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ブランドを形成するものづくりの現場(前編)

2021年9月18日(土)17:00~19:30に、連続講座「実践者から学ぶ、ブランドデザインの哲学と手法」の第3回目を開催しました。

第3回目のテーマは「ブランドを形成するものづくりの現場」とし、 GRAFF シニアデザイナー、元ロレンツ・バウマー、ルイ・ヴィトン、ヴァンクリーフ&アーペル ジュエリーデザイナーである名和光道氏、フリーランスデザイナー、元ディオール・オム、ボッテガヴェネタ ハンドバッグデザイナーである古川紗和子氏を迎え、株式会社スズサンCEO / Creative Director であり Creation as DIALOGUE の統括コーディネーターを務める村瀬弘行氏との対談形式で講演が行われました。

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講演の前に、司会進行のミテモ株式会社 代表取締役 澤田より、

・ブランド(ブランドイメージ)をある種、最も具現化している
 「プロダクト」にいかに意味を吹き込んでいるのか
・デザイナーと職人がどのような形で共に作りあげているのか
・ブランドの現場でものづくりがどのように行われているのか

上記3点について、本講演では掘り下げていきたい、また、それらを踏まえた上で、「名古屋のものづくりに携わる職人の皆さんが、世界で活躍するデザイナーとどのように協働していくと、世界にその価値を届けられるのか」という問いを持ちながら進めたいと話がありました。

講演の中で、名和氏、古川氏には、「手工芸から価値が生みだされるブランドのものづくりの現場と実際とは?」「日本のメーカー/職人が、世界で活躍するデザイナーとコラボレーションする上で、抑えておくべきポイントとは?それぞれが担う役割とは?」という2つの問いに、ご自身の経験を交えてお答えいただいております。

本記事は前編とし、お2人の自己紹介を掲載しております。古川氏からは自己紹介の中で、スズサンでバッグのデザインをされた際の、共創/協働の一部もご紹介いただきました。

ブランドを形成するものづくりの現場(前編)

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澤田:今日は、特に名和さんと古川さんの話を中心に皆さんに聞いていただこうと思っております。

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名和氏:こんにちは。

古川氏:こんにちは、よろしくお願いいたします。

村瀬氏:お願いします、こんにちは。

澤田:名和さんは、普段はイギリスからですけど、今回はお仕事でパリに滞在中ということでパリから。古川さんはミラノから。そして村瀬さんはデュッセルドルフからということで、日本を含めて4か国から接続しております。 まずは名和さんから自己紹介をお願いしていいですか?

名和光道氏:自己紹介

名和氏:本日はよろしくお願いいたします。僕は京都出身で、学生の頃はデザインとアートを勉強していました。その後、少しだけ日本の建築事務所みたいなところでインテリアのデザインなどをやっていましたが、ずっと海外に行きたいという夢があったので、24歳のときにフランスに移りました。 

そもそもは、フランス語を勉強して、また日本に戻って仕事をしたいという感覚でした。言葉だけでも覚えて帰りたいと思ったのですがなかなか覚えられずに、1年、2年と過ぎていきました。 

僕は今、ジュエリーデザイナーの仕事をしていますが、元々ジュエリーという世界をまったく知りませんでした。たまたまフランスでハイジュエリーの展覧会に行ったときに、こんな世界があるのか、芸術だし、作ったものがずっと残るし、職人さんがいて、すごく綺麗で、とてもキラキラとしているイメージに感動し、「自分もこういう世界でできたらいいな」と決意してジュエリーの勉強を始めてました。

もちろんそれから紆余曲折あるんですけれど。お金がなくて学校に行けないとか…

1年くらいは家で、本を見ながら独学でジュエリーの絵を描いていました。そして、「本当にビザが切れる」タイミングで、もう最後だからと勇気を出して、ポートフォリオを見せに行くことにしました。ダメだったら帰ろう、という感じです。「日本に帰る」と友達にも親にも言っていましたし。

そういう状況で持っていったら、その日に面接してもらえて、「次の日から来てください」と言われ、人生がゴロッと変わりました。

それが最初の会社、ロレンツ・バウマーという会社です。人を探しているという話を聞いていたのでそこに飛び込み、そのまま研修生として入れてもらいました。

僕が入った年は、ルイ・ヴィトンがハイジュエリーを始めるタイミングで、ロレンツがルイ・ヴィトンのアーティスティックディレクターになった年でした。 ちょうど、そのプロジェクトが動いているタイミングで僕が入り、ルイ・ヴィトンのプロジェクトを与えられて、「おおっ」と思いながら描きました。

小さいプロジェクトだったんですけれど、自分のやる気やポテンシャルを見せないといけなかったので、本当に思い切りやりました。そうしたら、僕が最初にデザインしたものが、ルイ・ヴィトンのハイジュエリーで一番最初に採用された作品になったんですね。「じゃあ、雇ってあげる」ということでビザを出してもらい、そのまま4年間、ロレンツの中でルイ・ヴィトンの仕事をメインにやる日々を過ごしました。

ある日、ヴァンクリーフ&アーペルから直接連絡が来て「一緒にやるか?」という感じで言われました。ヴァンクリーフ&アーペルに本当に憧れていたし、10年くらいしたら挑戦したいと思っていたところでしたので「もちろん行きたいです」と言って移りました。

「ロレンツ・バウマー」から「ヴァンクリーフ&アーペル」、そして「GRAFF」へ

ヴァンクリーフ&アーペルは、100年以上続く、ハイジュエリーでトップのメゾンです。ジュエリーに対する考え方、アプローチの仕方、「ここまでこだわるんだ」とか。本当に圧倒されました。

最初は自信を持って行きましたが、レベルの違いにやられてしまい、必死にしがみついている中で、あっという間に7年が過ぎていきました。

7年いる間に、僕も年を取るし、恋愛もするし、結婚もして、子どもも生まれて…。子どもが生まれるタイミングで、「このまま良いポジションでどっしり居座るのも良いけれど、せっかく海外に来たのだし、もっと違うものも見てみたい」という気持ちが出てきました。

それで、今はイギリスに移ってGRAFFで仕事をしています。イギリスの会社ですし、スタイルも違うし、ビジネスの仕方も違います。

以上が、僕のだいたいのここまでのキャリアです。

澤田:一番長いキャリアはヴァンクリーフ&アーペルですか?

名和氏:そうです。7年です。

澤田:その7年間の中で手掛けておられたことをもう少しちょっと具体的に教えていただくと。

名和氏:基本的には、ハイジュエリーのセクションで、天井が無いような値段のジュエリーの作品を任されていました。

スペシャルオーダーと言って、直接お客さんから「こういうもの作ってください」というのに対してデザインをする仕事と、テマティック コレクションと言って、一点もので本当に豪華な作品を作ったりしていました。ヴァンクリーフ&アーペルだと、そういった作品を一年に120点くらい作ります。

例えば、今年は「海がテーマです」などの大きなテーマが渡され、それに対してデザイナーが掘り下げていきます。「では、ここの海で」「このギリシャ神話からのモチーフがあって」とか、色々と考えながら、ナラティブでストーリー性のある作品をつくる仕事です。

最後の2年は、ずっと「やりたい」と言っていたことが通り、時計のデザインをやらせていただいていました。

澤田:本当は、名和さんの作品を皆さんにお見せできたら良いのですけど。

名和氏:「ハイジュエリー」と検索すれば、沢山の画像が出てくるので。そういうものを作っていたということですね。

澤田:事前の打ち合わせのときに、どれを名和さんが作ったかということは「中々言えないんだよね」という話をしていたんですよね。

名和氏:もちろん会社の中で働いていますので、僕の作品といっても会社の作品ですから、パブリックな場に出すにあたっては会社の許可が必要です。

それから、業界の常識として、デザイナーは「自分がこれをやったんだよ」というのは言わないというのがあります。更に言うと、「僕がこれをやったんです」と言ったことで、その作品を買われたお客さんが不快に感じてはいけないということもあるので。そういった観点から、今日はお見せできないんですけれど。

もちろん、個人的に自分のやった作品のポートフォリオを持っていますので、これから関わっていただく事業者の方々には、もう少しお見せできると思います。

澤田:シークレットにしていくっていうところも含めて姿勢ですよね、というような話をしておりました。名和さんありがとうございます。

古川さんも自己紹介をお願いいたします。

古川紗和子氏:自己紹介

古川氏:ミラノを拠点にデザイナーとして活動しております、古川紗和子といいます。今まではディオール・オムやヴェルサーチ、去年までの8年間はボッテガヴェネタにおり、そのブランドの中でハンドバッグデザインを主にやっておりました。

ミラノに来たきっかけからお話します。

私は新潟の長岡市というところの出身なんですけれど、長岡市とアメリカのテキサス州のフォートワース市が姉妹都市なんですね。高校時代に夏休みを利用した短期留学がありまして、その際にホームステイをしました。

長岡市と同じく、イタリアのレッジョ・エミリアという街もフォートワース市と姉妹都市でした。フォートワース市にはレッジョ・エミリアからも学生が大勢来ていたんですね。その中の、あるイタリアの学生ととても仲良くなりました。意気投合していまだに連絡を取り合う中なんですけれども。

それがきっかけで「イタリア面白いな」「イタリア行ってみたいな」と思うようになりました。

高校のときはファッションの仕事なんて全然考えていなかったですね。でも一応、「デザインの方に行きたい」「グラフィックデザイナーになりたい」と考えて大学に入りました。そして、なんだかんだしているうちに、「やっぱりファッションをやってみたいな」と思うようになり、大学時代はテキスタイルを学んでいました。

「お友達もイタリア人だし、イタリアっていったらファッションだよな」なんていう単純な発想から、イタリアに留学してみたいと思うようになりまして、ミラノに来ました。

1年間、大学院のマスターコースに入ったんですけれど、ファッションを学んで留学した訳ではなかったので、イタリアに来てから「あれ?イタリアのスタイルって私の好きなスタイルと違う」と思い、「パリの方が良かった」とか「失敗した」とか思って、がっかりしたんですけれど。これは若さの至りというか、若さのパワーでとにかく来ました。

で、18、19年目になるんですど、結局居座っています。

何度か転職もしています。パリやロンドンのブランドからも声がかかるんですけど、縁がなかったんですね。そんな感じで今もミラノにいます。色々なブランドに行ったんですけど、ボッテガヴェネタを昨年辞めて。今年からフリーとして仕事をしているんですけれど、その第一弾の仕事がスズサンのバッグのデザインでした。

スズサンとのコラボレーション

今回、スズサンではバッグを3つ、デザインさせていただきました。

デザインが始まる前に、村瀬さんから「今回のコンセプトは『 journey』です」と話がありました。 COVID‑19後の旅をテーマにしたコレクションということで、「どのように旅というテーマを表現したらいいかな」「バッグで表現したらいいかな」というのを考えまして。

少し大きめの、簡単にパッと持って手荷物をとにかく詰め込んで出かけられるような、そんなイメージを持ってスタートしました。

また、バッグのことだけではなくて、「そもそも有松絞りってどういう歴史なのかな」とか、「スズサンはどういうブランドなのかな」ということを最初に勉強したんですね。インターネットで情報を得たりとか。絞りのイメージを集めてみて、「今までの歴史的な絞りと、スズサンがやっている絞りとその差は何かな」とか。

後は、スズサンのスタイル。ひいては、「村瀬さんのスタイルはどんなスタイルかな」ということも、村瀬さんのインタビューを読みながら紐解いていく。そういう作業をしてきました。その中で、スズサンにコレクションに合うものをデザインしていこうと思いまして、このようなデザインになっていったんですけれども。

注:実際の講義ではデザイン画やモックアップを見せていただきました。

そのデザインにいくまで、色々なデザインを出していって、村瀬さんとお話をして決めて行きました。決まった後に、更に「カバンの中にはこんなポケットが入りますよ」とか、「ロゴをどうしましょう」とか、そういう細かい部分まで決めていきました。

また、「このバッグの大きさはどれくらいですよ」とか、「ディティールは何センチですよ」というところまで考えて、実際に作ってくださる方に伝えるという作業もしていました。

次のステップでは、モックアップを作りました。

私は、ボッテガヴェネタの仕事でも、実際にモックアップを自分自身で作るということをしていまして。今回のスズサンのバッグはキャンバス素材だったので、若干ハリがあるようなビニール素材を使って実際に作ってみて、「どのくらいの大きさかな」などということを試しています。

「このバッグだったら、このようにすればトートとしても使えますよ。そして、このショルダーを引っ張って長くするとショルダーとしても使えますよ」というようなスタディを実際にすることで、作ってくださる方との意思疎通をスムーズにするようにしました。

今回は、私がミラノ、村瀬さんがデュッセルドルフ、作って下さる方は東京で絞りの職人の方は有松という、離れた場所で進めていったので、いかにスムーズに意思疎通できるかというのはとても重要な課題でした。

オンラインでは、すぐに素材を触って判断してということもなかなか難しいですから、デュッセルドルフにいる村瀬さんから実際に作るときに使用するキャンバス素材をミラノに送っていただくこともしました。

そのキャンバス素材で作ってみて、硬さや重さなどをシミュレーションていくという作業もしました。やはりキャンパス素材だけでは、カバンとしては成り立たないので、中にハリのある素材を付けることで自立させるようなことをしていったんですけれど・・・。

本当は工場の方や職人さんと実際に話をする必要がありました。そこで触って、判断してということをしたかったんですけれど。やはり場所の関係、時間の関係でそれができなかったので、自分で色々と試しをして、仕事を進めていきました。「そのパイピングはこうですよ、何ミリですよ」とか、細かいディティールを決めて、共有して、ひとつの作品にしていきました。

実際に出来上がったカバンは、ぜひスズサンのオフィシャルの Instagramや、私の Instagramで見ていただきたいと思います。

https://www.instagram.com/suzusan_official/
https://www.instagram.com/sawyfury/

こんな感じで仕事をしています。いろいろなストーリーがまだまだあるんですけれど、「こんな感じでやっているんですよ」というさわりだけでもご覧いただけたかな、なんて思います。

やはりいろいろなブランドでお仕事をするときに、「それぞれのブランドのカラーって何かな」とか、「ブランドが歩いてきた歴史は何かな」とか、そういうものを知るのがデザイナーとしては重要です。

名古屋のこのプロジェクトも同じだと思うんですけれど、それぞれの産業の歴史ですとか、職人が考えていらっしゃることとか、そういうことを学びながら一緒にお仕事していけたらな、なんて思っています。以上で自己紹介になります。

村瀬氏:ありがとうございます。このバックの件で、一番最初に古川さんにオファーをかけたのは2月21日だったんですね。発表になったのが7月なので、約4か月半でこの作業をやったということになります。

タイトな期間の中で、古川さんはものすごく的確な指示をしてくださいました。もちろん、職人さんたちにたくさんご協力いただいたところもありますし、有松のスタッフも本当に良いものを作ろうというコアのところをぶらさずに取り組んでいましたが、4か所で会うこともなくバッグが出来上がったというところには、本当に古川さんのブランドへの理解があったなと思います。僕もこの4ヶ月で、すごく学ばせてもらいましたし、「こうやってものができるんだ」というのがありましたね。

澤田:オンラインでもそのスピード感で進められるっていうところですよね。

村瀬氏:そうですね。

(中編に続く)


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