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【会いたい】純愛 すれ違い 切なさ【会いたい】これはフィクションか【過去作垂れ流し】

純愛 すれ違い 切なさ

あなた無しでは生きられないと思っていました。この世界にあなたという人がいるということを知ってから私が産まれたのだと思います。あなたと出会うまで、それなりに人生の経験をしてきました。生来から見目については美しく、仕事でもそれなりの責任を果たしています。恋愛も恐らく人並以上に経験したと思います。しかしそれは私にとって心が躍るというわけではなく、欲の掃きだめであり、人生において必要となるであろう事柄を学ぶための行動といった程度でした。「愛している」と言われるくらいに振舞う事は簡単です。ヒトが悲しんでいたら、楽しんでいたら、心が動いていたら、何も言わずに目尻を下げて、口角を緩やかに上げればいい。そして時々でいいから私の心が動いたという仕草や言葉を織り交ぜればいいのです。そうすれば私の見目と要領があれば人を誑かせて落とすのは難しくありませんから。

ただ、あなたと出会ってから、あなたの前では私は自分が思うように振る舞えなくなりました。今まで見破られた事のない薄っぺらな笑顔は、嘘くさいわね。と、一笑に付されました。そんな事を経験した事がなかったからです。興味本位であなたにこれまでの自分自身の生き方について話しました。別に多くの人を欺いていたというわけではなく、ただそのように振る舞えてしまったのです。と。何が楽しいのか、悲しいのかがよくわからないし、何より人を愛するという事がわからない。だから、ヒトという生き物が怖くてたまらない。そうやってポツリポツリと言葉を繋げていきました。あなたは何も言わずにただその話を聞いていました。時折目尻を下げ、口角を緩く上げて微笑んでいましたが、恐らく私のような下卑に張り付いた感情ではなく、本当の気持ちが表現されていたのでしょう。それからというもの、あなたと一緒に過ごすことが多くなりました。そして私が感じている疑問や生きづらさを吶々と話す度に、決まっていつもの笑顔を私に向けるのです。そうしていつの間にか私の心の隙間にはあなたがするりと入りこんでいました。

どれほどの話を聞いてもらったでしょうか。夏の暑い日に蚊取線香を持参して公園で缶ビールを飲みながら世界経済について話したこともありました。あなたの前以外で自分を飾る事に疲れた時には、ヒトの怖さと、私自身の弱さについて話したこともあります。ひどく動揺してあなたに肩を抱かれて宥められたこともありました。そんな時あなたは私の背中をトントンと叩くのです。そのぬくもりにこれまで経験したことのない温もりを感じました。私にはもうあなたの薄く微笑んだ顔が瞼に焼き付いて離れないし、手の温もりを記憶から消すことができないのです。あなたと共に過ごすことで、完全に開いた私の心は、これまで知らなかった世界に裸で顔を出し、よちよち歩きで前に進み始めました。

そうやって私が自分の足で立とうと、前へ進もうとし始めた時からだったでしょうか。あなたも自分の事を少しずつ話してくれるようになりました。生まれた家柄がひどく古典的な家庭であり、学問や芸術といった教養を徹底的に叩きこまれた事、新しい家族が生まれる際に難産で親が亡くなってしまった事、配偶者を亡くした親の心の闇から家族を守るためにその身で受け続けたこと。壊れた親の代わりに家庭を支えた事、特殊な状況下で得た処世術でこれまで生きてきた道のり。あなたはあまりに淡々と話しをするから、どこまでが本当の話かがよく分からなくなりました。きっとその全てに嘘偽りはなかったのでしょうけれども。

しかし、ただ一度だけ、あなたの心が揺れたように感じた事があります。それはあなたが『幸せになる』という事がわからないと話していた時でした。いつもの缶ビールを煽りながら、これまで『幸せ』を感じることができなかったワタシが今後の人生において、そう思える時が来るのだろうか。そんな事を感じることもなく生きていくのかもしれない。もしかしたら「幸せ」という知らない感情に心が動いてしまう事があるのかもしれないと思うと怖くてたまらない」と言っていました。

缶を持つ美しい手に、一瞬だけ力が入って骨が浮いたのを覚えています。しかしその変化は一瞬であり、それからすぐいつも通りのあなたに戻りました。「私と一緒に幸せになってくれませんか?」あなたにとって意外な言葉だったのでしょう。元々大きくクリクリとした目をパチクリとさせて大きな声で笑いだしたのです。なぜそれほど笑っているのかがわからず私は戸惑いましたが、あなたが声を出して、涙を流して笑っているのが嬉しくて、何も言わず不貞腐れたふりをしてそっぽを向いてやりました。その瞬間に「ありがとう」と聞こえたような気がしましたが、あまりにか細いその音は少し強めに吹いた風だったのかもしれません。

それからあなたは公園に来なくなりました。幾日もあなたが訪れる事を願い、待ちわびては心に空いた穴で心臓が締めあげられました。ただあなたと共に幸せになりたかった。あなたが怖いと表現した『幸せ』をあなたと共に探したかった。今あなたはどこで何をしているのでしょうか。きっともうあなたに会う事は無いのだろうと思いながら、私は二人分の缶ビールを飲みほして、力任せに握りつぶしてやりました。

『幸せ』について話をしてから、どのくらいの時が過ぎたのかはもう思い出すことはできません。ただ時々思う事があります。あの日あなたが笑いながら流した涙の意味は何だったんだろうと。もしあなたがあの時少しでも『幸せ』を感じることができて、思わず零した涙であるなら、きっとあなたは私を忘れることはないのでしょう。


だからそんな私を忘れないでくださいね。
私はあなたという人がいた事を忘れません。
そして、失う悲しみを教えてくれてありがとうございました。
『幸せ』になってくれていたら『幸い』です。

終わり

©︎yasu2024

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