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何のために研究をするのか

cvpaper.challenge Advent Calendar 2023  22日目を担当する
東京電機大学データ科学・機械学習(DSML)研究室の前田です.2017年の9月入学なので,ちょうど修士課程を終えたくらいのところです.情報科学やコンピュータサイエンスの基礎を,日々一歩一歩勉強しながら過ごしている毎日です.

2023年12月23日


フラクタルとの出会いと再会

 私が,修士課程を終えて,ひょんなことから,アリスが穴に落ちるように,NTTに就職したのが1986年である.その前年に,B・マンデルブロ『フラクタル幾何学』広中平祐監訳、日経サイエンスが出版され,フラクタルが日本ではちょっとしたブームになった.「フラクタル次元」や「マンデルブロ集合」は,B. B. Mandelbrot によって考案された全く新しい概念であって,日本ではほとんど知られていなかった.当時の研究会報告を検索してみると「フラクタル」が関心を集めていたことがわかるであろう.
 それから30余年が経ち,東京電機大学に移り,学習院大学久保山哲二先生との共同研究で伊勢型紙の分類をはじめたところだった.伊勢型紙のような意匠画像は,自然画像と抽象アートとの中間に位置するちょっと面白い研究対象なのである.しかも文化的価値が高く,立命館大学を中心に1万枚以上の型紙がデジタルアーカイブ化されている.文様の周波数解析やテクスチャー解析が関係してくるので,30年前のフラクタルに注意を払っていた.そんな折,MIRU2018札幌へMIRU推進委員会出席のために出かけていったのだが,すると,そのポスタープログラムに,
『PS2-62:フラクタル幾何学を用いたデータセット構築と特性評価 松崎 優太, 岡安 寿繁, 中村 明生(東京電機大), 佐藤 雄隆, 片岡裕雄(産総研)』
を見つけたのだった.懐かしいフラクタルじゃないの!
 開催前日だったか,会場の閑散とした広い廊下を歩いていたら,向こうからやってきたのが,片岡さん.そこでいろいろ話をうかがったのがきっかけで,共同研究に誘って頂きました.私のところからはほとんど貢献できなかったけれど.

片岡さんとの出会いと再会

 フラクタルとの再会から遡ること2年と少し,電子情報通信学会パタン認識・メディア理解(PRMU)研究専門委員会の委員長を務めていた2015年12月,信州大学で開催されたPRMU研究会で片岡さんの特別講演があった.
[特別講演]cvpaper.challenge in CVPR2015 ~ CVPR2015のまとめ ~ 片岡裕雄(産総研)・宮下侑大・山辺智晃(東京電機大)・白壁奏馬(筑波大)・佐藤晋一・星野浩範・加藤 遼・阿部香織・今成隆了・小林直道・森田慎一郎・中村明生(東京電機大)(PRMU2015-103)
 この発表には,二つの意味でちょっと驚いた.まずは,CVPR論文600本読破を試み,完遂したこと.そして,それを東京電機大学の学生が行っていること.このときは,まだ誰も知らないのであるが,私はおおよそ2年後に東京電機大学に移ることが決まっていたのである.
 先輩研究者からのアドバイスとしてよく言われたのが,逆説的ではあるが「論文なんか読むな」である.これには,二つの意味がある.まず,いろんな論文のことをよく知っているだけの評論家になってはいけないよ,ということである.いろんなことを知っていて博識だけど,あの人の業績って何だっけ,と言われないようにしないといけない.二つ目の意味は,激しい研究競争の中で,さっさと研究して,発表することを急いだ方が良い,ということである.どうせ似たようなことは世界の誰かがやっているに違いないのである.そして,既に同じ研究があるのかどうかの判断は,査読者に任せておけば良いのである.(注:でも,学術のオープン化とGPTの世界になって,研究のやり方は大きく様変わりしつつありますね.よおーく考えて,行動しないといけないのです.) 
 だからというわけではないが,CVPR論文600本読破と聞いたときの最初の印象は,正直に言えば「ばっかじゃないの」である.今でも,「みんな馬鹿なんじゃないか」と思っている.なぜなら,馬鹿じゃないと,そんなことは始めようとは思わないし,馬鹿にならないとやり通せないはずだからだ.電子情報通信学会の情報・システムソサイエティ誌 第 22 巻第 4 号の巻頭言で書いた短文「今を時めく北千住で思索と晴耕雨読の日々を」でもこの読破プロジェクトに触れたことがある.これには,ちょっとした背景がある.優秀な研究者がたくさんいる組織に長くいて,賢いが故に道に迷ってしまって悩んでいる人を少なからずみてきたからである.馬鹿になれる人の方が幸せな人生を送れることがあるのだ.C. Christensenによる世界的ベストセラーに,How Will You Measure Your Life? (邦題:イノベーション・オブ・ライフ: ハーバード・ビジネススクールを巣立つ君たちへ)がある.彼の最後の授業と称されているもので,「第1講 羽があるからと言って」で始まり,「第10講 この一度だけ」で終わる.まさに,何をmeasure にとるのかということなのである.
 そんな馬鹿の親分ともいえる(失礼!),片岡さんと再開したのが,MIRU2018札幌でした.片岡さんたちが立ち上げた,数式駆動型教師あり学習の仕事は,世界に冠たる独創的なすばらしい業績だと考えています.あれが,なぜ上手く働くのか,タスク毎の設計指針は何なのか,まだわからずにいます.私もずっと考え続けていて,いずれ解決してやろうと密かに目論んでいます.

生きていくための糧

 その昔,理学部を卒業して,研究者として生きていくのはなかなか覚悟のいることであった.世の中にはオーバードクターと呼ばれる人たち,すなわち,博士号はとったけれど就職先のない人たちがあふれていたからである.博士号は,「足の裏についた米粒」と言われていた.とらないと気持ち悪いけれど,とっても食えないというわけである.産業界に受け皿を見つけやすい工学との差は歴然であった.私がいた学科は,当時,学部定員7人,大学院定員12人で,ほぼ全員が博士課程までに進んでいた.今は随分と様変わりしているが,当時は,学部卒,修士卒で就職してしまうのは,まあ落ちこぼれみたいなものであった.でも,そんな中から,大手繊維メーカの社長になったり,国際研究組織の事務局長を長くやっている人もいるし,行方知れずの人もいる.人それぞれである.自分の人生のmeasure を自分で決めていくことでしかないのである.
 就職してからは基礎研究を主とする部署に長くいたので,「基礎研究を行うこと」の本質的価値,意味は何なのかについて,いろいろ考えさせられた.なぜなら,一般論として,大学でも,企業でも,基礎研究は「報われない」可能性が高いからである.組織としても,個人としてもである.したがって,組織にとっての価値は何か,そして個人(自分)にとっての価値は何か,という異なる二つの問いが生まれる.ここでは,個人の話に限定しておこう.
 研究という作業を続けて行く中で,数時間後に出てくる実験結果を一刻も早く知りたくて,寝ないで待っている,という経験をしたことはあるだろうか.知的な営みとしての「探求」とは,畢竟ひっきょう,自己との対話である.自分自身が,何かの謎を「解けた」と思う瞬間,他人の書いた何かについて「わかった」と思える瞬間,何かをつくって「動いた」瞬間,その瞬間に味わえる喜びが「探求」の源泉であろう.だから,本来,研究論文など書く必要もないし,研究発表もする必要のないのだ.でも,これには大きな問題がある.これでは,食べていけないのである.そして,研究にもお金がいる.そのための解決策は,パトロンを見つけるか,自ら働いて稼ぐかしかないのである.若い研究者を科学という世界に対する甘い幻想から引きずり下ろし,厳しい現実と処世術とを説き起こした『サイエンティストゲーム―成功への道』にはじまるC.J.Sindermannによる一連の著作はベストセラーになった.
 自分の研究が何かの役にたつということが言えれば,パトロンはつきやすい.それはそれで,生きていくためのすべである.だから,そういう説明の仕方を常に考えておくことが大事なのだ.説明する相手によって,説明の構成も力点も当然変えなければいけない.一方で,「役に立つことを考える」ことが,新しい発想の邪魔になることがある.拘束条件を外すと,最適化は一般に困難になるが,世界は広がるわけである.
 企業を退職したら,田舎の大学で,お金のかからない研究で,他人から興味をもってもらえなくてもよいので,自分が好きな研究を,ひっそりやりたいなと思っていた.それが,都心の大学移ることになって,どうも人生プランが狂ってしまって困っている日々なのである.転職を試みたいが,若い人を押しのけて,ポスドクで雇ってもらうには,もう少し論文を書かないとだめかなと思っている今日この頃である.いずれにせよ,生きていくための糧は,ひとえに「好奇心」である.それさえ失わなければ,何が起ころうと,楽しい毎日が待っていると信じて疑いません.

そのとき研究の歴史が動いた――画像認識の発展の歴史を振り返って――

 電子情報通信学会会誌2023年12月号 では,「そのとき研究の歴史が動いた――画像認識の発展の歴史を振り返って――」 という小特集が組まれています.MIRU30周年且つ25回の記念としてMIRU2022姫路で企画された特別セッション「過去を知り,未来を想う」をもとに編まれたものです.私も,「カーネル法のそのとき」という小文を寄稿しましたので,ここに置いておきます(PDF版別刷りを購入しているので,ここに貼るのは問題ありません).ご笑覧頂ければ幸いです.個々の技術を歴史的な流れの中で俯瞰してみるというのは,非常に大事なのだけれど,それぞれが同時代として生きた時代によって,見え方が大きく違ってくる.なので,私より10年上の人,あるいは,私より10年,20年若い人から,どう見えているのかは,知りたいところではあり,感想などお待ちしています.

サンタさんより愛を込めて

大学では,「ベイズ統計学」という授業を持っています.
野球の日本シリーズなどで,第二戦目の中継時に,アナウンサーがよく使う台詞に「第一戦目に勝ったチームがシリーズを制したのは,過去10年で....」というのがあります.残り6戦で4勝するか,3勝するかの確率の問題なわけで,通常両チームがある1戦で勝つ確率を1/2 として解かせる,というのが,よくある確率の練習問題です.でも,第一戦に勝ったチームは,もう一つのチームより強い,即ち,勝利確率は,1/2 より大きいということを示しているのではないか? では,どうやって求めれば良いのか.この小さい頃からの,長年の課題に答えを与えてくれたのが,ベイズ統計学でした.うんじゅう年来の謎が解けた喜びを背に,授業をしています.
 明日はクリスマスイブなので,ちょっと早いけれど,ささやかなプレゼントです.


見かけが同じ二つの封筒(A,Bとします)が用意されています.それぞれの封筒には,日本円のお金が入っており,片方にはもう片方の倍の金額が入っていることがわかっています.電大君は.好きな方を一つあげるよと言われたので,封筒Aを選択しました.ここから物語は3つに分岐します.

  1. 電大君は,封筒Aを開ける前に「Bに替えてもいいよ」と言われたので考えてみました.封筒Aには,$${x}$$円入っているとしよう.封筒Aが,金額の多い方か少ない方かは,等確率である.封筒Aが少ない方だとすると,封筒Bへの交換によるgain は$${2x - x = x}$$(円)である.封筒Aが多い方だとすると,gainは,$${ \frac{1}{2} x-x = -\frac{1}{2} x}$$(円).したがって,期待gain は,$${ \frac{1}{2} x + \frac{1}{2} (- \frac{1}{2}x) = \frac{1}{4} x > 0}$$ となり,封筒Bへ交換したほうがお得.... というわけで,電大君は,封筒Bに交換しました.すると,封筒Bを開ける前に「Aに戻してももいいよ」と言われたので考えてみました...... どんとはらい.

  2. 電大君は,封筒Aを開けたら$${1000}$$円入っていました.「Bに替えてもいいよ」と言われたので考えてみました.封筒Aが,金額の多い方か少ない方かは,等確率である.封筒Aが少ない方だとすると,封筒Bへの交換によるgain は$${ 2000 - 1000 =1000}$$(円),多い方だとすると,gainは,$${ 1000 - 500 = -500}$$(円).したがって,期待gain は,$${ \frac{1}{2}\cdot 1000 + \frac{1}{2}(-500) = 250 }$$(円)となり,封筒Bへ交換したほうがお得.....というわけで,電大君は封筒Bに交換しました.どんとはらい.

  3. 電大君は,封筒Aを開ける前に「Bに替えてもいいよ.少ない方は$${1000}$$円だよ」と言われたので考えてみました.封筒Aに$${1000}$$円入っているか,$${2000}$$円入っているかは等確率である.封筒Aが少ない方だとすると,封筒Bへの交換によるgain は$${ 2000 - 1000 = 1000}$$(円) である.封筒Aが多い方だとすると,gainは,$${ 1000- 2000 = -1000}$$(円).したがって,期待gain は,$${ \frac{1}{2}\cdot 1000 + \frac{1}{2}\cdot (- 1000) =  0 }$$となり,封筒Bへ交換する意味はない,交換手数料がかかるかもしれない,ということで,封筒Aを受け取ることにしました.どんとはらい.

封筒をBに交換する意味はない,というのが私たちの常識ですが,1と2の物語はどこが間違っているのでしょうか?
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 こういうクイズを学生に出すと,ちょっと残念だなと思うのは,すぐググったりすることです.最近だと,ChatGPTに聞いてみたりするでしょう.「自ら考える」ことに楽しみを感じて欲しいな,と思うのです.世の中不思議なことだらけですから,そういう人はきっと楽しい人生が送れるだろうなと思います.
 ちなみに,上記の文章は私のオリジナル作文ですが,これをGPT-4にかけると,見事に解説してくれます.驚くべき事です.GPT-4が言ってくれていることに間違いはありません.だがしかし,それを読んで,本当にわかったことにはならないはずなのです.なぜなら,肝心なところを説明してくれていないから.
 フラクタルも,この封筒のパラドックスも,突き詰めていくと,カントールに行き当たるのでした.....

おまけ

大学や大学院の学生要覧にある挨拶文などだれも読まないんじゃないかと思うけれど,たまにはいいことも書いてある(?)ので,参考まで.2023年度システムデザイン工学研究科学生要覧より,転載.

新入生に贈る言葉

【可能性を探す】皆さんがこれから過ごす 2 年間は、無限の可能性を秘めた大切な時期にあたります。頭も体も柔軟性に富み、エネルギーに満ちあふれ、生物である人間としての最盛期なのです。是非、できる限り多くのことに挑戦し、経験し、学んで下さい。人生 100 年のその折り返し地点となる約 20 年後、皆さんが社会の中でどのような役割を果たしているのか、いろいろな夢を描いてみて下さい。

【学問を愉しむ】新しいことを学び理解したときの喜び (enchantment)、新しいことに気がついたときの驚き (wonder)、これまで自身が持っていた世界観が音を立てて崩れ、全く違う新しい地平が広がる。その愉悦こそが学ぶことの醍醐味です。些細なことであっても良いのです。世界を観察し、探検し、動かす、そんな体験ができることを期待し ています。

【真理と向き合う】研究課題に取り組んでいく中で行う思索や実験のすべては、真理との対話 です。対話のための道具は論理であり、いい加減な推測、個人的な思いや期待などは一切排除されなければなりません。常識だと思っていることさえも疑ってかかることが必要です。何が 正しいのか、なぜ正しいと結論できるのか、その答えを責任もって語らなければならないのは皆さん自身です。真理と向き合う者には、謙虚さと厳しさが求められます。そして、真理の探究へと向かう情熱と真摯な姿勢の中から、世界を動かす新しい概念や技術が生まれるのです。

【知性と人格を育む】世界のあらゆる出来事、あらゆる分野の活動に眼を向け、そのもつ意味と価値について考えて下さい。遠い他国での騒動から、隣家の庭の草刈りまで。政治、経済から芸術、スポーツまで。日々の見聞、思索、活動のすべてがやがて血となり肉となり、皆さん一人一人の知性と人格を形作ります。

  • 「‌最後まで知性のクレイドルcradle(揺り籠)は疑いなんだ」(鶴見俊輔)

  • 「‌ 時間とともに人は態度や意見を変え、新しい癖や奇行を身につける。だが、そういうものは飾りで、人格とはちょっと違う。人格はたぶん知性に似ているが、完成の時期が遅い。二十歳から三十歳の間か?そこで人格は出来上がり、以後はその人格で一生を過ごす。」 (Julian ‌Barnes “The ‌Sense‌ of‌ an‌ Ending”  土屋政雄訳)

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