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左利きの私が矯正時に感じていたストレス

みなさん、こんにちは。
みかん農家嫁のあやすです。

今日は私の幼い頃の話をしてみたいと思います。
みなさんの中には自分は右利きだけど、
お子さんが左利きで、矯正するかどうか
迷っているという方もいらっしゃるかもしれません。

我が家にはもうすぐ小学1年生になる息子がいます。
入学したら本格的に読み書きが始まります。
息子は左利きです。
私も左利きです。
私は幼少期に
「鉛筆とお箸だけは右手で持たせたい」
という母の意向で矯正されましたが、
私は息子の利き手を矯正しようと思っていません。

今回は矯正をしていた5〜6歳の時の私の記憶と
少し大きくなってからの利き手に関する体験、
矯正について思うことなどを
お話しできればと思っています。

それではいってみよう!

私が矯正された理由

まずは私が利き手を矯正された経緯から。

私は左利きです。
父が左利きなので遺伝かもしれません。
母は右利きで、私には二人の姉と弟が一人いましたが
姉弟の中で、左利きは私だけでした。
父はとても器用な人でした。
絵がとても上手で、DIYが趣味で。
家電が壊れたらすぐに直せる。
そんな父が大好きで、憧れていました。
そうして、私もとても器用に育ちました。
保育園の頃は折り紙とはさみを使うのが大好きでした。
工作が大得意でした。

保育園、年長の時
私の通っていた園では年長さんになると
毎週月曜日に小学校になる前の準備的な
お勉強の時間があり
英語を習ったり、
時計の読み方を覚えたり、
ひらがなを練習する時間がありました。

その時に私は突然
担任の先生から右で鉛筆を持つように
言われ始めたのです。
お箸もでした。
年中までは左手を使って食べていて
何も言われなかったのに
年長になってから突然!

私は当時、これを担任の考えで矯正されていると
思っていました。
家で母に無理強いされた記憶がなかったのもあります。
しかし、大人になってから見つけた
当時の連絡帳に、母から先生へのお願いとして
「娘は左利きです。鉛筆とお箸は右手に矯正したいと考えています。
よろしくお願いします。」と書いてあったのを見つけて
衝撃を受けました。
犯人はお母さんだったの!?
あの頃のつらいこと、全部お母さんのせいだったの!?
なんで??味方だと思ってたのに!!!

そして
「なんで右手に矯正させたの?」
と母に尋ねると

「自分が習字を習っていたから。
左利きだと筆遣いに苦労するから。」


と答えました。

ふぁ?

私は全く納得できませんでした。
習字??
自分が習ってたから?
私に習わせてたならともかく
習わせてもらってませんけど?

母はただ苦笑いするばかり。

本当に理不尽だと思いました。
これまでに矯正させる親の意見を聞いて
納得できるものに出会えたことがありません。

習字って人生の何%だろう?
書道家を目指すわけでもないのに
習わせてもらってもないのに
小学校生活の中のほんの数時間
授業でするときだけのために
あれだけ嫌な思いして
右手で書けるように備えてたの?
バカみたい!

確かに
小学生になってから、習字の時間、
左利きで書きにくそうにしてる同級生がいた。
はらい、止め。
上手にかけてなかったかもしれない。
でもいいじゃない。
先生以外、誰も気にしてなかった。

私はその方が良かった。
幼児期に何時間もストレスを感じながら
不自由な手で練習させられた苦労と比べたら。

その習字の数時間、
例え苦労しても、先生に怒られても。
矯正なんてして欲しくなかった。

苦労するのは母じゃないんです。
私なんです。
それなら自分で選びたかった。
どこで苦労するかを。


私にとっては、保育園での食べる時間と
書く時間は苦痛なものでしかありませんでした。

手が違うと先生がそばに来て直される。
利き手じゃないので
上手に持てなくて何度も持ちかたを直される。
お箸を落としてしまう。
食べ物を口までうまく運べない。
食べ物を落としてしまう。
うまく力が入らず運筆がぐちゃぐちゃ。
思うようにできなくてイライラ。

想像してください。
この毎日が5〜6歳の子どもに降りかかることを。
幼児はまだ発展途上。
まだ利き手でも上手にできないんです。
ボタンつけ、リボン結びにまだまだ時間がかかって
練習している時期。

6歳の息子に利き手で字を書かせたって
クネクネの字だし
毎回同じように書けるわけではない。
書きかたが定まっていない。
それを利き手じゃない方の手で矯正させられる苦労を。

ツラかったかきかた練習


ひらがなを書く時間では
自分の名前をノートに繰り返し書いて
1ページ書けたら先生に見せに行く。
ということをしていました。

お友達はスラスラと書いて
「できた!」と席を後にするのを横目に
私は早く書けない。
書けるスピードが全然違うし、
真っ直ぐに線が書けない。
ヨレヨレになってしまう。
こんなはずじゃないのに。

字の綺麗なお友達が先生から
花まるをもらっていました。
私は花まるがもらえずに一重丸でした。
本当に辛かったです。

子供って負けたくないじゃないですか。
速さでも、綺麗さでも負けてる。
それが実力ならまだしょうがないですが

「私だって左で書いたらもっと綺麗に書けるのに。
なんで私だけ使いたい手が使えないの?
みんなズルい。」

そう思っていました。
花まるをもらって喜んでお互いのノートを
見せ合っているお友達がいる中で
あやすちゃんは?とノートを覗き込まれ
丸が一つしかもらえずに
ヨレヨレの字が並んでいる。
恥ずかしくて、
うまく言い訳することもできなくて、
どうしようもなくて
ツライ。

自分の本来の実力を発揮できない上に、
お友達からは私は字が汚いと思われてる。
羞恥心、劣等感、不公平感。
そして利き手が使えないもどかしさ。
いろんな感情が入り混じって
とてもストレスでした。

大嫌いな男の子と給食の時間

給食の時間もストレスでした。
出席番号順で席が決まっていて
いつも同じメンバーで食べていました。

私の向かいにいつも座っていた男の子は
私にいつもこう言いました。

「右手で食べないといけないんだよ!」

私がいつも先生に注意されていたので
正義感で言っていたんでしょうね。
この時期の子供にはあるあるです。

ただね、私もちゃんと真面目だったので
いつも右で食べる努力をしていましたよ。
大変ながらもちゃんと
右手に箸を持って食べていました。
だけど、向かい合ったその男の子から見ると
私は左手を使っているように見える。
その子にとっては右側の手で食べているから。

これも本当に毎日ストレスでした。
「せんせー!あやすちゃんが左で食べてるー!」
ってすぐに先生に言うんですよね。
先生はわかっているので何も言わないんですが
「いけないんだー!」って何回も
私に攻撃してくるわけです。

私も言われっぱなしではないので
「こっちは右手よ!ほら、右手で食べてるでしょ!」
お箸を持ったまま席を立って
くるりと後ろを向いて
右手に箸を持っていることを
説明したこともありましたが
「持ち替えたでしょー!」とか
言いがかりをつけては毎日文句を言われました。

ちゃんとしているのに
「ちゃんとしろ!」
と理不尽に毎日責められ、
一向に理解されないツラさ。

私はこの子のことは大っ嫌いになりました。


私は左利きだ!

給食にはもう一つ忘れられない思い出があります。
小学5年生の時のこと。
この時にはすっかり矯正は完了して
鉛筆とお箸だけ右を使う生活が定着していました。

給食の時間は
近くの席の6人ずつで机をくっつけて
グループで食べることになっていました。
その時に、遊びで

「俺、利き手じゃない方の手で食べてみよ〜!」

と言い出した子がいたのです。
みんなも面白がって一斉にお箸を持ち替えて食べ始めました。

みんな全然うまく食べられてない 笑
私が幼児期に苦労して食べてた状態に
みんながなってる〜笑
そうそう、上手くできないよねぇ〜。
そんなふうに思いながら
みんなで笑いあう、楽しい時間。

みんな右利きだったので、
みんな左で食べていたのですが
私もみんなの様子を一通り見た後で
「私は左利きだけど、
矯正されていつも右手で食べてたけど、
左で食べるとどんな感じなんだろ?」
そう思って左手に持ち替えて食べてみました。

(え?!何これ?)

「美味しいーーー!!!!」

私は相当みんなに笑われました。
突然大きな声で「美味しいーーー!!」と言ったのが
面白かったらしい。

その時の私に何が起こってたかと言うと
左手の使いやすさに感動していました。
ひょいっと軽々とお箸が操作でき、
食べ物を簡単につまめて
スムーズに口に運べる。

その結果、給食の味まで変わったような気がして
本当に美味しい!!!と心から感動していました。

年長の時に強制されてからはずっと
365日3食毎回、右手で食べていました。

それでも左手で食べた方がこんなに楽で
味まで違うように感じるなんて!

その瞬間から私は
今まで右手を使って食べてきたことが
心底バカらしくなり
右手でお箸を持つことをやめました。
以降、ずっと左手でお箸を使っています。

給食が終わって昼休みの後の授業では
鉛筆を左手を使って書いてみることも試してみました。

ですが、さすがに字は授業でいつも使って
食事よりも長い時間矯正し続けていたので
右の方が書きやすくなっていて
右を使うことにしました。

その時はとても残念な気持ちでした。
本当の私が騙されているような
失われたような気持ちでした。

この給食の出来事を
大人になってから知人に話した時、

「それは根っからの左利きってことだったんだね。」

と言われて妙に納得しました。
実はその人は左利きに憧れて
大人になってから
自分で矯正して左を使っている人でした。

野球選手で努力して左打ちに変えた人がいるとか
そんな話から自分も努力すれば左利きになれる!と思い
左に矯正していると話していました。

正直、その話を聞いた時には
せっかく右利きで生まれて苦労なく生活できるのに
わざわざ使いにくい手で生活するなんて、アホらし。

自分から好んで左利きになりたい人がいるなんて
変わってるなー。とも思いました。

人それぞれですね。

子供時代も、大人になってからも
左利き仲間を見つけると
苦労を分かち合った同士のような感覚になり
嬉しくて、左利きあるあるや
苦労話を披露し合うことがよくあります。
ずっと一緒に部活をしてきた仲間のように
一瞬で仲良くなれます。

ちなみに、私の左右の手の使い方は
字を書く時は右
絵を描く時は左
定規をおさえるのは右、線を描くのは左
ボールを投げるのは左
テニスや卓球のラケットを持つのは左
ハサミを使うのは左

このような感じで字を書くときだけが右で
あとは全て左手です。

左で書く字はどんなかというと
それなりに綺麗に書けます。
と言うかほとんど問題なく綺麗に書けます。
両手に同時に鉛筆を持って鏡文字のように字を書くこともできます。

それでも右で書いた字と、
左で書いた字とを比べた時に、
右の方が綺麗に見えるし、
自分の感覚としても右の方が書きやすくなっています。

ただ、大人になってから記者として働いていた時
毎日のように取材中、
口頭で聞いていることをすばやく

メモ帳に書き殴る

ということをしていましたが
その時には瞬間的に左を使ったり、右を使ったり、
何度も持ち替えたりして
自分でもどっちの手がいいのか
分からなくなることがよくありました。
立ったまま片方の手でメモを支えながら
鉛筆を持って書く。
字を書くというよりは、早く書く
描くにも近い行為。
そういうシーンでは
両利きのような感じになっていました。
不思議ですね。

親目線で左利きを考える


これまで語ってきたように
子供の頃のストレスが半端なかったので
もしも自分の子供が左利きだったら
絶対に矯正しない!
と思っていました。

そして息子は左利きです。
一切矯正せずに過ごしてきました。

親になってから左利きのママ友も何人かできましたし、
子供が左利きで矯正した方がいいのか、
あるいはすでに矯正している。
という話もよく聞きます。

最近では矯正しない親が多いので
とても嬉しいです。
矯正するかどうかで相談された時には
自分が矯正されて感じていたストレスと
給食でお箸を左に戻したをすることにしています。

聞いた人はだいたい
矯正しない方が良さそうだな。
と理解してくれます。

もう誰も私のように苦労して欲しくありません。

子供のそのままの姿を受け入れて
育てて欲しいというのが私の願いです。

左利きの息子を育てている中で
これまで、幼稚園、保育園と
先生が変わるごとに
息子の利き手のことを話し、
息子の使いたい方の手を使わせて欲しいと伝えてきました。

そんな中で何度か気になることがあったので
ご紹介します。

ハサミ問題


まずはハサミ問題。
息子が2歳ごろに初めてのハサミを買いました。
迷わず左利き用を。
それを私も使ってみた時の衝撃!!!

何これ、切りにくい!!!

私の子供の頃には左利き用のハサミはなかったので
右利き用のハサミを左手で使ってきたのですが、
刃の合わせ方が違うので
右用で慣れていた私は使いづらくてしょうがなかったです。

その時に思ったことは
普通に暮らしていて、
ハサミを使う場面に出会った時、
毎回Myハサミを持っている状況の方が少ないのだから
ハサミは右用に慣れていた方がいいのでは?
ということ。

Myハサミをお道具箱に常備するのって
せいぜい小学生までですよね。
中学以降は筆箱にMyハサミ入れ続ける?
邪魔じゃない?
外出先で、ハサミ借りる場面で
絶対左利き用ないでしょ。

そんなふうに思って
即、右手用の子供サイズのハサミも購入し、
家庭ではどちらでも使える状況にしていましたが、
息子は最初に使った左用ハサミから変えようとしませんでした。

3歳で幼稚園に入っても左を使っていて
今では左用を愛用しています。

ハサミの心配のことは
入園前に先生に伝えていたのですが、
先生が息子の様子を見ていてくれて
おっしゃったことは
「最初に右用を渡した時に、
切りにくそうに、
紙を引きちぎるようにして使っていました。
左用を渡したらスムーズに切れました。
右用を使わせてうまくできなくて
ハサミの活動が嫌になってしまうよりは
楽しくできることを優先させました。」と。

納得。

今後、左用のハサミがなくて
不便な時もあるでしょうが、
私がしてきたように
その場、その馬で対応する
自分なりの方法も
身につけていかなければならないのが
左利きの運命なんですよね。
息子自身に頑張ってもらうしかない。

私も息子の左用ハサミを何度か使ううちに
慣れてきた部分もあるので
大丈夫だと感じています。

習字問題

母の呪縛。
これについてはすでに解決策があって
最近の習字教室は
左利きは左利きのままで
教えてくれる場所もあるようです。

私が心が軽くなった話があって、
左利きのママ友で
習い事の話をしていた時に
友人自身が左利きで
左のまま教えてもらっていた。
ということでした。
約30年前からそんな柔軟な先生いるんだ!!!
習字の先生って何がなんでも
右手で書きなさい。というイメージでした。

そうして、
今、田舎に住んでいますが
一番近くに唯一ある習字教室でも
左は左のまま教えてくれるそうなんです。

私も字を習いたいと思っていたので
息子と一緒に通いたいなぁ。と思っていたりして。
そこで少しでも習っていたら
きっと息子も学校の習字でも苦労なくできるでしょう。

そうして私は今、左利きの自分を取り戻したいと思いってます。
今までずっと字だけは右に矯正されたままだったのですが、
字も左に戻して綺麗に書きたいのです。
その練習をしたい!

左利きのアイデンティティをとりもどす

先日私が右手で字を書いていたら
義祖母がぼそっとつぶやいたんですね。

「孫君も、右手で書けたらいいのにね。」

6歳の息子と6歳の時の私がダブリ
猛烈に反感があふれました。

お年寄りだから
右手に矯正するのは
当たり前の価値観の中で生きてきたので
その考え方になっているのは
仕方のないことなのかもしれません。

ただ、義祖母は左利きなんですよ。
本人も矯正されているはずです。
それでも当たり前にそんなこと言うのかな。
なんでだろ。
私はそうは思わない。

私は息子が息子のままで
成長していける環境を守りたいです。

それは独り言のような発言だったので
私は聞こえなかったフリで反応しませんでしたが
もしもその場にいなかった息子が聞いたら
「なんで?なんで右で書けた方がいいの?
左はいけないの?」
と思うでしょう。

これは、左利きを否定していることですし
ひいては息子を否定していることで
とても悲しいですし、
危機感を感じています。
そもそも自分自身を否定する発言です。
どうして自分で自分を苦しめるのでしょう。

間違った価値観から逃れられずに
知らない間に自分自身を苦しめている人が多すぎる。

こう言う何気ない発言の中に
日本人特有の集団意識、
過剰な協調性、
人と違うから変、
ダメというような(絶対ダメじゃないのに。)
いじめにつながる
間違った意識を植えつけてしまう危険性があって
本当にやめて欲しい発言です。

普通ってなんだろう。
当たり前ってなんだろう。

人と違う部分があった時、
左利きに関わらず
人は人と自分を比べて
悩むことがあるかもしれません。

そんな時に、
そもそも悩まなくていいよ。
違っていい。
人は人。
私は私。
と言う考え方をして欲しい。
認め合える
だから、

「〇〇できたらいいのにね。」
(できるようになったらいいのにね)

と言うことは
そのままの相手を否定することで
条件をつけて愛情を与える行為で
特に育児の中では使ってはいけないセリフです。

私は身をもって左でいいんだよ。
ということを息子に示したいのと同時に
自分自身をとりもどすため

左で字を書く
ということに取り組んでいきます。

左利きあるある

左利きのお子様を矯正したいという人は
まず自分が利き手じゃない方の手を
1週間でも使ってみて欲しいと思います。
その不自由さ、歯痒さ
それを大変した上で、
上手にできてないことを
「できたらいいのにね」
「いけないんだー!」
という言葉で追い詰められる気持ちを
味わってみて欲しいです。
おそらく1食食べるのも、もたないのでは。

そして
なんのために矯正するのか
明確な理由を考えてみてください。
将来苦労する?
矯正される苦労に比べればなんてことはありません。

私がこれまで生活の中で感じた
左利きには不便と言われる
左利きあるあるを
書き出してみましょう。

よく言わるのは改札?
確かにちょっと通りにくいかもしれませんが
そこまで不便に感じたことはありません。

自動販売機でお金を入れる場所が
遠いなと感じたことがあります。
ただ、今後は電子決済なども増えると思いますし
頻繁に利用することがないので
特に問題ありません。

バイキング形式の食事の時に
スープをすくうおたま。
おたまであれば全方位が丸いので問題ないのですが
わざわざ左側に口が尖っているレードルだったら
あれは確かに使いづらいですね。
あれに出会ったら不便を感じます。
もはや口の部分は使わずに
普通のおたまのように反対側を使います。

食事の時に腕がぶつかる
とよく言うらしいのですが
私は食事の席を意識したことがほとんどありません。
席にゆとりがあれば問題ないと思います。

そのほかにも、
パソコンのマウスとか、
パソコンのキーボードの配置とか、
カメラのシャッターボタンとか、
いろんな電化製品で言われているらしいですが
最初から右手で使うものと思って
右手で使うのであまり不便と意識したことがありません。

ただ、マウスを当たり前に右で使っていて、
トラックパッドに変えた時には
無意識に左手で操作しているので、
実は今まで不便だったんだな。私。
というレベルです。

私が右に矯正されたことがあり
右もあるていど使えるから
あまり使いづらく感じないだけかもしれませんね。

そうなると完全左利きで矯正をしない息子は
私より不便を感じることになるのかも。
それでも、その度に少しずつ右手を使うなり、
自分で工夫することを
鍛えられるのもいいかもしれない。


私が過去一番不便に思ったことは
そうめん流し!!

竹を半分に切って上から流し、
両側から取れる場合はいいのですが、
席が固定されているような専用のそうめん流し会場の場合、
右利きの人は楽々そうめんを迎えにいくようにすくえるのですが
左利きだとそうめんが逃げていきます。
もはや左利きお断りと言われているような気持ちになります。
同じ料金を払ってるのに・・って思いますね。
もはやネタです。

食べ物系でもう一つ残念だったのが
箱型のアーモンドチョコレートのパッケージデザイン。
箱をスライドさせると
チョコの飛び出し防止に
中に紙のフタのようなものがついていて
めくって食べるタイプのもの。
一度は食べたことありませんか?

あれを左利きが無意識に食べると、
反対側にスライドしてしまうので
箱を開けた時、食べられません笑
紙のフタがくっついてる方が出てくるので
ひらけないです。
あれは衝撃でした。

そうめん流しと同じで
左利きの人は食べられませんよ。
って拒否されている感じがします。
大袈裟かもしれませんが
憤りを感じます。
同じ金額払って食べてるのに!っていう。

右利きでも左利きでも
何も意識しなくても
過ごしやすい世界になればいいですね。

右利きの人には思ってもみないことなんです。
そうジェンダー問題、貧困問題、
あらゆるものと同じで
マジョリティが気付きもしない。
意識することさえ難しいような。

ただ、
お互いに認め合って暮らしやすい
そんな世界であればいいと思っています。

私にも、誰にでも、できることはあると思っていて。

今後、息子が成長していく中で
先生が思ってもみない。
左利きの人は〜?
とわざわざ確認しない。
右利き前提で話が進む。
そんな分かりにくいシーン、
やりにくいことがある時、
「僕は左利きなのでこちらの方がやりやすいです」
「左でします」
としっかりと主張できる。

息子への声かけ、意識づけ。
育てていきたいと思います。

いかがでしたか?
矯正のストレスであの頃の私の脳は萎縮したと思う。
そう信じています・・・。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
スキ!を押していただけると、励みになります。

子供との楽しい時間づくりに使わせていただきます!