間に入る」
私はそう聞いた時、これからは、彼女からは人を誘わないけど、誘われれば来るんだろうと思った。
いつも通り、駅の改札で互いに笑顔で小さく手をふった。
その後、迎えた春。
長年、彼女と互いに続いた年賀が一方的に途絶えた。こちらから挨拶程度のメールを送ってみたが返信はなかった。
彼女は完全に私の前から去ったのだと思った。
ショックだった。
彼女のことだ。本当に祈りに溶けているんだろう。
─自分の道を信じきっているんだ
 すごいな、突き抜けている
 方向性の賛否はさておき、
 その強さは羨ましい
彼女の後ろ姿は、図らずも私への強烈な一撃となった。
─あー、でもやっぱり‥
今後の彼女の進展を知りたいなあ、と思った。

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