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世界市場の中での日本の価値と世界戦略(連続講座 第6回)

名古屋市発の「伝統産業海外マーケティング支援プロジェクト」における第1期事業がフランス・パリ市での展示に向けて大詰めを迎える中、第2期も本格始動に向けて、6回の連続講座が開かれました。第1回と第2回は前年と同様に基礎講座として開催されました。続けての第3~6回講座では、各界からマーケティング、流通のプロフェッショナルや、実際にヨーロッパに於いて活躍されている方々をお迎えしての講演会やトークセッションが行われました。

パリでの第1期プロジェクトのお披露目を1か月後に控えた2022年8月25日(木)にナゴヤイノベーターズガレージで最終回となる6回目の連続講座が開催されました。今回が連続講座(講演・座談会)の最終レポートとなります。

オープニングではミテモ株式会社 代表取締役の澤田哲也より、本事業連続講座の目的をお話しさせていただいた後、今回の講義について、作り手のパートナーとなる伝え手の観点を通じて、今後のブランドづくりのヒントが得られればと、株式会社髙島屋 代表取締役社長 村田善郎氏へマイクが渡されました。

【第1部 講演】

髙島屋グループの歴史と概要

髙島屋は1831年(天保2年)古着商として創業。昨年で創業190年を迎えました。文政年間江戸幕府最後に、文化が開いた時代。天保になると厳しい時代になってきます。1830年の伊勢神宮での20年ごとの式年遷宮「おかげ年」に古着を売って創業。明治期、ロンドン、パリ万博にゴブラン織を出店展示。精密な針で刺しゅうしたもの、この時期に海外に出して日本にはあまり残っていないものを企業や個人が買い戻し、美術館等に展示しているほか、髙島屋でも髙島屋史料館に展示しています。

現在、国内百貨店15直営店舗、海外ではシンガポール・上海・ホーチミン・バンコクで、4店舗を展開しています。商業開発業や金融業などの事業も展開しており、シンガポール髙島屋は来年30周年を迎え、海外店舗の中では「髙島屋の奇跡」と呼ばれる年間40億円近い利益を上げています。現在シンガポールをハブに海外展開をしています。
その他、国内には持分法適用会社を含めて、大きい都市に売り上げ1000億円以上の店舗を構えていますが、2020年国内百貨店では200億円の赤字計上。連結最終利益では1日1億円レベルの赤字を計上する危機的な状況でした。今年は少し上向き、上期は売り上げも回復しつつあります。
その他、商業開発業としてグループの東神開発という会社がけん引役となっているまちづくり戦略はグループの総合戦略です。また、建装・金融もあります。百貨店各社は、2008年頃に統合の歴史があり、当社グループだけが単独ののれんを保っています。

グループのブランド価値の源泉であり中核の事業は、百貨店です。2018年から2019年にかけて、専門店ゾーンの新館オープンや百貨店の改装を行い誕生した日本橋髙島屋ショッピングセンター(SC)は、日本橋のまちづくりが一つのテーマになっています。まちづくりには二つあり、一つは、ゼネコンや行政とは違う意味で、街全体の流れを作るアンカーテナントとしての街づくり、もう一つはSCの中を一つの町と見立てて、ワンストップでお客様に楽しんでいただけるということ。

二子玉川に髙島屋を開業してから50年。百貨店を中心とした開発で、日本で最初の郊外型SCです。街全体の流れを作っていくのが私たちの考えでした。1965年~当時遊園地があったような場所ですが、所得水準が上がる、交通の要所、自然豊かであることの3要素があり、開発をかけてきました。現在は、おおたかの森を第2の二子玉川にしようと開発中です。 
海外でも、シンガポール、百貨店と専門店を融合させた日本型SCにしていくことが狙いです。 
また第3の事業の柱として、金融事業でお客様の生涯にわたってのお世話をするための、様々な商品の提案をしています。

百貨店の再生

コロナ禍の影響は大きく、2019年に比較して85%のインバウンド売上が消失しましたが、お客様の滞留時間は短くなり、顧客単価は高くなっています。特にラグジュアリー商品が好調です。インバウンドによる店内混雑で買いにくかった頃に比べ、アポイント営業も含め、ゆっくり買い物ができることから富裕層の購入が活発化しています。特選ブランドの需要はバッグが中心だった以前に比べると、巣籠り需要でインテリアやアパレルなどにも広がり、2019年の売り上げをはるかに超えるブランドもかなり出てきています。 
また消費者は環境問題や環境に配慮した持続可能な暮らしにより関心を持つようになりました。買い物をするときの意識や行動が変わり、大量消費から資産化できる時計・宝飾・土地・建物に向いています。良いものを長く使う、断捨離して本当に必要なものを選別する目が高くなってきているといった傾向が見て取れます。こういった消費のスタイル・価値観を見極めて、品揃え、サービスに生かしていきたいと考えております。 

髙島屋グループ全体の成長を考えた時、百貨店を中核とするSCモデルの拡大があります。
髙島屋が事業持株会社として、東神開発(株)や(株)アール・ティー・コーポレーションなどの子会社の支配株主になっています。百貨店を中核とするSCを開発し、ワンストップを実現させていく戦略です。百貨店だけでは満足できない時代になり、専門店やネットビジネスを展開する中にあっても、中心にあるのは百貨店です。
日本の百貨店は世界でも珍しい形態をとっていると考えています。日本の百貨店では、ラグジュアリーブランド、食品、催し、文化展が一か所にすべてそろっています。海外では巨大モールはあるが様々な要素があるものはないので、百貨店・専門店・イベント会場が一か所に集まるシンガポール髙島屋のような型での出店オファーが、富裕層の多い周辺国から沢山寄せられています。ホーチミンの百貨店、専門店、オフィス、レジデンスの複合商業施設がオープンして好調。今後もベトナムを中心にやっていくのが我々の戦略です。
玉川に次ぐ大規模開発も進行中です。流山おおたかの森では、地元の防災拠点、再生エネルギーなどの次世代型SCを造っていこうとしています。

ベトナム・ハノイでも現在開発中のプロジェクトがあります。学校事業を併設していくと現地での認可ハードルが下がりやすいメリットがあります。我々は商業開発をメジャー出資し、現地の学校事業にマイナー出資することで開発を進めています。既に第1期はハノイで学校をオープン、第2期で大規模商業施設オープン予定です。

次に、衣料品でいえば、社会問題になっている廃棄物の発生をいかに減らしていくかということで、日本環境設計に出資をし、一緒に取り組んでいます。ペットボトルから作る原子レベルのペレットを永遠に再生させ続けるものです。地下資源には手を付けないところに共感し、サーキュラーエコノミーの一環として、様々な循環型経済への取り組みをしています。
もう一つは食品ロスがあります。年間3000トンを超える食品廃棄のうち現在938トンは再利用ができないものですが、これを2030年にはゼロにしようということでお取引先の皆さんと取り組んでいます。

これからの消費に大きな影響を与えるZ世代

一つの傾向として、世界の4分の1の位置を占めると言われるZ世代が面白い動きをし始めています。顧客体験価値調査から、利用百貨店第1位が髙島屋で、年代別18歳~29歳が5位、60歳以上が2位と、二つの世代で高評価をいただいています。18歳~29歳の体験価値の評価ポイントは「オープンで正直」が最も高い状況です。

Z世代は生まれた時からインターネットに囲まれており、フェイクにあふれています。「オープンで正直」な百貨店に行けば、一人の大人として接客してくれて、間違いない商品があることを評価してくれていると聞きます。次世代のお客様として、しっかり取り込んでいこうと戦略を練っています。ちなみに、一部の髙島屋店内には、化粧品売り場やデパ地下で高校生や大学生のカップルが急増しています。

品揃えの魅力化に向けたお取引先との取り組み

品揃えを強化していくことで、ものづくりの人とどうコラボしていくのかということについてですが、小売業として一緒に商品を開発していくお取引先はまだ少ないが、一緒に開発していくという考え方は持っています。売り場づくりと関連したモノづくりもある。一緒にやっていけるところはどこなんだろうと考え始めています。売り上げ至上主義への反省があり、プロダクトアウトで、マーケットインになっていなかった。本当にお客様の求めるものを作っていけるお取引先と地道にやっていくことが、百貨店の平場では大切になってくると考えています。

高崎店では、高崎周辺のものづくりをしている方のものを集めたショップ
maison de F(メゾンドエフ)を開いたのですが、これが大変好評で日本橋にも進出しました。
お客様の反応は高いものがありました。
コンセプトには、5つのFがあり、maison de F という名前はこのFから来ています。
①Factory:工場や産地などの作り手やブランドのこだわりや想いを伝えるショップ
②Find:お客様に新しい発見を提供
③Fun:お客様にとって楽しいイベントを開催
④Function:産地情報やデザイン背景、社会的取り組みなどの情報を発信する機能
⑤Free:従来の百貨店のカテゴリーに捉われない品揃え

このようなコンセプトワークをしながら地元初のショップを運営してきました。そういう動きが広がってきています。ショップ構成としては、オリジナルブランド、ファクトリーブランド、ライフスタイルアイテム、イベントスペースなどがあります。

講演する村田氏

これこそがかつての百貨店の原点

従来の売れているモノや支持されているものをバイヤーが見つけて展開しても、すでに売れているものは、取引に制約条件があったりします。我々百貨店は、将来のトレンドになるアーリーアダプターを狙って、将来のマスになるトレンドを作る部分を集中的にバイヤーが探してくる、これこそがかつての百貨店の原点ではないかと確認して、そこをやり直していこうとしています。昔まだ日本人がそれほど海外に行けなかった頃の日本橋髙島屋では正面玄関を入って2階には、海外の珍しいブランドが並んでいて、そこからラルフローレンやルイ・ヴィトンが出てきています。ここに戻って、もう一度、失われたコロナの時期にも人材育成をやり直そうと取り組んでいます。

【第二部・トークセッション】

日本らしさとは

村瀬氏:まさか来ていただけるとは思っていなかった中で、お越しいただけてありがとうございました。村田さんとは、スズサンが日本橋髙島屋でポップアップをしていた際にお話をする機会があってからのご縁です。今日のお話で、百貨店というビジネスについて知らないことが多く、日本の百貨店は世界でも珍しい業態であることを改めて知り勉強になりました。日本ならではのスタイルというのは確かに日本だけだなと改めて知りました。シンガポールなど、現地の方々が日本らしさとして見ているということも評価されているというのもあるのでしょうか?

村田氏:百貨店の存在意義とも言える3つの要素は、百貨店に本来あった素晴らしい強みだと思っています。それは、ワンストップ・おもてなし・文化性です。娯楽がない時代はそこが面白くて来た。ある時代に百貨店は、効率性(取引条件)を追求するようになって、効率の低いことをやめてしまい、面白みのない百貨店が増えてしまいました。だからこそ我々は非効率の効率を追求していこうとしています。儲からなくても文化催しは必要で、一日楽しめる場所を作るためには、非効率の効率も必要。百貨店に行けば何かあるのではないか、という期待感や楽しさを醸し出していくことで、本来の楽しさを生き返らせようという考え方です。

村瀬氏:多様な人がいて多様なものがある、多様性の中の一つとしてZ世代も含まれると納得できました。

村田氏:若い方たちもただ買うのではなく、商品の歴史やストーリーに対する興味があり、真摯に対峙をしてくれる。某ブランドの責任者の方がおっしゃっていましたが、「最近の若い世代の方は、そこへの興味・関心が強い。商品の背景を知ることを、真摯にものを所有するにあたって考えてくれている」とのことで、非常にいいことだなと思いました。

村瀬氏:2008年にSuzusanブランドを作った時、職人も高齢化していて次の世代に伝えたい思いがあって、そこから15年経って若い世代の職人も育ってきてくれた中で、この3~4年くらいの動きで面白いのは、ユーザー側の人たちも若い世代の人たちが現れていることです、先日お会いした方も、21歳の男性ですごくものづくりに興味があって、目が肥えていて、ブランドや背景にすごく興味をもって関心を示してくれる。狙ったわけではなく、向こうから来た流れとして、面白いと思っています。

村田氏:作り手と伝え手の仕事が強く共鳴しているのは嬉しいことです。ある新入社員から「1竿100万円の箪笥をどうやって売ればいいのか、とても売れない」と懇談会で相談された時に、「100万円のモノの価値のプロセスをすべて説明できれば売れるのではないか。なぜ100万円かかるのか、金具にはどんな職人さんの想いやプロセスがあるのかをよく調べてみてはどうか」と言ってみたところ、売れたそうです。プロセスを伝え手が知ることは大事だし、インターネットで分からない情報や、伝統・価値を伝えることが百貨店やショップでお金を払って、モノを所有することに繋がっていくのではないかと思います。

村瀬氏:これまでにSuzusanでは60人くらいインターンシップを受け入れています。彼らはフランス・ドイツ・イタリア・アメリカ・イギリスなど、各国から来て、背景や土地ならではのものとか、ものづくりに興味を持っていていました。その中の優秀な学生がセリーヌのデザイナーになり、ジルサンダーが絞りを使ってくれていて、調べたらインターンに来てくれていた子でした。こういう人的交流も面白いと感じています。彼らに話を聞くと、将来ソーシャルな仕事につきたいということを言う学生もいて、夢が職業そのものにないことに学ぶことが多く、気づきがあって面白い。

村田氏:「ソーシャルな立場で仕事をしたい」という感覚は若いころにはなかった。刹那的な目標しか無かったように思います。

村瀬氏:企業として、街をつくるという構想を持っているという、先ほどのプレゼンテーションが凄いなと思い、二子玉川の50年がモデルケースとなって、髙島屋の一つの在り方となっているということに共感がありました。

村田氏:50年といっても最初の5年、10年は通路でボーリングができるんじゃないかというくらい閑散としていて、いつ撤退してもおかしくない状態でした。シンガポール髙島屋も今でこそASEANのハブとなる拠点に成長しましたが、最初の10年はいつ撤退してもおかしくない赤字状態でした。ところがお取引先と苦労を共にしてくると簡単にテナントを入れ替えるという関係じゃなく一緒に作り上げてきた同志的関係になって、今回のコロナ禍でも、何とか厳しい状態を一緒に乗り越えようという思いになってくる。東神開発の経営方針で二つのお客様という言い方をしていて、テナントが一つのお客様、もう一つは来てくださるお客様と言っています。この二つの信頼関係をどう作っていくかが重要な指針になっています。商業開発業としての強みはそこだが、時間がかかります。商業開発、百貨店は農耕民族のごとく、10年20年時間をかけて地域と一緒になってやっていかないと利益は出せないのです。

村瀬氏:農耕民族という言葉はぴったりですね。Forbesで「異なる物差し」というタイトルで記事を書いているのですが、物差しって色々な物差しがあると思います。世代、文化、民族とか、みなが同じ物差しを持っているとは限らないよということをドイツに来て学んでいます。ものさしの違う人たち全てを受け入れるということをひたすらやってらっしゃるのが百貨店かと思ったのですが、そういうことは考えていらっしゃいますか。

村田氏:学生時代というのは価値観、生活背景、学力の近しい人間とともにしているが、社会人で百貨店に入ると、あらゆる価値観を持つ人種の「るつぼ」の中で同じ目標に向かってやっていかなければならない。一番求められるスキルはコミュニケーション能力だと新人にはお話をします。そのような環境ですから、知らず知らずにそういう能力ができてきているかもしれないです。

村瀬氏:言い続けることで、その企業文化が生まれることもあるなと思うのですが、今、企業を通しての平均年齢は下がってきているのでしょうか。

村田氏:今は逆に高齢化は進んでいます。採用が少なくなっていますし、通年でスペシャリスト採用など中途入社も増え、定年後再雇用もあって、全体としての平均年齢は上がってきているはずです。

村瀬氏:日本ならではの百貨店の在り方を築いてきていらっしゃると思いますが、村田さんとしての日本らしさ、現地の人が敢えて日本資本の髙島屋に足を運ばれるのは、なぜでしょうか。

村田氏:百貨店としての日本らしさというのは、形からすると朝の開店の際に店頭のスタッフ全員が「おはようございます」「いらっしゃいませ」というのが独特ですよね。精神的な部分で、開店前に音楽が流れていて、一期一会をテーマにしたコメ・プリマ(イタリア)と言う曲で、「あなただけを、たった一度、昔愛してくれたあなたにもう一度」という意味があります。この音楽を流すことで、今日お会いするお客様に一期一会の精神で接するという心へとモードを変えるというのが今も当社に残っています。心の中で一期一会の精神でお会いしておもてなしするというのは、日本らしさの一つではないでしょうか。

村田氏

日本の良さを伝える

村瀬氏:ホスピタリティは、日本は素晴らしいと感じます。そういえば、百貨店で流れている曲の話を以前されていましたよね。

村田氏:雨が降ったら店内に流れる音楽が変わって、お客様に品物をお渡しするときにカバーをかけ、不審な方が入店された場合には、音楽を変えることで備え、安心安全を確保するというのが責任だと考えています。震災の時に、髙島屋百貨店は帰宅困難者のために一晩中店を開けて救護活動を行いました。上層階で動けなくなったお客様には、売り物のソファーを使っていただきました。各フロアに情報を常に流しながら毛布や乾パンを配りました。SNSで広まってどんどん人が集まってきました。その夜日本橋界隈で煌々と明かりがついていたのは髙島屋だけでした。そういう意味での社会的責任が従業員の感覚としてしみついてくるのかもしれない。天保大飢饉のときに価格が高騰する中、髙島屋は蔵を開けて廉価販売したと伝わっています。少し日本らしさからそれましたが、従業員の誰一人嫌な顔をせず一晩中、お客様のお世話をしていたのを見て誇らしく思いました。

村瀬氏:そこがまさに日本らしさですよね。よその国だとものを取られたらどうするんだとか…。提供する側もお客様も、そこの安心感が相互にできているのだと思いました。そこが日本らしさだと思いました。日本に行った友人に、「日本で良かったことは?」と聞いたら、「何といってもホスピタリティだ!雨の時に傘を持って行けと、傘を差し出してもらったことがある。言葉が通じない中で、そんな国はこれまでなかった。」と。与える精神が誇らしかったです。

村田氏:日本人は口下手だし、相手に対して不器用だけど、そういうことをしたい人が多い。外国の人にわかってもらえると嬉しいですね。

村瀬氏:誠実、真面目というところはこれからとても大事になってくるだろうし、見た目じゃない価値観、トレーサビリティ、社会としてのニーズで正直さ、誠実さが高まっています。日本の価値として、ブランディングとして、日本から外に出す方向としては、これからコロナが明けて、日本に行きたい人も増えていて、一番行きたい国ランキングで日本が1位になったという、この3年間どこにも行けなかった中で、その理由も誠実さ正直な国の価値になっているのかなと思います。

村田氏:年々団体の爆買いから個人旅行、リピーターが増えている。日本の良さに触れて、また行きたいという人が増えてきている。インバウンドが戻って、日本の良さがどんどん拡散して、爆買いは無くてもコト消費的な、本当の意味での観光立国になっていくのではないでしょうか。

村瀬氏:話は変わりますが、ちょうど東西ドイツが統合した直後のヨーロッパってどんな感じだったのでしょうか。

村田氏:入社したころから、元々ヨーロッパ思考ではなくドイツ思考でした。髙島屋の百貨店業以外の海外建装事業も盛んになっていて、事業化のために現地法人を立ち上げる目的でデュッセルドルフに拠点を置いたのが最初です。ドイツでは、グランドホテルや日本大使館、日本国内では、迎賓館の螺旋階段を作る技術は髙島屋工作所(当時)という子会社にありました。ところが激動期のヨーロッパで事業化どころではなく、その頃あったほかのヨーロッパの髙島屋も撤退を余儀なくされたなか、4年半で帰国しました。

村瀬氏:そんな中で、現地で様々な人と触れ合う中で、自分は日本人だなと感じる、日本にいると学べなかった経験のようなことは振り返ってみて何かありますか。

村瀬氏

村田氏:逆に、日本人というアイデンティティが芽生えたというよりも、どちらかというとドイツ人にかぶれていた時期があったので、ネガティブな自覚はあります。日本の素晴らしさを実感するとともに、一方で我々は有色人種なんだな、アジアの小国から来た人間なんだなと思い知らされたといったようなことはあります。村瀬さんを見た印象は、有松でものを作り、ドイツでデザインをやり、色々な国をまたいで真面目に取り組んでいることを感じました。こういう人達とこれから一緒にやっていかなければと思いを強くしました。村瀬さんは、日本人としての感覚なのか、コスモポリタン感覚なのか聞きたいと思います。

村瀬氏:20歳で日本を出て、今年40歳でもう半分日本以外のところに住んでいます。元々イギリスに行ったけれど、学費が高く、ドイツは学費がタダだと聞いて、ドイツに移りました。教育も面白かったし、価値観も違っていて、日本の大学だったら上手い人から採っていくけれど、デュッセルドルフのアカデミーは伸びしろがあるかどうかで採るので、上手い人は入れないことがあり、日本の大学を終えてきた人は入れない場合があります。そういう人たちが集まってきて面白い環境でした。

村田氏:まさにアーリーアダプターですね。

伝え手を捉える作り手とは

澤田:日本橋店で伝え手として会われて、作り手としてのSuzusanのどういうエッセンスを捉えて、「こういうブランドこそ伝えていかなくては」と思われたのかをお聞かせください。

村田氏:感覚的に素晴らしいプロダクトがあったこと。村瀬さんとお話しする中で、ものづくりに対する姿勢に感じるものがありました。ご兄弟でされていますが、単にそれぞれの役割分担の中で、単に日本だけにとらわれない感覚、ステージはグローバルな中で、どういう役割で、誰がそれを発揮したらいいのかを、私なりに感じたので、こういうブランドを世界で活躍できるようにしないといけないし、伝え手はこうした部分をフィーチャーして伝えていかなければならないなということがありました。

澤田:ありがとうございます。商品のすばらしさ、ものづくりへの姿勢、ユニバーサル、グローバルに見ていらっしゃるスタンス、視座。こういったことが心を打ったということはブランドをこれから作っていくうえで、一つヒントになるかもしれないと思ってお聞きしました。

Z世代の方々にその誠実さが伝わっているということで、小手先ではなく、誠実であることを日常から会社の中に文化として根付かせていらっしゃるから、震災の話にもつながってくるし、世代や国籍を超えて価値として伝わっていらっしゃるんだなと感じました。どういうものを作るかだけではなく、どういう文化をつくっていくのか、そこが結果的にものとして、世代を超えて認められるかに繋がってくるのではないかと、私自身は感じながら、これからの事業を進めていくうえでのエッセンスかなと思って聞いていました。ありがとうございました。

村田善郎氏 プロフィール
株式会社高島屋 代表取締役社長

1961年10月、東京都生まれ。1985年慶応義塾大学法学部卒、髙島屋入社。1991年にドイツ赴任。2011年に柏店長、13年に執行役員総務本部副本部長、15年に常務取締役企画本部副本部長に就任。17年の代表取締役常務総務本部長を経て、19年3月に代表取締役社長就任、現職。

参考リンク
高島屋村田社長「発見のある売り場、人材育成に授業料」(日本経済新聞)

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