言い訳としての自由
好き勝手やって責任は取らない。
周囲に迷惑ばかりかけている人。
こんな人は「自分自由だし」という支離滅裂な言い訳を言い放ってくる。
自由には責任が伴う。
それは、必ずしも相手に迷惑をかけるな、という命令調の責任ではない。
根底にあるのは、自由を守る、という責任である。
この責任なくしては、世の中すべからく無責任な人間で溢れかえることとなる。
そのような世界は滅亡へと突き進んでいる。
自分が自由であるためには、相手も自由でなければならない。
自分の自由も相手の自由も、同じ自由なのだから、先の責任を果たさなくてはならない。
冒頭の支離滅裂な言い訳をする人間がおこなっているのは自由ではない。
彼は欲望のまま突き動かされている。
欲望のまま動くのが良いか悪いかは別の問題であろう。
けれども、欲望のまま動くのは自由ではない。
自由とは、数ある選択肢のから一つを選び取ることである。
これに対して、欲望による行動は単なる「反応」にすぎない。
どちらも自分の望むことをしているようで、そこに至る道のりは全く異なる。
無思慮な自分の行動を自由になすりつけるのはやめよう。
欲望のまま動いたのなら、素直にそれを認めよう。
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