書くこと想うこと

雨粒に想いを乗せて

今日はあいにくの雨。今回はここのところ廻る思考を雑記のように書いてみる。

自分はなんだかんだで4年ほどnoteを書いているが、最近は記事を書くことが一層楽しくなってきた。書いてきた記事全てがウケたわけではないが、それは響かせるだけの自分の力量がなかっただけだし、そもそも猛者揃いの界隈で読んで下さるだけでありがたい話なのだ。評価されようがされまいが、悩みながらも記事を書くのは楽しいし、最近は自分流のコツを掴んできたと思う。結果が出なくても、それはレベルアップすればおのずとついてくる(…と思う)。私には彼女の夢の先を描くという信念があるし、新しい世界を見せてくれた彼女には恩義がある。何より私は自分が好きで書いているのだ。誰かの声が無くとも信念と恩義がある以上、信じたこの道を進んでいける。











…本当にそうか?自分の道は正しいのか?








雨に響けよ夜想輪廻

以上が建前の話。否、それももちろん紛れもない真実だが、根底の想いは少し違う。そりゃ渾身の記事だし、そもそも彼女達の勲しを遍く人に知ってほしいから書いているのだ。読んでほしいに決まっている。反響が多ければモチベーションも上がってくる。力量不足なのは重々承知。だからこそ、もっと宣伝したい。しかし、宣伝のために自分の記事をRTしていいのかどうか悩む…。なんか承認欲求マンみたいだし、1番輝くべきは彼女達なのだから、しゃしゃり出るわけにはいかない。
けれど、読んでほしいなぁ。しかし「推し活に承認欲求は不要」というのが私のスタンス。いやいや、それ言ったらそもそもnoteの記事は書けない…。

もちろん記事を書くのは楽しいし、恩を返すには記事を書くしかないと思っている。何より、私にはこれしかない。…だからこそ、書くことが義務感になりつつあることに最近薄々気づいてきた。

本当は彼女だけでなく、グループや頑張るあの人たちについてももっと書きたい。良い歌やその素敵な人柄について声を大にして語りたい。しかし私にはその資格はない。3rd.Fesの記事で述べたが、私は何も知らないから。生半可な気持ちで書くのは失礼だ。

そもそも「知ってほしい」なんて、私のただのエゴではないのか?自分のエゴのために書いているなら、それは彼女達の名を利用しているだけじゃないか…?


じゃあ自分は何のためにnoteを書いているんだ…?

4年前に暗雲のなかで自分が出した答えは今も変わらない。その願いは間違いないし、それは確固たる信念となり、今を進む原動力となっている。しかし私の推し方が正しいのかが分からない。この暗雲はいつ晴れる?

つまるところ、私は4年前から何も変わっていないのだ。あの時と同じく、自分の想いと称してこんな承認欲求丸出しの小賢しい記事を書いて、悦に浸っているさもしい人間だ。そうしてこうやって自己嫌悪していれば気が済むんだからお気楽なものだ。明日になったらまた平然とリプをするんだろう?それはあまりにも…

とは言え推し事はやめられないのもまた事実。それが流儀であり、私に出来る恩返しはこれしかない。悩みはするけれど、信念を胸にこれからも進んでいくしかない。結局はこのしがらみから逃れられないのだ。

最初に述べた通りこれは雑記だ。自分自身の安寧のために書いているに過ぎない。しかし正直書いている自分ですら、ここまで自分のことをメタメタに書くとは思わなかった。これでも結構抑えた方だ。今も「この記事を世に出すな」と警鐘を鳴らす自分がいるが、きっとこれを書かないと先に進めないとも思う。多分これを投稿した後は自己嫌悪しているだろうが、普段の全力で彼女の夢を応援する自分カップジムも、この終わりの見えない漆黒の葛藤を抱える俺も、全て嘘偽りない私だから。

この相反する2つの想いがどうなるのかは分からない。けれどここまで書いた以上、この想いの行き着く先は必ず書く。だからもうしばらくだけ、カップジムの仮面を被っていることにしよう。長いもうしばらくになりそうだけどね。