生きてる側として

4日ほど前のこと、大学時代の後輩が亡くなった。
年齢は35歳。死因はくも膜下出血で、特に予兆らしきものもなく、亡くなる数時間前まではご家族とも普通に会話をしていたらしい。訃報を聞いて以降、数日ほどは何にも手のつかない状況が続いていたが、ようやく文章として書ける程度には落ち着いてきたので、自分の気持ちに整理するためにも記事を書くことにした。

厳密に調査したわけではないが、恐らく日本に存在する大学のSF研究会の120%くらいがただのオタクの寄り集まりだと思っているが、私の大学のSF研もまあそういうサークルであった。漫画を読んだりゲームをやったりアニメを見たり麻雀をやったりTRPGをやったり、授業をすっぽかして酒盛りをしたり、たまに部誌の発行作業で修羅場になったり等々。趣味嗜好の違いはあれど、オタク同士のゆるい連帯がゆるいままでなんとなく存在するひたすらに居心地の良い空間であった。

私は大学時代の大半をサークルの部室で過ごす毎日を送っており、大学四年間は確実に家にいた時間よりも部室にいた時間の方が長かったが、亡くなった彼もいわゆるそんな部室の住人の一人だった。彼とは所属していた学部や学科も同じであり、サークルの部屋を訪ねてきたその日に確か西尾維新や森博嗣が好きだという会話を最初にしたような記憶がある。彼がサークルに来たその日から、私が大学を卒業するまで、部室には彼がいなかったことの方が少なかったような気がする。

年上にも年下にも同年代にもやたらと腰が低かった彼は、とにかく付き合いが良く、私が卒業した後もしょっちゅうオンラインでTRPGを遊んだりしていたし、たまにOBとして大学を訪れた際にもだいたい相手をしてくれた。Twitterやこのnoteにもしょっちゅうリアクションをくれてたし、直接会う機会は少なかったにせよ、卒業してから一度も疎遠に感じたことはなかった。

去年のちょうど今頃、久々に私が福岡に帰って友人宅でバーベキューをやった時も、彼は二つ返事で参加してくれて、昔と全く変わらず(体型は大学時代に比べるとだいぶ丸くなっていたが)、人懐っこい笑顔を見せていた。その時は友人の著書が出たから買ってくれとゴリ押ししたらその場で買ってくれたし、とにかくノリが良くて裏表のない男だった。
本当に、その時が今生の別れになるとは夢にも思いもしなかったのだよ。

あまりにも死の影のなかった彼が唐突にいなくなってしまったことを、私は到底まだ受け入れることは出来ないし、しばらくはふとした拍子に泣き出してしまうこともあると思う。知り合った人間が亡くなったことを後から聞かされた経験ならあったが、本当に身近な友人の死に直面したことはこれまでなかったので、正直どう受け入れていけば良いのかはまだ分からない。

ただ、生きてる側の人生はまだ続いていく。会いたいと思った人間には会えるうちに会っておく、言葉は交わせるうちに交わしておく、やりたいことはやる、いつ終わってもおかしくはないのだから、一つでもこれからの後悔の種を減らす。なかなかに難しいが、その積み重ねをやっていくしかないのだろうと、今強く感じている。

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