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ローカライズと商習慣(前編)

2021年10月30日(土)17:00~19:30に、連続講座「実践者から学ぶ、ブランドデザインの哲学と手法」の第5回目を開催しました。

第5回目のテーマは「ローカライズと商習慣」とし、元 Yohji Europe CEO、元JOSEPH JAPON 社長、元 ISSEY MIYAKE EUROPE CEOである齋藤統氏を迎え、株式会社スズサンCEO / Creative Director であり Creation as DIALOGUE の統括コーディネーターを務める村瀬弘行氏との対談形式にて講演が行われました。

冒頭、司会進行のミテモ株式会社 代表取締役 澤田より、「商習慣の壁を越えて、作った価値を欧州や世界の方々に届け、使っていただくためにどう流通させていくかの具体的なお話を伺っていきたい」と講演の目的が話されました。大きな観点としては2つあり、1つ目は「言語、価値観、文化をこえて価値を流通させるためのローカライズとは?」というもの、2つ目は「欧州でビジネス展開をする上で押さえておくべき商習慣の違いとは?」というものが問いとして共有されました。
加えてその2つの問いを深掘りする具体的な問いとして以下も共有されました。
1つ目の観点に関しては
・日本とヨーロッパ、言語も違えば価値観や生活習慣も異なります。現地のローカル・ ニーズに合わせた商品設計(用途・素材・意匠など)が求められるとよくお聞きしま すが、何を現地に合わせ、何は普遍的なものとして考えていくべきでしょうか?
・現地のローカル・ニーズを深く理解するために、日本国内のメーカーは何ができるでしょうか?
2つ目の観点に関しては
・海外の流通業者(Distributor、Retailer、Agent / Sales Rep など)には複数の立場の方がいると聞きますが、どのようなステークホルダーと仕事をしていくことになるでしょうか?また、これらステークホルダーと良好な環境を構築する上で気をつけておくべきことは何でしょうか?
・世界の中で日本の商習慣が特異であると言われることがありますが、欧州でビジネス展開をする上で押さえておくべき商習慣の違いとはどのようなものがありますか?
というものになります。これらの問いを踏まえて、齋藤氏と村瀬氏に語っていただきました。

本記事は前編とし、ローカルに合わせることや現地を研究する重要性、そして日本初ブランドのヨーロッパ進出の歴史といったテーマの対話を掲載しております。

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齋藤氏のご紹介

澤田:齋藤さん、お話するにあたって簡単な自己紹介をお願いできますでしょうか。

齋藤氏:ご紹介に預かりました、齋藤でございます。私、実はもうそろそろ49年ほどフランスに住んでいまして、人生の半分以上はフランスなんです。フランスに行ってまずは言葉の勉強をしていたはずが、いつのまにかいろんな事情で方向が変わりました。たまたま山本耀司というデザイナーと今から四十何年前に知り合う機会がありました。私は全然ファッションの人間ではなかったんですが、その山本耀司さんがたまたまフランスに進出するにあたって、ヨーロッパ、フランスの経営の仕方が日本と違うところがたくさんありますので、そういうことをわかっている人間と組みたいというお話がありました。それで、山本耀司さんの初代の社長をやらせていただきながら、ヨウジヤマモトというブランドを世界中に広めていく一端を担わせてもらいました。それがきっかけで結局ファッション界にずっと留まることになりました。

そのあとは、海外のデザイナーさんを主に扱っていたんですが、私のキャリアとして最後の使命はイッセイミヤケのフランスの社長をやることでした。そのあとは、スズサンの村瀬さんもそうなのかもしれないですけども、日本から来た方にいろいろアドバイスをしたりもしました。フランスと言ってもやはりヨーロッパという意味でいいと思うんですけど、その中でどうしていくのがよいか、といったことですね。私が今まで通ってきた経験を元にしてお伝えしました。すべてが村瀬さんにとって役立つと思いませんし、もちろん時代も違います。ですからまったく同じことをして、同じような成果を得られるとは思っていません。けれど、少なくとも私が経験した中で、やはり村瀬さんにとって役立つことも多少はあったようです。

ただただファッション界に根ざして40年以上経っていますが、先ほど述べたように、山本耀司さんがパリにいらしたときの初代の社長をやらせていただきました。そのとき、私は生地というものに縦糸と横糸があるということも知らなかったという、恐ろしいところからスタートしたんです。主に経営をやらせていただきました。世界中にヨウジヤマモトというブランドを売るために飛び歩いていました。また生地などの仕入れのためにブラジルに行ったりペルーのリマに行ったりと、いろんなところを走り回って随分と経験をさせていただきました。

ここ数年は、個人的にいろんなデザイナーさん、たとえば日本から海外に行く方や、あるいは海外からの方もあるんですが、海外からだとちょっと難しい場合が多いので、日本からの方をお手伝いするのを主にやっております。簡単に言いますとそんなところでしょうか。

澤田:ありがとうございます。ヨウジヤマモト、イッセイミヤケ、あとジョゼフ・ジャポンもそうですけども、そういった文化を跨いでブランドのヨーロッパ進出に携わってこられましたが、マネジメント、セールスの部分を引っ張ってこられる中でいろんなトラブルであったりとか、乗り越えなければいけなかったりということがあったかと思います。そのあたりもいろいろ紐解いていただけたらと思っております。

また、ここ数年いろんな形で日本から挑戦されようとするデザイナーの皆様をご支援されておられますが、その中で感じてらっしゃる課題感であるとか、あるいはこういったところがエッセンスだよといったところをお話いただければと思っております。

ローカルに合わせること

齋藤氏:まず私の場合は、山本耀司さんとスタートさせていただいたというところが始まりです。初めに何に困ったかというと、サイズの問題があります。これは本当に困りました。日本人のお客様の合わせた洋服を作ってきたわけですが、向こうの方は体型が違うんです。確かに頭があって肩があって腕があってとか、それは同じなんですよ。ただ、細かいところの作りが違うんです。例えばウェストやヒップの大きさが違います。それからバストも違うんです。日本人と向こうの方は肉の付き方が違います。

そしてどういうことが起きたかというと、例えばシャツを着たら前が閉まらないのです。充分の大きさのはずなんですが、閉まらない。結局、全部脇で取られてしまうんですね。またパンツの場合ですとお尻のところが小さくて、入っていかないのです。太ももから下もやっぱり太さが違います。太ももは向こうの方たちはしっかりしています。下肢になると結構細いということもあります。細かいところで見ていくと違うところがいっぱいありました。それを解決するために、ヨウジヤマモトの本社とやりあったことがあります。

ヨウジヤマモトでのキャリアの後で、日本人のデザイナーさんが来るたび、いろんなデザイナーさんにアドバイスしていたときに、こんなことをお伝えしていました。まずやって欲しいこととして、スーパーマーケットで売っている、極端に言うとSとMとLサイズの服を買ってください、と言いました。決して高いものを買う必要はないんです。ディオールとかシャネルとかそんなものはいりません。セーターなんかは多少伸び縮みするのでいいんですけど買ってほしいアイテムとしては体にフィットするシャツとかパンツとかジャケットとか、そういうもので決して高いものでなくていいからSとMとLの3サイズを買って、それを分解して勉強してください、と言いました。でも、意外と私の知っているデザイナーさんでも、それをやらなかったんです。結局「面倒くさい」と言われてしまいました。結局、彼らは何度もパリに来てもやっぱり入りませんでした。ジャケットを着たけれど、腕が途中で止まってしまうとか、きつすぎるとかいったことが起きました。そういうところで随分アドバイスしたことがあるんです。やはり向こうの人の体、それもフランス人というのは身長はそんな大きくないんです。村瀬さんなんかもフランス人として見たら大きい方です。私も決して小さいほうではありません。ところが北ヨーロッパに行きますと、非常に体が大きいんですね。身長190cmある方もたくさんいますし、それこそ胸の厚さなんてすごいものです。

洋服のサイズ展開の場合、非常に細かくやらなくてはいけません。ヨウジヤマモトもそうですし、イッセイミヤケもそうですが、6サイズか7サイズの展開をしていかないときついのです。ですからローカルのイタリアとかフランスとかスペインとかでは展開ができるわけですね。ところが北ヨーロッパに行ったらまたダメということになります。そこでまた別にサイズを展開していかないといけないのです。そういうことに対して敏感であってほしいな、ということをいつも思います。要するにさっき申し上げたように、安い物でいいから一番わかりやすいサイズのものをフランスで購入して、それを研究するということを、どういうわけか皆さんやらなかったですね。中には腕が入らないシャツとか、ボディにも入らないジャケットを作る人もいたくらいです。

そういったアドバイスをしても「いいんですよ、これがうちのサイズですから」と言われてしまうと、私としては「じゃあいいんじゃないですか、どうぞ」ということになってしまいます。そうして、結局のところヨーロッパで失敗してしまったブランドさんもいます。結構有名なブランドでした。名前は言いませんが。そのように、ローカルに合わせていくということが大切になります。

例えば以前に、佐賀の有田焼を県がバックアップして展開しようとしたことがありますよね。そのときもアドバイスしたこととしては、こんなことです。日本の彼らが、いろんなお皿を揃えてきました。しかし向こうの方の食事の仕方を考えたときには何枚お皿が必要でどういうものが必要なのかと言ったら、限られてくるのです。アントレと言われる前菜を入れるお皿と、基本的にデザートを入れるお皿は、ほとんどサイズが同じだったりします。それから食事をメインのもの関しても同じだったりしますね。お肉だから魚だからとお皿は分けてないわけですね、向こうでは。

そういうところでメインにしていかなきゃいけないものに対して、例えば小鉢などはいっぱいあるんですけど、日本のファンの方は別ですけど、向こうの方には理解できないのですね。「こんな小さなお皿がいっぱいあってもしょうがない」ということになるのです。「そこは気を付けたほうが良いですよ」ということは申し上げたことがありました。

向こうの生活をわからないという場合に私がいつも勧めることは「一度行ってみてください、ヨーロッパを回ってみてください」ということです。商売のためではなくて、研究をするということが非常に重要だと思うんです。向こうの方がそれを使うための便利さがどこにあるか、とか、使用してもらうためにはこういうことを改良したほうが良い、とか。要するに向こうに合ったものは何か、ということです。それがローカライズだと思います。

例えば日本だったらお醤油を入れる小さな入れ物とか、醤油皿といったものとかがありますが、向こうの方からするとそれはどうか考えてみましょう。日本食が好きな方は別ですけど、そんな方は多くないですよ。ましてやご家庭で日本食を作るなんていうと、少ないわけです。向こうに持っていったときに、どういうものがメインなのかということを理解した上で作っていかないといけない。それが、私がいつもアドバイスをしていることです。

皆さんが将来ヨーロッパにいらっしゃるときも、やはり何のために使えるのかということを考えていただけたらと思います。日本と同じ使い方ではないんだということです。それをひっくり返したらどう展開ができるかということでいいますと、ご存知の方も多いと思いますが、例えば京都の開化堂さんの例があります。茶筒にスパゲティを入れるようにしたということがありました。長くして、スパゲティ用に使えるようにして、そういう売り方をしたということです。それからもう一つは、桶を作っている方もいましたね。桶はシャンパンであるとか、そういうものを冷やすために使うように改良して形を変えていったということがありました。そういう展開は必要だと思います。

あと細尾真生さんという、私も非常に親しくしている方がいます。彼らのところは西陣織を手掛けています。彼らは、通常の帯幅ではなくて広幅で作るように機械を改良して、ディオールの世界中のお店の壁紙として使えるようにしました。そういう発想の展開をしていくことも、メーカーの方にとって非常に大事だと思います。「うちはこういうものなんだから、これなんだ」と言われてしまうようでしたら、「であれば、(海外に)いらっしゃらないほうが良いです」というのが私のアドバイスなんです。

例えば村瀬さんが有松絞りというものを前面に出したとしても、海外にも絞りというのはいっぱいあるわけです、極端に言えば。しかし有松絞りが持っていた特徴は何かということを出しながら、スズサンというブランドでヨーロッパで広げていきました。我々も知り合って随分長いんですが、意味があるように、向こうのマーケットに合わせていくようにするということで、村瀬さんも非常に苦労していました。そこで新しいデザイン、向こうの人がわかるデザインが大事になりました。それができた理由は、彼がドイツに住んでいるということも一つの大きな理由としてあると思います。やはり現地を敏感に感じ取って作っていくことになりますからね。

現地を研究する重要性

齋藤氏:私としては、これから海外に行く方にとって一番大事にしていただきたいこととしては「まず研究をしに行ってほしい」ということです。別に一年中住んでくださいとか、そういうことではないんですけども、それぞれのご専門になさっているものが、どう使われていくのか、どういう風にするのが一番いいのか、どこを突破口にしていくのか、ということの研究をなさる必要があると思います。「うちの製品が良いんだ」ということだけでは、やはり今は海外で売り出すことはできないと思います。

皆さんがファッションの関係ではないので、それはいいんですけど、ファッションの方には多いんですよ。「うちはディオールと同じ生地を使っています」とか「シャネルの生地を使っています」とおっしゃる方もいます。それはどういうことなのでしょうか。

ディオールというのは聞いただけでわかりますね。フランスの大統領の名前を知らない人でもディオールは知っている、なんてこともありますよね。ディオールの製品だから、ディオールのブランドだから世界中に通用するのです。しかし、ディオールと同じ生地使ったからといっても、それが価値としてどこまで認められるでしょうか。例えばの話ですが、村瀬さんのスズサンのブランドがディオールの生地を使って有松絞りを作りました、と言っても「それで?」という話で終わってしまうと思います。

そういう意味で、何が自分のところで一番打ち出すべきなのかということも研究なさる必要がありますし、また、日本で売れているから海外で売れるという風に単純にお考えにならないほうがいいのかなと思います。これが私のひとつのアドバイスです。どうでしょうか。

村瀬氏:本当にそうだと思います。おそらく皆さん、ヨウジヤマモトと聞くとすごく尖っていてシャープな、我が道を行くというようなイメージを持たれているのかなと思います。僕も齋藤さんと知り合うまでは、「俺が俺が」という感じのブランドなんだろうなという風に思っていたんです。しかし、今おっしゃったようなマーケットに寄り添う研究をして現地の人たちの生活を深く知るということをやった結果、見た目としてはすごく尖りつつもボディやサイズ、カットのことをすごく研究されているんだということをその後に知り、だからこそここまで広がったんだなということを改めて感じました。

あともうひとつ、先ほど洋服だけに限った話ではなく、開化堂とか有田とかの例が出てきましたが。今スズサンでディストリビューションしている、東京のガラスのブランドがあります。日本のカタログのプライスリストを見ると、「ビールグラス」と書いてあるプロダクトがあります。スッとした細い、日本で昭和にビール瓶で飲んでいた細さの、すごくきれいな形なんです。ただ、ドイツ人からするとビールはジョッキでガッと飲むものなので「日本人はこれでビールを飲んでいるのか」と最初はすごくびっくりされました。そのあとで僕はプライスリスト上で「カクテルグラス」というように名前を変えて、それで売り出したら結構売れました。物は変えずに、用途を変えるということだけでもマーケットに寄り添うこともできるというのも、そのときに思いました。

日本発ブランドのヨーロッパ進出の歴史

村瀬氏:ヨウジヤマモトのパリコレ初参加は1981年ということですが、それまではヨーロッパでヨウジヤマモトを知っている人は誰もいなかったわけですよね。

齋藤氏:どなたもいなかったですね。私も知らなかったぐらいですから。

村瀬氏:それは伝統工芸と似ているなと思います。伝統工芸というものは、日本の中で価値が認められているというものですが、ただそれが海外の人には知られていないわけです。例えば「絞り」と聞いて知っている人はすごく少ないんです。価値を紹介しながらマーケットを作るということは、ヨウジヤマモトがやってきたことなんじゃないかと思います。日本ではヨウジヤマモトというブランドは1981年の前までは日本の中でも認知されていたでしょうか?

齋藤氏:「ワイズ」というブランドでした。ヨウジヤマモトというのは海外に出るための新しいブランドとして山本耀司さんが分けたんです。イッセイミヤケは分けてないんですね。コムデギャルソンも分けてないです。でも、耀司さんは海外に行くための進出ブランドはヨウジヤマモトだとしたわけです。ワイズの方は、今でもワイズフォーメンといったメンズラインがあります。彼は2つに分けたので、途中から展開がまったく違ってきているんです。私がスタートした頃に、同じようなものが展開していたことはありますが、途中からどんどん山本耀司さんの頭の中では海外向けと国内向けとが2つに分かれてきたことを覚えています。あれはすごかったです。

村瀬氏:まったく知られていないヨウジヤマモトがパリでショーを開催したわけですよね。ファッションヒストリーの中でも有名な話として、フランスに来たときにものすごく叩かれた、というお話を聞きました。「こいつは何なんだ」という扱いをされたと。そのときの話をもう少しお伺いしたいです。

齋藤氏:その頃、日本人のデザイナーでヨーロッパに進出していたという方は、残念ながら昨年亡くなりましたけど高田賢三さんがいらっしゃいました。高田賢三さんはそれなりに認められ、ジャングル・ジャップというブランドを始められました。また、三宅一生さんはフランスに来てはいたんです。高田賢三さんは1972年にフランスに行き、自分のブランドをしっかりやっていたんですが、三宅一生さんは1976〜77年頃に来てはいらっしゃるんですが、あまりまだ受け入れられませんでした。そこに、黒のショックということが、ブラックショックと言われましたし、あとプアールックと言われましたけど。ヨウジヤマモト、これはコムデギャルソンの川久保玲さんと一緒に来たということに意味があると思うんです。似たような製品、似たようなデザインだったのです。その2人がやってきて、すごいショックを与えたわけです。

ショックを与えたというのはどういうことかといいますと。フランスもあの頃というのは、ディオール、シャネル、イブ・サンローランといったそういうブランド、老舗は別として、あの頃は力を持っていたのはクロードモンタナとか、あとソニア・リキエルとか、皆さんご存知ないかもしれませんが、そういうブランドがフランスでトップを走っていました。でもそろそろ飽きてきたというか、ちょっと停滞気味になってきたところに、突然にブラックショックがドーンときたんです。そこで叩かれました。「日本人が洋服作るなんてのはおこがましい」というわけです。「お前たちは着物着ていればいいんだ」みたいな印象をまず持たれました。評価として、新聞にそういうことが載るんですね。それについて山本耀司さんから「これなんて書いてあるのか訳してほしい」と言われたので「こういう風に言われてますよ」と伝えました。「じゃあ俺のことを絶対認めさせる」と彼は言いました。その気迫はすごかったですね。そういう風にして、1年目2年目3年目と叩かれて「なんだこの裂けたような服は」なんて言われました。昔のヨウジヤマモトやコムデギャルソンも出てくると思うんですけど、私はそれを目の当たりにしました。

山本耀司と川久保玲さんが持ってきたものとして、3つのファッション界にまったくそれまでなかったものというのがあるんです。1つめが、今日いらっしゃってる皆さんと違う業界の話なので申し訳ないんですけど「デフォルメ」というものです。本来洋服とはこういう形でしょ、というのをまったく無視したものです。片方は肩に入るけど、もう片方は肩がこの辺に来るとかです。それから2つめのブラック、黒というのは何か。イブ・サンローランが1974年頃にフォーマルという形で黒を基調としたコレクションを出しているんですが、あくまでフォーマルなんです。結婚式とかお葬式とかのイメージです。ところがヨウジヤマモトも川久保玲さんもそれを基調として出したのです。それから3つめのアシンメトリックというものですけれど、要するに非対称です。フランスという国は全部対称なんです。ですからお庭とかエルサレム宮殿とかも対称になっているんです。アシンメトリックというのは例えばスカートが片方が長くてもう片方が短いとか、洋服を着てもボタンがまっすぐ行かなくて斜めになっているとかです。

この3つというのはそれまで誰もやったことがないということで、最終的には高い評価を得るんです。しかしそれが向こうの人にしてみれば、「これは服じゃない」ということになってしまっていたわけです。それが大体4-5年後くらい、ジャングル・ジャップじゃなくてジャングルというテーマがあったんですが、そのときにすごく高い評価を得ました。それで一気になんと「マイスター・ヨウジヤマモト」になりましたね。それまで、「ブラックのヨウジ」とか「プア・ルックのヨウジ」とか言われたのが急にマイスターになったのです。そのときに山本耀司さんにそれを伝えたら「マイスターと書いてあるじゃないか」とすごく喜ばれて、やったなと思いました。それがすぐに商売には繋がらなかったですけどね。商売に繋がるのはまた別の話です。そういうわけで、初めの4年間くらいはかなり大変でした。初めからトップじゃないのです。

村瀬氏:そうですよね。ヨウジヤマモトがショーを開いてそれでバーンと売れたし、世界中でその価値が広まったという風にかつては思い込んでいました。僕はその当時は知らない1982年生まれなので、ちょうどそのとき1歳くらいですから。

齋藤氏:まだその頃も叩かれていました。

村瀬氏:その後も、地道に文化に溶け込もう、溶け込ませようと思っている齋藤さんがいらっしゃるのかなと思いました。例えばサイズのことだったりカッティングのことだったりですね。ただそこで「そこは何を言われても変えないぞ」という気迫のある山本耀司さんもいらっしゃったのかなと思いました。そのお二人が突き詰めてやられていたのかなという印象があるんです。

(中編に続く)


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