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2013年あたりにメモに残していた謎の文書

2013年あたりにメモに残していた謎の文書


2013年


普通の事の強度を上げる。

普通は議事的な空白?

イメージを振り払う

自己啓発は神を必要としない都市型宗教

シャーマンとしてのアーティストではなく、隣人としてのアーティスト

2001年宇宙の旅


探してるから突き刺さる

アイディアの種を植え込む。

変化するべきか迷っている時に立ち現れることへの期待。もしくは無意識に作用する事への期待。

「2001年宇宙の旅」現象

種を蒔かれ、その後再会する。

不変的なコンテキスト=愛

時代、死を超越する為の手段。

作品にどう愛を注ぎ込むか

どう伝達するか構造解析

ターゲットと文脈。

抽象度の高い愛の伝達方法としてのラブソング。の構造解析。

伝説化=2001年宇宙の旅

シャネル、ボイスの伝説化を参照する。

真実より伝説を優先する事。

パンク=期待を裏切る事。

ココ•シャネル、ヨーゼフ•ボイス、映画「リバティ・バランスを射した男」、トニー・ウィルソン

1+1=(空白)
普通だと思う事も視点を変えて見ると別の物が見えてくる。

古い本から文字をサンプリング。
不変の問的な文脈で。

snsのいいとか悪いとかって、豆腐に醤油をかけるかポン酢をかけるかぐらいの事でしかないと思う。

ダシは出され続ける。
事さらに、ギミックは続く。

愛のメタファーとしてのアイテム。チャイム

お饅頭をあげたくなる娘。

ステレオタイプな日本をギミックとして演じる。

脱桃太郎

既存の物を文脈の書き換えによって変化させる

僕は社会において、自分に納得がいくダサいヤツでありたい。

アートと時給
作家のランク次第で描く時間が変わる。

それはウキウキするものだし、ワクワクするものでもある。

手紙の返事は返ってくる方がいいけど。返って来なくても届いてればそれでいい。最近そんな感じ。


それは真実ではない。
単なるメタファーだ。

多様化した文脈をお互いに認め合い。作品に介入出来る構造。

くる

形式化したアーティスト像を壊したい。

存在の不在。
島がアートというコンテキスト
島という、内側と外側が明確に分かれているもの。フレームがはっきりしている。

将来訪れるかもしれない/訪れないかもしれない。不確定性


お互いのクラスタの中でそれぞれのコンテキストがあってそれぞれの消費の仕方がある。それのコンテキストが理解できなかったとしてもそういうものがあるという事を尊重するべきだと思う。

作家の意図と鑑賞が思う解釈が同じ階層にある関係性。観客の解釈も作品に内包されていく。


アイデンティティの一つの在り方、ジェンダー、文化、人種、にブラスしてクラスタ(情報の消費の文脈)


物事のフレームを溶かして緩やかに侵犯していくとダブルスタンダードにもトリプルスタンダードにもなっていくと思う。

二項対立として見るのでは無く、それぞれの文脈の違いだと認める。

結果としてアーティスト的では無くなるのかもしれない。でも、それでいい。アーティストとしての信念が結果としてアーティストで無くなる結果を招く。まるで遠藤周作の沈黙みたいだ。

作品もアート作品を作るのでは無く、「アートの文脈で機能するコードを内包している事」まで還元していく。

他者が作品制作に関わり続ける事は永遠に完成しないし、作家の死を超越して機能する。

文脈のハブ。今回の作品でそこまで到達はしないと思うがその為の一歩。

アーティストの矛盾。シャネル、宮崎駿。


全ての物事には最初の一日がある。そして、最初の一歩がある。一度超えてしまえば問題なくなる。


アートのない島は、美術制度批判に繋げられる。作品の不在不確定要素。美術の文脈とアーカイブ化するシステムによっても証明可能か問う。デュシャンのレディメイド(発表された当時の文脈的な意味で)

緑色にノイズを混ぜる。

アーティストは矛盾する。

空っぽの写真=美術制度のメタファ=展示空間と拡張されたキャプション。

全て正解!全て不正解!


・( )空間と( )キャプション。

二項対立のするモノをそれぞれの文脈を同時に消費する。

そうあるべきという形式に囚われない選択が可能になる。

その形式における正解の追求になってしまうから。

作品ではなく、出来事に近い。

穴の空いた器

太公望の釣りばりみたいな。

人生をなぞらえる。

自分の本質が変化したい欲望なのなら、それは永遠に終わらい。永遠に囚われ続ける。答えは出ない。


















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